一
苦境に立てば立つほど強くなる彼。逆境に遭《あ》えば遭うたび、その逆境を一段階となして、次の運命を人の意表にきり拓《ひら》いて、飽くまで積極的に進んでゆく彼も——その信長も、こんどの難局にはここ数十日、深刻な悩みを嘗《な》めたことは確《たし》かである。
この苦杯《くはい》を主人につきつけた荒木村重の謀反《むほん》にたいして、彼が心の底から憤怒《ふんぬ》を抱いていることはいうまでもないが、それをすら抑《おさ》えて、じっと、
(我慢《がまん》も戦略。もし兵法とすれば我慢のできぬこともない)
と、自己の性格をころして、幾たびか慰撫《いぶ》の使者を伊丹《いたみ》へ向け、村重を懐柔《かいじゆう》して、この事件を一先ず内部的なものに局限《きよくげん》して済ませたいと、極力努《つと》めて来たここ二ヵ月間のあとを眺めて、いかに伊丹の離反《りはん》とその影響が、彼にとって大きな痛手《いたで》であったかが思いやられる。
しかし、その慰撫も、懐柔策も、所詮《しよせん》は何の効もなかった。
村重と親しい宮内卿法印をやって説《と》かせ、明智日向守をつかわして更にまた説かせ、重ねて万見仙千代まで使者にたてて——かりそめにも主人から三度まで懇《ねんご》ろに諭《さと》して村重の賢慮《けんりよ》を促したということは——信長として正に、忍ぶべからざるを忍んでのことであるし、また以て、いかに彼の立場が最大な苦境に置かれたものであるかが分るのである。
中国の業はまだ緒についたばかりで、前途の好転は期しがたい蹉跌《さてつ》を見ているし、大坂の本願寺勢は、いよいよ猖獗《しようけつ》して、時こそ到来と、攻勢の機を測《はか》っていた。なお、かえりみて東国をながめると、北条氏政のむすめと武田勝頼のあいだに婚姻が成ったのを契機《けいき》として、新たに甲相二国の同盟《どうめい》がむすばれんとしているではないか。これもまた、織田家にとって、一憂を加えて来る暗い北風であった。
「……誤っていた」
信長は覚った。
「つい、懐柔策などにひかれ、日をうつしておる間には、必然、万策も効なき最悪の破局にいたるやも知れぬ。——そうだ、信長はやはり信長の天性にまかせて為《な》すに如《し》くはない」
彼は手ぬるい「扱い」を放擲《ほうてき》した。
そして安土を発し、二条新館に大軍をととのえ、摂津一円に、諸軍を配備した。