三
「於室《おむろ》、すぐ身支度をせい」
不意に、西の丸へ来て、村重は室殿へそういった。
室殿はあきれ顔して、彼のすがたを足もとから頭まで見上げた。村重は野外へ狩猟に行くときの一雑兵のような身ごしらえをしていた。
「……どこへですか。そんなおすがたで」
室殿は冷たい眼をした。無智に似てどこかふつうの女以上のするどい賢《かしこ》さもあるこの婦人は、とっさにある事態をもう直感した容子だった。
「どこでもよい。そなたも、できるだけ身軽に、裳《もすそ》もくくしあげて、わしと共に来い」
「いやです」
「なぜ」
「行く先もわからないところへなど行かれませぬ」
「そなたは常に、城外へ出たいと、口ぐせにいうていたではないか」
「お城の外へならようございます」
「城外へだ。城を出るのだ」
「……でも、おかしいではございませんか」
「どうして」
「殿さまは、ご城主でございましょうが。たくさんなご家中を、どうなされるおつもりですか」
「女の知ったことではない。が、安心のために、一言だけ聞かせてやる。作戦のためにわしがここを出た方がよいのだ」
「そして、どこへお移り遊ばすのですか」
「花隈城《はなくまじよう》へ」
「ではまた、わたくしの身も、その花隈へ押し籠めるおつもりでしょう。それなら同じこと、室《むろ》はここにおります」
「いや、兵庫まで行ったら帰してやる。あれから船へ乗せて」
「きっとですか。嘘はおさむらいの恥でございますよ」
「よしよし。かならず帰してやる。はやく支度をせい」
「——於菊《おきく》。於菊」
彼女は侍女部屋へ向って呼んだ。けれど於菊の答えはしなかった。ほかの侍女が来て、どうしたのか、菊どのはこの夕方から姿が見えないと告げた。
「殿さまがお隠しになったのではございませぬか。あれを連れて行かなければ私も参りませんよ」
室殿は勘《かん》のするどい眼で村重の面をにらまえた。村重はあわてて面を振りながらその顔色をごまかした。
「於菊はもう先へ行っておる。老臣たちの群れに加えて」
「うそでしょう」
彼女はなかなか信じなかった。村重のまずいことばで、それを信じこませるまでには、一刻の余もかかった。そのうちに、夜は初更《しよこう》をすぎた。庭の闇に、一かたまりの人影が、ひそかに佇《たたず》んで、村重の立座をうながした。
その夜の従者は、わずか六、七名の小人数だった。この人々が身辺に来ると、室殿にはもう何の文句も苦情もいわせなかった。なぜならばみな悲壮極まる顔つきして、その眼は殺伐《さつばつ》にみちていた。村重にたいしてはずいぶん駄々《だだ》をこねる室殿ではあったが、こうした家臣の武者たちに囲まれると、さすがにわなわな歩みも顫《ふる》え、ふかく被衣《かつぎ》をかぶった横顔も、さながら夕顔の花みたいに白かった。