二
この春ごろから、新七の母屋の生活は、すっかり変っていた。そこに住んでいる者も、日常もである。
彼の女房は、大勢の子供と一緒に、いつの間にか、田舎の生家へ送ってしまった。表面は、いつ戦争になるか分らないということを理由として。
そのかわりに、菊女という二十歳《は た ち》を幾つか出た年ごろのきれいな義妹が家事の手伝いに来ていた。——播州飾磨《ばんしゆうしかま》の玲珠膏《れいじゆこう》の本家で名物の目薬を買ったことのある者ならこのむすめには見覚えのあるはずであるが、菊女はめったに往来へも出なかった。彼女は、かたくその素姓《すじよう》を秘して来ている飾磨の与次右衛門の娘であったのである。
姫路の主君、官兵衛の兇変《きようへん》につづき、その決死救出組の盟《ちか》いが結ばれたのを知ると、老いたりといえ、与次右衛門も先代以来の恩顧《おんこ》の臣、ぜひにと、自分も十三人組のなかへ加盟を申し出たが、老人は足手纏《まと》いと、同志の者に聞き入れられなかった。けれど、彼とは親戚の伊丹の白銀屋を、同志の足溜《あしだま》りの隠れ家とする便宜上《べんぎじよう》、
(お菊さんなら……)
というのが皆の意見だった。あらゆる場合の秘策には、何といっても、女子は用うるに便宜でもあり、用いてその効が大きいからでもある。
そうした談合もあって、決死救出組がことごとくこの地方へ潜行を果した後、お菊はひとりで此処へ訪ねて来た。そしてそれ以来、
(ちょうどよい者が親戚から来たので……)
と、新七の住居に留まっていたのであるが、彼女がこの伊丹にも少ないほど目につくきりょうであるために、まず細工場の大勢の者の口から、ひいては近所合壁《きんじよがつぺき》も、
(あれは義妹《いもうと》ではあるまいよ)
などと、あらぬ噂がなかなか高い。けれど新七は、そう見られていることを、むしろひそかに歓《よろこ》んでいた。
なぜならば、それもまたこの隠れ家の偽装《ぎそう》のひとつになるからである。
「おや……。いらっしゃいませ」
お菊は、裏門の戸を内から開けて、そこに佇《たたず》んでいる旅の僧を見かけると、何か口籠《くちごも》って、それからは黙然と、ただ迎え入れ、ただ後ろをそっと閉めた。
そして小走りに、義兄のいる小部屋へ来て、
「いま衣笠《きぬがさ》久左衛門様がお見えになりました」
と、告げた。
居合わせた町人ていの客二人は、
「なに衣笠氏《うじ》が……」
と、なつかしげに顔見合わせた。
この一人は、母里太兵衛であり、もう一名は栗山善助である。いずれも、ここ伊丹城内の獄中にある主君を救出するために、馬子となり旅《たび》商人《あきんど》となり、仲間者となり大道芸人《だいどうげいにん》となりなどして、あらゆる苦心のもとに、身なり貌《かお》かたちまで変えている人たちであった。
「おう。善助どの。太兵衛どのもいたか」
僧の衣笠久左衛門は、お菊のあとから入って来て、汚い旅包みやら笠などを、まず縁の端へさし置いた。そして力なく、友のあいだへ来て坐った。
「しばらく見えなかったが、どこか遠方へでも行かれたか。きょうもここで、消息を案じていたところじゃ」
母里太兵衛が、面をさし覗《のぞ》くと、久左衛門は、その顔を、いよいよ気懶《けだる》げに振って答えた。
「——安土へじゃ。安土は何をしておるか。これしきの小城、もう大軍を催《もよお》して、総攻撃にかかりそうなものと探《さぐ》りに行ったが、まだ近いうちには行われそうもない。……のみならず、悲しい土産《みやげ》ばなしを耳にしてしもうた」
「悲しい土産ばなしとは」
「松千代様のお身の上だ。こういったらもう分るだろう。頼みがたきは人の心。……よもやと心恃《こころだの》みにしていたが、菩提山の半兵衛重治め、ついに、安土の命を奉じ、松千代様をお首にしてさし出してしまったらしい。……おれは、急にあの痩《や》せ法師の半兵衛にあいそが尽きた。あれは似而非《え せ》君子だ。もののふの情も何も知らぬ糞軍師《くそぐんし》だ。……残念さ、おいたわしさ、何ともいいようがない」
初めは火のごとく罵《ののし》り、後には水の咽《むせ》ぶごとく、仮の法衣の袖口で、落涙する面をかくした。