三
はからずも城方の一部将に、同情者を見出したので、黒田家の十三士は、
「天もわれらをあわれみ給う。われらの真心はかならず届くにちがいない」
という信念をようやくここに固めることができた。絶望に似た暗闇《くらやみ》の彷徨《ほうこう》から初めて一点の希望をそこに見た心地である。
なお幸いにも、伊丹亘は、北搦手門《きたからめてもん》の守備を、一夜措きに勤めている。——で、彼のはからいに依って、六月の末の闇夜、同志のひとり三原隼人《はやと》が、忍び上手なので、城壁をこえてまぎれ入り、城中北曲輪《きたくるわ》の天神池のそばにある主君の獄舎まで、内外の連絡をとるために行くことになった。
しかしこの計画は見事に失敗に帰した。
なぜならば、伊丹亘が、その便宜《べんぎ》を与えてやっても、城門の守りは、彼の一手だけではない。まして、伊丹城はいまや、四六時中、警固《けいご》に警固を厳《げん》にされている非常時中の城だった。たちまち他の組に発見されて、三原隼人は二、三発の狙撃弾《そげきだん》に見舞われ、怪我はしなかったが、飛鳥のごとく逃げ帰って来るしかなかったのである。
たれいうとなく、城内でも、
「近頃、敵のしのびが、頻々と北曲輪の隙《すき》をうかがいおる。油断せぬように」
という声が立ち、一そうそこの固めはきびしくなった。
どうしても、近づけない。獄中の官兵衛と、連絡をはかる策がない。そこにある官兵衛に近づくことは、伊丹亘にしても、城兵の眼があってできなかった。
ついに窮余《きゆうよ》の一策が生れた。お菊を城内へ入れることである。これはこの事が考え始められてから割あいにはやく運んだ。
「奥仕《おくづか》えの侍女どもが、やがて戦の来る日を恐れて、病をいいたてたり、親の病気を口実にしたりして、お城から出るとみな里家《さ と》へもどったきり帰らなくて困る。わけて室《むろ》のお局《つぼね》に侍《かしず》く女たちが手不足で困り入る」
ということを、亘が老臣の口から聞いていたので、渡りに舟として、それへお菊をすすめた結果であった。
お菊は、伊丹家の縁すじの者として、城へ入ったのである。荒木村重《むらしげ》をはじめ、城方の者はたれも疑わなかった。また彼女もそれになりきっていた。初めて城へ上った日、彼女は、西の丸の一間で、きょうから仕える人に目見《めみ》えをした。それは室殿《むろどの》とも呼ばれ、室のお局《つぼね》とも称され、彼女が今まで見た世間の女性のうちでもいちばん美しい人だと思われるほど、世に超えた美人であった。
いうまでもなくこの女性は荒木村重の側室《そくしつ》であった。