返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 吉川英治 » 正文

黒田如水102

时间: 2018-11-16    进入日语论坛
核心提示:違和四「殿がおらぬというぞ」「なに。いないとは、どこに」「この城に」「ばかな」「いや、ほんとだ。昨夜、ひそかに、搦手《か
(单词翻译:双击或拖选)
 違和
 
「殿がおらぬというぞ」
「なに。いないとは、どこに」
「この城に」
「ばかな」
「いや、ほんとだ。昨夜、ひそかに、搦手《からめて》から出て、花隈城へお移りあったという」
「まったくか。それは」
「老臣の池田和泉どのから、たった今、慥《しか》と聞いた」
「何たること!」
 諸士は地に唾《つば》をして、宿老たちのいる所へ押しかけて来た。村重に説かれてやむなく居残った宿老荒木久左衛門、池田和泉は、口を極めて激昂《げつこう》する将士をなだめた。みなこれ味方の為の窮余《きゆうよ》の一策であり、万が一にも、殿が花隈城まで参って、海上へ船で脱し、毛利家の領内まで無事に達することができれば、折返して、かならず吉川、小早川の水軍が、大挙して救援に来る。——或いは海上をすでに摂津へ向って続々来つつある途中かもしれないのだ。それが到着しさえすれば、城外の織田軍などは半日のうちに囲みを解いて退散しよう。戦ってくれ。もう一息である。もう幾日かの辛抱《しんぼう》だ。ここでこの城を捨てては一年の籠城も諸士の働きもまったくの水泡に帰してしまう。——たのむ、といわぬばかりに、三老臣は、慰撫《いぶ》に努《つと》めた。声をからし汗をふきふき説得《せつとく》した。
「たとえどうあろうと、主の非を鳴らすは、家臣の道でない。またこの悲境を見て、戦いを避けるも卑怯《ひきよう》に似る。このうえは死あるのみだ」
 ようやくにして、家臣はそこへ落着いた。とはいえ内面的な動揺はやむべくもない。以来、城中の士気は、一葉一葉落ちてゆく晩秋の喬木《きようぼく》にも似ていた。脱走者は相継いでやまないし、城外からのさまざまな噂も寒風の如く入って来る。たとえば、
「某《なにがし》と某とは、すでに織田家方と通謀《つうぼう》している」
 とか、或いは、
「毛利方であった備前の浮田直家も、ついに款《かん》を織田家に通じ、ために毛利は境を脅威《きようい》されて、上方《かみがた》へ援軍に来るどころではない」
 というような類の諸説である。
 城中の将士も、初めのうちは、それらの風説も、敵側の撒《ま》いた虚説《きよせつ》として相戒《あいいまし》めていたが、次第にそれらの声も真相に近いことがわかり出して来た。
 その第一には、花隈城へ落ちて行ったといわれていた荒木村重が、そこまでも行き得ずに、尼ケ崎の城へ入ってしまったきりそこから動いていないことが分ったし、また、この伊丹に残った諸将のうちにも、以来、態度の一変した者も幾人かたしかにある。
 その変心ぶりの濃厚な者は中西新八郎という一将だった。中西を中心として、従前から村重にあきたらなかった伊丹兵庫頭やその次男の伊丹亘などが、さきに脱城した権藤亥十郎などと連絡して、何事か画策《かくさく》しているらしいのである。
「機先を制して、城中の変心組から先に討て」
 一面にはまたこういう空気も起った。当然、伊丹の一体は違和《いわ》を生じ、急速な自壊作用をしはじめた。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%