二
まだ梅の梢《こずえ》に雪も見える寒さである。春となって二月上旬。ここはわけて底冷えするという蹴上《けあげ》の盆地《ぼんち》にある南禅寺の一房を出て、山門から駒に乗ってゆくいと痩せたる若い一処士にも似たる風采《ふうさい》の人があった。
去年の秋以来、ここの僧房に籠って、ひたすら薬餌《やくじ》と静養につとめていた病《びよう》半兵衛重治《しげはる》である。
供はただ一人の武士しかついていない。武士は主人の薬まで背のつつみに負っていた。
「お寒くありませんか。しきりと、お咳が出るようでござりますが」
「やはり外は冷たいの。この冷たい東風《こ ち》に馴れるまでのあいだであろう。いまに咳もやむ。陽《ひ》もあたたかになろうし」
「お頭巾《ずきん》をおまとい遊ばしてはいかがですか」
「いや、さなきだに、人の目が尖《とが》っておる。白昼、面をつつんで歩いては、半兵衛重治が、また何事か謀《たくら》むぞと、うるさい目がささやこうも知れぬ」
こんどの事件——黒田官兵衛のことについては、彼も多分に胸をいためた。同時に、彼の人生観へも惻々《そくそく》と二月の東風《こ ち》のように冷たい息吹きをかけられた心地がした。
若年《じやくねん》、山に籠り秀吉に説かれて、ついに山を出で、ここ十余年の久しきあいだを、血の巷《ちまた》、世間の危路、あらゆる道をあるいたものの、依然、彼の心は、山にあって、里のものになりきれていなかった。
ただねがうらくは、
——どうかして筑前守様が一日もはやくあるべき所にその位置を得られて、諸氏に和楽《わらく》のよろこびを頒《わ》け与えて下さるような日が来ればよい。
それのみを祈って、その扶《たす》けのみを自己の任としていたが、病勢は年毎におもしろくない。
(それまで、生きていることは、自分の健康ではむずかしい)
ということを、近ごろでは彼もひとり観念していた。
従って、彼の待望は、まず中国陣の一段落を見るぐらいな所を以て、満足しなければなるまいと思っていた。友にも語らず、秀吉にも語らず、彼はつねに座右の物のうちに、袈裟《けさ》、数珠《じゆず》などを備えていた。その日が来たら秀吉に暇をねがって、せめて人命を終る前の一年なりとも、高野にのぼって山鶯《やまうぐいす》の声でも聞きたいものと念願していたからである。
「できてもできなくても、ねがいごとを抱いているということは楽しい……おそらくは実現すまい。中国攻略もさように短い期間には片づくまい。さもあらばあれ武人らしく戦場で死にたいものだが」
彼は今も思う。
病骨をのせた馬は、二夜の泊りを経て、美濃路《みのじ》へ入った。そしてすぐ西の山中へ驢《ろ》のように鈍《にぶ》い脚ですすんでゆく。
美濃岩村の菩提山《ぼだいさん》の城へついた。
山村《さんそん》の小城にすぎない。しかし久しぶりに帰って来た主を迎えて、家中は城門に立って出迎えた。半兵衛は城へ入るとすぐ老臣にたずねた。
「黒田どのの質子《ちし》はかわりないか。この冬は風邪《か ぜ》もひかずに過したか」
老臣は縁先から城の平庭《ひらにわ》を見まわし、ずっと奥の山芝《やましば》の黄いろく見えるあたりを指さした。
「あれ、ご覧あそばしませ、今日もご家中の児等をあつめてあのとおり元気に、暴《あば》れておいでになりまする」
「どれ、どれ……」
半兵衛も褥《しとね》を起ってそこへ出た。彼は安土のいいつけを胸に持って来た人だった。その眸には蔽《おお》いきれない深い傷心がひそんでいた。