一
「……面壁《めんぺき》、面壁、またきょうも面壁。いったい幾日この闇をにらめていたら陽《ひ》が仰げるか」
官兵衛は独りそう思う。
きょうも朝はどこかで明けていた。
いや、すでに年も、天正六年はとうに去っている。ことしは天正七年のはずだと考えるが、その春すら来ているのか否か疑わしい。
「陽の目を見ない人間というものは弱いものだ。陽に浴しているときはさして思わぬが、……はてさて、禅も、覚悟も、陽を仰いでおればこそ。かくなっては」
ひとり苦笑するのである。
指折れば去年の十月以来、半歳というものは、こんな独想と同じ闇との中に、生ける屍《かばね》のごとく過ごして来た。そのあいだに、日頃の何が役立っていたろう。
まず、健康な体だったが、これも近頃では自信がない。いちどの湯浴《ゆあ》みも水拭きもしたことなく、皮膚は垢《あか》とこの冬中の寒気で松かさみたいになっている。やや暖かになって来たと思うと、体じゅう得体《えたい》の知れない腫物《できもの》ができてきた。頭の毛髪の根にまでぶつぶつしたものがふき出している。
食物といっては、正に獄人に食わせるようなものを、朝夕二度、頑丈《がんじよう》な荒格子《あらごうし》の窓から番卒が給与してくれるものだけである。——が、この玄米と菜などは日頃噛む十層倍も根気よく口のなかで糊にして胃へ入れる事に依って、かなりよく栄養を摂《と》ることができた。むしろ困難なのは運動のできないことだった。時々はこの獄内の檻《おり》の中の虎みたいにのそのそ歩いてみた頃もあるが、近ごろは衰弱のせいか、それが非常に疲れる。供与だけの食物では足らなくなる。余りに飢えるとしまいに空の胃ぶくろが腹の中で暴れ抜くのが何とも苦しい。
「じっとしているに限る」
自《おのずか》ら、坐禅《ざぜん》をくむ。
少年の頃から禅は心がけていたが、それは到底、禅に徹していたどころか、真似事にすぎないものだったとみえ、意識するとかえって妄想《もうそう》を掻き立てるような心態になり易い。——で、結局、何もせずに、ただぼんやりありのままに在《あ》ることにした。うすら眠くなれば眠る。眼をあきたければ開く。半眼になったら半眼になっているとして——。
「よくよく命は惜しいものだ」
われながらその執着《しゆうじやく》には感心する。ひとから考えたら、何の為に生きているか、死んだほうがましであろうに——と定めし思うであろうにとも知りながら、やはり死にたくはなかった。
だが、この未練は、自ら顧《かえり》みて、そう恥じるものではないともしていた。ふたたび、陽《ひ》の目を仰いでも、為《な》すことなき生命に執着するのではない。
「自分には為すことがたくさんある」
その信念に執着するのだ。自分ならで誰か為す者があろうと自負される世業にたいして、生命そのものが燃え惜しむのである。
「このままここで死んでは」
と、残念を感じるのだった。
「……もがくな、歯がみを鳴らすな。思うたところでしかたがない」
むしろ彼自体は、自己の生命にたいして、そう宥《なだ》めている姿だった。——そして、ここの高窓から一道のうすい外光が射す日には、膝や袂《たもと》をあるいている虱《しらみ》をながめて虚心《きよしん》に暮した。虱は彼をなぐさめる唯一の友だった。