一
松千代が成敗《せいばい》されたことは、ひろく世間に信じられていた。まして旦夕《たんせき》主家の父子の身を気遣《きづか》うこと、我身以上なものがあった一盟の黒田武士たちに、深思の遑《いとま》もなく、それが直ちに信じられたのは決して無理ではなかった。
「このうらみは、きっとはらすぞ。今はなお、官兵衛様のご一身を助け出すまで、われらの身もままならぬが、いつかは必ず、半兵衛重治にたいし、この痛恨《つうこん》を思い知らせずに措くものではない」
ひとり衣笠久左衛門ばかりでなく、母里太兵衛も栗山善助も、悲涙のうちにこれを誓った。
僧形《そうぎよう》の久左衛門は、新七の家の仏間を借りうけて、
「仮ながらご供養《くよう》を」
と、松千代の俗名をお位牌《いはい》にしるして香華《こうげ》をささげ、太兵衛、善助などとともに、謹んで黙拝していた。
いつか黄昏《たそが》れかけている。蜩《ひぐらし》の声が高い。
「お菊さん。昆陽寺《こやでら》の坊んさんが来ていますよ。こちらへ通しますかね」
細工場《さいくば》の職人が夕顔の垣根越しに、母屋のほうへ呶鳴《ど な》っていた。
新七はお菊を見て、あわてて手を振った。
——ぐあいが悪い、通すなという眼合図であった。
「はい。いま参ります。ちょっと、お待ち願って下さい」
お菊は義兄の気もちをのみこみ顔に立って行った。そしてしばらくすると、一通の書状を持ってもどって来た。
新七が見て、順に、人々へ手渡した。書面は昆陽寺の和尚《おしよう》からである。ただ見れば、茶会の招き状であるが、それとはべつな意味がふくまれている。
「ちょうどよい。われらも、散々《ちりぢり》に参りましょう」
約束して、三人は裏門からやがて帰った。町はもう宵であった。
新七は細工場へちょっと顔を見せた後、行水《ぎようずい》を浴びて、ぶらりと出て行った。——そして町端れから西の方へ十余町ばかり行くと、一叢《ひとむら》の森の中に児屋郷《こやごう》の古刹《こさつ》昆陽寺がある。ここの真言宗の和尚と彼とは年来の友だった。しかし、その和尚は、顔も見せないで、ただ番僧のひとりがそっと案内に出て、
「もう皆さまもお集まりでございますよ」
と、庫裡《くり》の一房を指さした。仄暗《ほのぐら》い燭一つ囲んで、そこには、主を案じる義心の士、姫路を出てひそかにこの敵地へまぎれ入っている十余名の人々が、ひっそりと集まっていた。母里太兵衛、栗山善助、衣笠久左衛門なども、ひと足先きにもうこれへ来ていた。