三
ひややかな夜気は彼を一たんの昏絶《こんぜつ》から呼び醒《さ》ましていた。官兵衛は気がついたまま、ぽかんと眸をうつろに天へ向けていた。
自己の意志だけを以てどうにもならない長い獄中生活は、彼にある生き方を習性づけていたかも知れない。怒濤《どとう》の中にあっては怒濤にまかせて天命に従っていることである。しかも断じて虚無という魔ものに引き込まるることなく、どんな絶望を見せつけられようと心は生命の火を見失わず、希望をかけていることだった。いやそうしてその生命と希望をも越えて、いよいよという最期にいたるもこれに乱されない澄明《ちようめい》なものにまで、天地と心身をひとつのものに観じる修行でもあった。
「……わしは世の中に新しく生れ出たらしい」
ぽかんとした眼の奥で、官兵衛はいまそんなふうに思った。
美しい星がいっぱいに見えるのだ。世は秋であり、夜空は銀河を懸けている。
「何たる大きな空だろう」
生れたての嬰《あか》ん坊《ぼう》のように、彼のひとみは驚嘆《きようたん》して、この世の美に打たれている。知らず識らず眦《まなじり》から涙がながれて止まらない。涙は耳の穴をもこそぐった。この知覚《ちかく》さえ生きている証拠《しようこ》ではないか。有難さにまたも新しい泉がこんこんと涙腺《るいせん》を熱する。
「……乗っているのは戸板かな?」
やっと、そんな考えにまで及んで来た。しきりに体が揺れている。ぎしぎし、ぎしぎし、と何か軋《きし》む音がする。
「そうだ担架《たんか》にのせられて、何処かへ担《にな》われてゆくのだ。さて、何処へ運んで行ってくれるのか」
何の悶えも疑いも抱こうとしても抱かれない。胸に問えば胸はただ感謝のみを答えるのであった。あたかもいにしえの聖賢のごとく、心は太虚《たいきよ》に似、身は天地の寵児《ちようじ》のごとき気持だった。