二
本丸から大手まではかなりの距離がある。それに勝手不案内なので善助と太兵衛は方角を間違えたらしい。内門は出たが、さいごの城門が見つからなかった。火に趁《お》われ、軍勢に阻《はば》められ、思うままに駆けられないせいもある。そのうちに、
「待てっ。織田の者よな」
一とかたまりの武者が白刃《はくじん》をそろえて前を塞《ふさ》いだ。みな面《おもて》や全身を血にそめている死にもの狂いの荒木勢《ぜい》である。殊に、うしろへ駆け廻った幾名かは、栗山善助の背に眼をつけて、
「負《お》うているのは、獄《ごく》に繋《つな》がれていた黒田官兵衛であろう。おのれはそれを奪《と》りに来た者か」
と、官兵衛の足くびを掴んで、力まかせに引き戻した。
善助は太刀を揮《ふる》って、片手撲《かたてなぐ》りにうしろの敵を斬った。その武者の絶叫《ぜつきよう》は、返り血とともに、善助の面を打ったが、敵が勢いよく仆れるのと一緒に、官兵衛の体も善助の背を離れて、諸倒《ともだお》れに大地へ転んでいた。
「殿を。殿を。——善助、殿だけを」
敵の中から叫んでいるのは味方の母里太兵衛なのだ。その姿も見えないほどな数の中に没《ぼつ》して彼は善戦に努めていたが、ただ主人官兵衛の身だけがうしろの気懸《きがか》りであるらしかった。
しかしこの時、忘れていた盟友《めいゆう》たちの声がどこともなく聞えた。藤田甚兵衛、後藤右衛門、長田三助などの面々にちがいない。
「善助ここか」
「来たぞ、太兵衛」
戦友を力づけて、喚《わめ》くや否、ほとんど、わき目もふらぬ姿で、荒木勢の中へ突込んで来たのである。
槍は飛ぶ。陣刀は折れる。噛《か》みつく。撲《なぐ》り合う。
荒木勢とはいえ、あの村重の家臣とはいえ、ここまで籠城を堅持し、「城と共に」の義を捨てなかった者だけに、いわば粒選《つぶよ》りの剛《ごう》の者《もの》どもであった。
一味の助勢が加わっても、彼はまだ屈《くつ》しない。せめて黒田官兵衛の首をみやげとして、最期《さいご》の華《はな》を飾ろうとするかのような猛戦力を発して来る。
けれどもそれとて一瞬の死闘だった。たちまち荒木勢の数が減じ出した。城門附近にいた内応組《ないおうぐみ》の伊丹亘が居あわせた足軽組《あしがるぐみ》をひきつれて来て、荒木方の武者を、圧倒的な兵数で叩きはじめたのである。
この激戦のうちに、いちど地上に抛《ほう》り出されていた官兵衛は、そばに落ちていた槍を拾って、それを杖に立ち上がった。逃げる気ではない。戦う気である。蹌《よろ》めき蹌めき敵と覚《おぼ》しき人影へ穂先《ほさき》を向けて、歩いていた。
——が、それも十歩か二十歩。すてんと、勢いよくまた仆《たお》れた。こんどは起てなかった。左の脚の関節《かんせつ》あたりから出血している。引っくり転《かえ》された亀のような形をして、官兵衛はまだ利《き》く片脚と両手の槍を振りまわしていた。