一
黒田官兵衛は健在なり。官兵衛は無事帰陣せり。という声は、たちまち味方の壕塁《ごうるい》に伝わった。難攻不落の敵城に対して、かなり長陣の疲れを見せていた味方も、ために一脈の新しい士気《しき》を加えた。彼の復帰はそれだけでも大きな意義があった。さきに松千代を伴《つ》れて、この中国へ下っていた竹中半兵衛も、報《し》らせをうけるや否、秀吉の陣屋へ来て、
「さても、お久しいことでござった。今日、こうして無事な姿が見られようとは、まことに、禍福《かふく》は糾《あざな》える縄のごとしとか。人生の不測《ふそく》、分らないものですな」
例のごとく、口少なく、表情のない彼であったが、友の再生をよろこぶ精神的な真実さにかけては秀吉以上なものすらあった。
その夜、秀吉は、小宴《しようえん》を催《もよお》して、
「この陣中にも、何もなくなって来たが、壺酒《こしゆ》乏しければ風趣《ふうしゆ》を酌むじゃ。久しぶり水入らずで——」
と、主従三名、鼎座《ていざ》になって、夜の更くるまで語りあった。
山の秋は寒かった。官兵衛もなお自重して多くを飲まないし、半兵衛もほとんど杯を手にしないほどである。陣屋の廂《ひさし》から映《さ》す月光のせいとも思われたが、官兵衛は余りに白い半兵衛重治の面が案じられて、ふとこう訊ねた。
「——時に、あなたのご病気の方は、幾分かお快《よろ》しいのですか。——今日一日は、何やら自分の無事ばかり祝されておったが」
「いや、それがしの体は、どうも相変らずです……」
と、半兵衛は自己の痩躯《そうく》をかえりみながら、自ら憫笑《びんしよう》を与えていった。
「所詮、この病身は、不治のものと、医師も匙《さじ》を投げておるようです。しかし、百年生きても遭《あ》い難き名主にお会いし、ただ長寿《ちようじゆ》だけしても得難い良友を持ち、更には、またなき時世に生を得て、すでに三十六歳まで生きたのですから、天にたいして不足を思う筋合もありませぬ」
事実、半兵衛の病状は、この晩も、体に熱があって、折々悪寒《おかん》を催していたほどだった。
彼が、療養中の身を推《お》して、再びこの戦場へ戻ってきたのは、病が癒《い》えたためではなく、その病の不治と、死期の遠くないことを覚《さと》ったからであった。武将と生れて、畳の上で死ぬは口惜しい限りであると思い極め、松千代を伴って、中国へ下るとともに、それを機会に、秀吉の側へ帰っていたものである。
秀吉も、彼の病状が、以前と較べて、少しも快《よ》くなっていないことを察して、深く案じていたが、半兵衛の姿には、死生を諦観《ていかん》して澄み徹《とお》っているような気高さがあった。秀吉のことばもその覚悟の体《てい》をうごかすことはできなかった。