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黒田如水71

时间: 2018-11-16    进入日语论坛
核心提示:猜疑二 折も折であった。 こういう立場にあった信長の耳へ、黒田官兵衛の消息は伝わったのである。「なに、官兵衛が、伊丹城内
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 猜疑
 
 折も折であった。
 こういう立場にあった信長の耳へ、黒田官兵衛の消息は伝わったのである。
「なに、官兵衛が、伊丹城内に囚《とら》われておると? ……」
 その事情も併せ聞いたのであったが、信長はかく知ったせつなに、ふと猜疑《さいぎ》の眼をひからせた。
 直感のするどい人の常として、それが反《そ》れて猜疑化することは往々《おうおう》にしてある。信長は表面の理由といきさつだけを以て事実とは聞かなかった。
「たれが、官兵衛に向って、荒木村重に意見せよなどと命じたか。秀吉とて、予のゆるしなく左様なことはいたすまい。——小寺政職の書簡《しよかん》を携えて参ったというが、その事自体が解《げ》せぬではないか。何となれば、御着《ごちやく》の小寺もまた、村重と呼応《こおう》して、現在、あきらかに逆心《ぎやくしん》を示しておるものを、何で、官兵衛をさし向けて、今更、村重に意見を呈《てい》そうや」
 左右の諸将に、かく語るまでに彼がこれまでに抑《おさ》えていた感情は、この小噴火口を見出して、勃然《ぼつぜん》と、憤怒を噴いた。
「きゃつ、筑前をあざむいて、伊丹へ入城いたしたにちがいない。村重の帷幕《いばく》に加わって、その智謀を加えよと、小寺からもいわれ、村重からも誘われて、うまうまと、潜り入ったものとみゆる。——さもなくて何ぞ、村重がただ城内に生かして置こうや。出先の秀吉の軍状にも詳《くわ》しく、わが織田家の内状にも通じておるために、村重に買われたものだ。策士たる彼奴としては、ありそうな事よ。……」
 信長は、自嘲《じちよう》をもって、自身のつぶやきを結んだ。しかし一たん噛みしめていた唇をひらくと、かたわらにいた佐久間右衛門にたいして、こういう酷命《こくめい》を冷《ひや》やかに下した。
「すぐ、筑前へ書状を遣《や》れ。——かねて筑前にあずけてある官兵衛の質子《ちし》松千代の首を打ってさし出せ、と」
「かしこまりました」
 佐久間信盛も、また平然と主命のまえに頭をさげた。
 そのことはさすがに、信盛に一任したが、信長はべつにまた在中国の秀吉にたいして、一通の軍令を口授《くじゆ》して、祐筆《ゆうひつ》に書かせていた。
 ——御着の小寺を攻め、あわせて、姫路城の黒田宗円をも、一挙に揉《も》み潰《つぶ》せ。
 という指令であった。
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