一
新緑は萌《も》え、陽《ひ》は夏めき、人は衣更《ころもが》えしているが、伊丹の町には、何となく清新な風もない。澱《よど》んでいる。不安がある。
城主の荒木村重と、そこにたて籠《こも》っている全城の者の神経が、城下の民にも、そのまま映《うつ》るのであった。
「いつ、合戦の巷《ちまた》となるやら?」
という不安と、およそ荒木の領内は、その境を、完全に遮断《しやだん》しているという、動きのとれない中に置かれている重苦しさとからである。
いやそれよりも、伊丹の領民《りようみん》がみな必ずしも、領主の叛旗《はんき》にたいして、支持をもっていないことも、この町に沈滞《ちんたい》な気の見える一因であるということもできる。
だがその町中で、しきりと今を楽しんでいるような繁昌《はんじよう》を示しているのは鎧師《よろいし》とか、塗師《ぬし》とか、染屋とか、鍛冶《か じ》とか、馬具屋とかいう類の軍需品《ぐんじゆひん》をうけ負《お》っている工商の家々だった。
白銀屋《しろがねや》新七なども、そのうちの一軒だといえよう。小屋敷ほどな構えをもち、土塀の中を入るといきなり細工場だった。具足の小貫《こざね》、装剣の飾《かざ》り、馬具の小金物、何くれとなく飾金の職人の手にかける金銀の細工物はここでやっている。小型のふいごやら、小刻みの鎚の音やら、やすりの音やら、細工場には十六、七人の男が背をまろくしたきりで精出している。
新七も、時々は顔を見せるが、多くは奥の母屋《おもや》にひっこんでいた。よく友達を寄せて、碁を囲んだり、酒を酌んだりしていた。奥と細工場とは、雨でも降ると不便なほど、庭木を隔てて離れていた。
「お菊。たれか来たらしいぞ。裏門から」
彼は今、ふたりの客と、何事か首をよせて、密談していた。ふたりとも昨日、有馬の湯の帰りから立ち寄った知人とかで、ゆうべはここに一宿した旅人だった。
「……客かの?」
旅人は眼をくばった。裏門の鳴子《なるこ》を聞いたからである。客が客を憚《はばか》るにしては、その眼はすこし険《けわ》しすぎる。
「いや、滅多な者は、裏門からは来ないはずです。……ま、そのままでおいでなさい」
新七の声はひくい。
そして少し身をのばしながら、台所口から穿物《はきもの》をはいて出てゆく義妹のうしろ姿をのぞいていた。