一
諸方に網《あみ》の目を張っている物見の諜報《ちようほう》は実に早い。
声なき声は、街道すじの駅《うまやじ》へ駅へ。
(黒田官兵衛、平井山を離る)
(官兵衛、西へ急ぐ)
(官兵衛、姫路へ帰る)
頻々《ひんぴん》、風のように、ここへ伝えて来た。
これが御着城に聞え出した日から、小寺政職以下、すわというような衝動《しようどう》をあらわしていた。
「何をあわてる。姫路へ向って、一戦の用意だに固めておけば、騒ぐことは何もない。いざとなれば何時でも、毛利家の大軍が後詰《ごづめ》に来ることになっている」
一族の小川三河守、宿老の益田孫右衛門、蔵光正利《まさとし》などは、家中を励ました。ひいてはまた、官兵衛というと、その名を聞いただけでも、すぐ顔色を変えて、ぐらつき出す主人政職をも、そのことばを以て、叱咤《しつた》し、牽制《けんせい》しているのでもあった。
その政職も、宿老たちも、
(官兵衛が帰って来たからは、必ずや姫路の城に拠《よ》って、父宗円の兵力と、近郷の味方を糾合《きゆうごう》し、一面、浮田家にも助力を求めて、この御着を攻めるだろう)
と、その行動を必然と察していたのである。
ところが、その朝、早馬に鞭打って、飛び込むように、城門へ入った一物見のことばは、彼等の予察《よさつ》をまったく覆《くつがえ》したもので、
「官兵衛は、昨夜姫路に着きましたが、なぜか姫山の城には入らず、町中の目薬屋、与次右衛門の家に泊り、やがて今朝は、この御着へ向って来るらしい様子に窺《うかが》えます」
と、いうのであった。
「何。——直接これへ来ると? してその人数は、どれほどか」
十分、戦備は固めているものの、老臣たちは、ひとしく色を作《な》して、早口に訊ねた。
物見はそれに答えた。
「ひとりです。ただ一騎です」
「えっ。官兵衛一人だと?」
「されば、小者も連れておりません」
「はてな?」
何か、鮮《あざ》やかに背負《せお》い投げでも食わされたような顔つきである。しばし、疑心暗鬼のうちに、人々が眼をしばだたいていると、宿将のひとり村井河内守は、戒《いまし》める如き口吻で、突然語気つよくいった。
「いや、なおさら油断はならぬ。あの男のことだ、どんな鬼謀《きぼう》を抱いているやも知れぬ。決して怠るな、各」