一
お菊は室殿《むろどの》のお気にかなった。日のたつに従って、親しくことばもかけたり、側近くおいて何かと、気がるに身廻りの用もいいつけた。
「おまえは、どこのお産《うま》れかえ」
「あの。……この近くでございます」
「では、都かえ」
「いいえ。あの、浪華《なにわ》でございます」
「大坂」
「ええ。……はい」
彼女は、室殿から、訊かれそうなことを、つねに心で用意していた。けれど、答えるときになると、いつも矢張《やは》りしどろになった。室殿はそれをまた、世馴《よな》れない、奉公馴れない、彼女の良さとでも見ているように、ときにはわざと、からかったりするのであった。
「そなたは、伊丹家の縁故《えんこ》とかいうが、そうなのかえ」
「はい」
「ではあの、やがてご家中に、伊丹亘《わたる》の嫁御寮《よめごりよう》にでもなるのであろ」
「ま。あんなことを」
彼女はわけもなく赧《あか》くなった——こういう思いも寄らないことを訊ねるお方なので油断もすきもならない。お菊はすこしも気が休まらなかった。
けれど、日が経つままに、また馴れ親しむにつれて、彼女は、問われる前に、問うことを覚えた。何か、徒然《つれづれ》の話にでもなりそうになると、訊かれる先に、こちらからいろいろ室殿へたずねるのである。
すると室殿は、何でも気さくに答えた。ほかの侍女には語らないことまで彼女には話してくれた。
それによると、室殿は、いまでこそ荒木村重のお側女《そばめ》として、この西の丸に、思いのままな綺羅《きら》と侍《かしず》きに囲まれているが、決して、名門の息女や、名ある者のむすめでないことが分った。
かつて村重が、中国陣へ参加した帰途、室《むろ》の津《つ》の辺から連れもどった港の妓《おんな》がその前身らしいのである。そのせいか時々、中国訛《なま》りが出るし、また思いがけない下々《しもじも》のことばなどを戯れにせよよく弄《もてあそ》ぶ。
「きゅうくつだねえ、お城の中は。そなたは、そう思わないかえ」
これは時々、室殿《むろどの》が、ため息とともに洩らすことばで、聞き馴れているが、どうかすると、その美しい眉をよせて、
「はやく、敵が来て、このお城が陥ちてしまえば、いい。そうすれば、帰れるかもしれない……。あの室の津へ」
こんな大胆なことを平気でいったりするのである。それも、必ずしも、声をひそめてではない。その通りに、村重の耳へ聞えてもいいというような態度をしてである。