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黒田如水103

时间: 2018-11-16    进入日语论坛
核心提示:違和五 恃《たの》むべからざるものを恃んで、毛利方に捨てられた伊丹の城は、その城主村重からまた捨てられて残された将士の心
(单词翻译:双击或拖选)
 違和
 
 恃《たの》むべからざるものを恃んで、毛利方に捨てられた伊丹の城は、その城主村重からまた捨てられて残された将士の心は、まったくばらばらに離れ、いまは収拾《しゆうしゆう》もつかぬ弱体に化してしまった。
 宿老の荒木久左衛門は、織田方へ軍使をたてて、
「われわれどもの妻子眷族《けんぞく》を人質にさし出しましょう。それを以て、われら宿老どもが、尼ケ崎まで参ることをお見のがしねがいたい。要は、主人摂津守村重に会って、ここをも開城し、尼ケ崎や花隈城をも、無血開城いたすように、よくよくご意見をいたしてみます。——それでもなお摂津守が肯《き》き入れぬ場合は、われらが先鋒となって、きっと尼ケ崎も花隈も陥《おと》して、織田家の軍門に降るでありましょう。故に、万一主人摂津守が釈然《しやくぜん》と解けて、左右《そう》なく降伏に出られた場合は、どうかご助命の儀だけは伏しておねがい申しておく」
 という趣意《しゆい》を申し入れた。
 織田軍はこれをゆるした。で、荒木久左衛門と二、三の者は尼ケ崎へ奔《はし》ったが、その結果はどうだったのか、日を過ぎても、織田軍には何の答えもない。いや、あとに残された全城の将士にたいしてすら何の報告もないのである。
「もう何の策など要《い》ろうか。城外を掘り繞《めぐ》らす大袈裟《おおげさ》な土木なども中止してよかろう。一益《かずます》、てきぱきと、かねての計を行え」
 織田信忠は、滝川一益に、こう命じた。一益は根気のよい智将であり、信忠は撃破の気さかんな若い大将である。石橋をたたいて渡るような一益の戦略にもどかしくなったのも無理ではない。
「よろしいでしょう。機は充分に熟しておりまする」
 かねてから一益は、城中の中西新八郎を説いて、味方にひき入れてあるので、成算はすでに立っていた。ひそかに連絡を取って、日時を約し、
 ——内応の火の手をあげよ。
 と、促した。
 新八郎らの一味としては、その決行を待ちぬいていたほどだった。なぜならば、ようやく、自分たちの変心は城中の味方に勘づかれているふうだし、それらの者が激昂して、いつ不意打に出て来るか知れないような危険が、身に迫っていたからである。
 滝川一益から密々の指令は、十月十八日の夜とあったが、それまでは到底待ちきれないほど、険悪《けんあく》な実状にあったので、とうとう二日まえの十月十六日の夜、織田軍へ諜《しめ》し合わせる遑《いとま》もなく、無断で城中の一隅から火の手をあげてしまった。
「なお、二日間はある」
 として落着いていた城外の織田軍もあわてたが、より以上な混乱は、もちろん伊丹城の中にあって、
「さてこそ、変心組が仮面《かめん》を脱いだな」
「うぬ。先手を打って来たか」
 と、ひとつ城を坩堝《るつぼ》として、味方同士が相討ち相仆《たお》るるの惨を火炎の下に描き出したのである。いずれこうなる運命は予測されていたにせよ、余りに浅ましい刃と刃であった。
 夜陰ではあるし、この夜、風もつよかったので、炎はたちまち全城にひろがった。——そして、去年以来、獄中にあった黒田官兵衛のまわりにも、やがてその火光とすさまじい物音は刻々と近く迫っていた。
 
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