一
「歩く。自分で歩く。……放せ」
官兵衛はいった。そして起ち上がった。ふしぎな気力である。肉体の活動とはいえない。
しかし数歩にしてすぐ蹌《よろ》めいて仆れかけたのはぜひもない。脚も手も、節《ふし》のみ高い竹竿のような体である。
「あ、あぶない」
前へ廻って、栗山善助がわが背を向けて屈みこんだ。
「殿。善助が負《お》い参らせて、ご城外《じようがい》まで一気に駆け脱けまする。お縋《すが》り下さいませ」
官兵衛の細い手が、善助の胸へまわってつかまった。芋殻《いもがら》を負うて立つような軽さである。善助は、戦友の太兵衛、久左衛門をかえりみて、
「では走るぞ。殿を見失わぬよう、前後のご守護をたのむ」
獄中はもう黒白《あやめ》も分かたぬ黒煙であった。打ち壊した牢格子《ろうごうし》のあたりもすでに火焔《かえん》で塞《ふさ》がっている。母里太兵衛はさきに用いた角木材でふたたびそこを大きく破壊した。
すさまじい音と渦まく火の塵《ちり》を潜《くぐ》って、栗山善助は勢いよくそこを駆け抜けた。——と思ううしろで、衣笠久左衛門が、
「於菊《おきく》どのっ。——於菊どのが見えん。於菊どのっ」
と、熱風の中に立って、捜し求めている声がした。
思わず、善助も足を止めて、
「外ではないか。あの窓の下ではないか」
血まなこになっている久左衛門へむかって、共に案じながら叫ぶと、久左衛門は、
「主君のお身が大事。善助どの、太兵衛どのは、ここに関《かか》わらず先へ行ってくれ。——於菊どのの身は、わしが尋《たず》ねて後から出る」
と、遠くからいった。
「おうっ。先へ行くぞ」
善助と太兵衛は駆け出した。櫓《やぐら》はいまや焼け落ちんとしていた。そのほか殿廂楼台《でんそうろうだい》ことごとく火の濤《なみ》である。しかも城中いたるところにきらめく敵味方の槍と槍、太刀と太刀。また組んず解《ほ》ぐれつの肉闘《にくとう》や、一団の武者と一団の武者との陣列的《じんれつてき》な搏撃《はくげき》など、いまやここの終局は悽愴《せいそう》極《きわ》まる屍山血河《しざんけつか》を描いていた。