二
室の津といえば、お菊の家のある飾磨《しかま》にも近い。同じ播州《ばんしゆう》である。彼女は、どうしても脱《ぬ》くことのできない中国訛りを、この中国そだちの室殿が、聞きわけていないはずはないと怖れた。
果たして、それから後、何かのはなしに触れたとき、室殿はこういった。
「於菊《おきく》は、播磨辺にもいたことがおありだろ」
「……え、え」
「どの辺に?」
「飾磨に、ちょっと、身寄りの者がいたものですから」
「そう」
すずしい眼のすみから眼で笑って、ひとり頷《うなず》き顔をしながら、
「……そうだろうと思っていた」
と、室殿は、ひとり言のように呟いた。
そのときのお菊の顔いろというものはなかったけれど、さりとて、その後、それを怪しみも何ともしていない室殿であった。
夏はさかりになった。室殿はちと行儀《ぎようぎ》がよくないので、髪衣裳《かみいしよう》も常にきちんとしていなければならない御殿住居の夏は余り好むところでないらしい。黄昏《たそがれ》を待ちかねて、縁の御簾《みす》を捲かせ、端居《はしい》して夜風を待つのが唯一つの楽しみらしかった。
「この打水《うちみず》したあとへ、蛍が飛んだら、どんなに涼しかろ。於菊、蛍をつかまえておいで」
「蛍ですか」
「中国には、蛍がたくさんいた。ねえ、そなたも、知っているであろ。——蛍は、水辺じゃ。水のあるところへ行けば、きっといるでしょう。蛍をその蛍籠《かご》に、たくさん捕ってきてたも」
「水。……水のあるところ。……それはどこでございましょうか」
「お庭づたいに、ずっと北の方へ降りて、お櫓下《やぐらした》のうしろを通り、天神池のほうへ行ってごらん」
「えっ。——天神池ですか」
「怖いの」
室殿はおかしそうに笑った。
「いいえ。怖いわけではございません」
彼女は、蛍籠を抱いて、教えられた方角《ほうがく》を、星あかりの道に求めて行った。およそ城の中のわけても搦手《からめて》寄りの方は丘や林や浅い谷などもあって、夜などは殊に山の中を歩くのと少しもちがわなかった。