返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 吉川英治 » 正文

黒田如水78

时间: 2018-11-16    进入日语论坛
核心提示:惨心驢に騎せて一「官兵衛にも似げない不覚を」 と、秀吉は彼の消息を知ったとき独り声を放って嗟嘆《さたん》した。「村重ずれ
(单词翻译:双击或拖选)
 惨心驢に騎せて
 
「官兵衛にも似げない不覚を……」
 と、秀吉は彼の消息を知ったとき独り声を放って嗟嘆《さたん》した。
「村重ずれの智謀《ちぼう》に陥《お》ちるなどとは、智者らしくもない」とも呟いた。
 けれど彼は憂いの中に沈思して、いやそうでないとも考えた。世上の智者策士と呼ばるる者多くは軽薄であり小才子である。官兵衛にはそれがない。情弊《じようへい》がある。正直さがある。ばか正直ともいえるような一面すら持っている彼だ。
「武人として、こんどの失策は、決して彼の恥ではない。——量《はか》るに荒木村重が彼を殺し得ずにいるのは、なお彼に未練《みれん》をもって、彼をして味方の用具となさんとするものであろう。天なお彼に命をかし給うものだ」
 平井山の陣前、依然として不落を誇る三木城を前にしながらも、また愁心怏々《しゆうしんおうおう》たる憂いを抱きながらも、秀吉は日々、官兵衛の天命を遠くから祈っていた。——そしていかに主君信長の軍がよく迅く伊丹の逆臣を攻め陥《おと》すかを千秋の思いで待っていた。
 ところが、その信長の令は、意外にも、
(異心疑わし官兵衛の行動。即刻、兵をわけて姫路を討て。そして父宗円や一族を搦《から》めよ)
 と、伝えて来た。
 秀吉はさびしく思う下から顔には出ぬ一笑を催《もよお》した。また始まったなという程度に信長の猜疑《さいぎ》にはあらかじめ理解を備えていたからである。
 ——あの男がおわかりないのかなあ?
 それだけは不思議に思えた。しかしまた、安土のいまの苦境を思うと、さもある気持にもなろうかと、むしろ遠くから主人の胸がいたわしくも察しられる。
「日をまてばよい。ご命令に敏速ならざる罪は、ひとえに秀吉の功のいたらざるものと、後のお叱りを覚悟しておけば……」
 彼は彼ひとりの胸にその事は伏せていた。けれどここに伏せておけない問題も同時に伴って来た。
 それは質子《ちし》の松千代の処分である。
 いま洛中の南禅寺境内に侘《わび》住居《ずまい》して、ひたすら病を養っている竹中半兵衛の許へ、信長の使者として、佐久間信盛が訪れたということを、その半兵衛からつぶさに報《し》らせて来たのである。
(——信盛どのが仰せには、信長公には、黒田どのの私の行動にたいし、以てのほかなお怒りを発せられたとか。黒田どのの質子、いま筑前の手許にあれば、即刻、打首とせよとのご厳命なる由。佐久間どの、私まで、その処断を申し参られましたれば、元よりお否み申す筋あいでもなければ、謹んで承諾のむね、お答え申しあげておきました。この書状のお手許にとどく頃、佐久間殿よりそちらへ同様の令がお達しに相成りましょうが、取りあえず右までご報告を)
 と、いったような内容である。
 これには秀吉もはたと当惑した。信長の余りに烈しくて冷やかなる愛情の心火にふと涙がこぼれかけた。かくまでに遊ばさなくてもと官兵衛の身になってうらめしく思わざるを得なかった。しかしここでも彼はすぐ一転、がらりと心を明るく持ち更《か》えて、
「火のようなご性格だ。ふだんはあたたかでいらっしゃるが赫《かつ》と焔《ほのお》をおたてになると人をも我をもお焼きになる。……燃えさかっているときには何事もお耳に入るまい」
 と、ひとり胸をなだめ、また竹中半兵衛への返書には、
(安土のおいいつけはおろそかに致すな。よろず所存《しよぞん》にまかせおく。秀吉の心になってぬかりなく勤め候え)
 といい送った。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%