四
「殿。何かご思案ですか」
「官兵衛か。——下手な考えは休むに似るという。茫然《ぼうぜん》、不落の敵城を見ていたまでのことよ」
「近ごろ、折々、黙然《もくねん》と不興におわすご容子は、いかにもご精気なく仰がれますな」
「それほど元気がないように見ゆるか。……どうもいかぬ」
秀吉は、呟くと、急に面を振って、快活を呼びもどそうとするように笑った。
「いかぬのは、何が、いかぬのでございますか」
「さればよ。今以て、ふと、うつろになると、半兵衛重治の面影が、忘れ難《がた》のうて困る。愚痴には似るが——重治あらばと、身の智慧《ちえ》なさが、嘆かれるのじゃ」
「はて。煩悩《ぼんのう》な」
「まったく、わしは煩悩だな」
「いや、そう仰っしゃりつつ、一面、この官兵衛に、何ぞ無策《むさく》なる、はや良計を出しそうなものとの、ご叱咤《しつた》ではございませぬか」
「はははは。そう取ってもさしつかえない」
二人は哄笑《こうしよう》した。実際、半兵衛重治を失ってからの秀吉は、一時ぼんやりしていた。女々《めめ》しいほど、何かにつけて半兵衛の思い出をよく語るのである。まして、ある折には、こうまでにいった。
(彼の死を見たことは、この筑前《ちくぜん》にとって、たとえば蜀《しよく》が孔明《こうめい》を亡《な》くしたよりも大きな悲しみだろう)と。
——そう聞く度に官兵衛は、死んだ友がねたましくさえあった。かくまで良臣を愛慕《あいぼ》する秀吉の情に打たれながら、一面には、重治の信望がそれほどまで厚かったかを思うのであった。
(片腕をなくして落胆している主の為に、これから自分が両腕ともならなければならない)
と彼は密《ひそ》かに誓うのであったが、それは余りに気負い過ぎているようで口には出せないものだった。
今も今とて。
秀吉が自分に無言でいっているものは、眼前にある敵の鉄壁《てつぺき》にちがいないのである。——官兵衛、何とかもう陥《おと》す工夫はないのか——という催促《さいそく》なのだ。あせりなのだ。このあせる理由も、両三日前から官兵衛はよく察している。
なぜならば、信長の方から、数日前に。
——摂津方面一円は、すでに諸事落着。荒木一類の掃滅《そうめつ》も完了した。ときに、長攻久しき中国の三木城は如何に。
と、いう通告に添えて、ここの戦況をも問い合わせて来ているからであった。
信長の焦《じ》れ気味は、即《すなわ》ち、秀吉の焦躁ともなるはいうまでもない。——で、官兵衛は夙《つと》にその事について、眠る間も肝胆《かんたん》をくだき、ついに一策を思いついて、おとといからそれに懸り、ようやく今、その端緒《たんしよ》を得て、これへ諮《はか》りに来たものであった。
「敵の三木城内に、後藤将監基国なるものがおるのを、殿にも、お聞き及びでございましょう」
「後藤基国は、主将別所小三郎の老臣であるが、それが何としたか」
「昨夜、参りました」
「どこへ」
「それがしの陣所へ。——ひそかに城内から脱けて」
「なに。後藤が投降して来たというか」
「どう致しまして。彼は、荒木一類のごとき卑怯者《ひきようもの》ではありませぬ」
「では、何しに来たのか」
「——実は、それがしと相識の小森与三左衛門は、後藤将監の次席におります者ゆえ、矢文《やぶみ》をつかわして、会談を求め、彼の手引に依って、密かに、後藤とも面会いたし、その効《か》いがあって、昨夜深更、ことし八歳になる我が子を郎党に負わせて訪ねて来たものでござります」
「——子を負うて?」
「はい。基国の一子です。それを敵のそれがしに託し、自分はふたたび城中へ帰りました。……殿。三木城の陥ちるのもはや両三日を出でませぬぞ」
「まことか」
「何でいつわりを」
「どうして、そういえるか」
「城中にはもう食うべき草も木の皮もありません、馬の屍も、鼠すらも食い尽しておりまする」
「兵糧米の涸渇《こかつ》はすでに幾月も前からだが、しかもなお、城兵の意気はあのように旺《さか》んである。死を決しているあの意気で打って出られたら、たとえ城は取り得るまでも、味方の損害は容易なものではすまぬ。……それを考えに容《い》れてのことか」
「決死の鉾先《ほこさき》をうけては堪《たま》りません。故に、それを避くべきで、それがしの苦慮《くりよ》もそこにあります」
「では、汝の思う所、即ち、我が思う所だ。どうするか」
「こよい、これから、私が城内に参って、主将の別所小三郎と、一族の者に会い、篤と談じつけます。——まず、荒木も潰《つい》え、その荒木をすら、毛利が捨てて見殺しにしたではないかと、あきらかに利害成敗を諭《さと》して、説き伏せて参りまする」
「さあ。まる二年も、頑張った敵、そのような口舌だけではどうかな……?」
「何か、お心許なく思し召される点がありましょうか」
「あるなあ」
「どういう点が」
「また、智者が智に囚《とら》われて、伊丹の城の二の舞をせねばよいがと思う」
「ははは。その事は、誰よりもてまえが懲《こ》りていることです。このたびは、ご懸念《けねん》には及びませぬ。——何となれば、老臣の後藤将監、小森与三左衛門など、すでにそれがしとの意見の一致を見、ある少数だけの犠牲《ぎせい》を以て、全城の将士を助けたいものと、彼から希《ねが》っていることでありますから」
官兵衛の言は自信にみちていた。