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黒田如水130

时间: 2018-11-16    进入日语论坛
核心提示:城なき又坊二 解決は、年をこえた。そして、城主別所小三郎以下の切腹と開城とは、愈《いよいよ》、正月十七日と決定した。 そ
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 城なき又坊
 
 解決は、年をこえた。そして、城主別所小三郎以下の切腹と開城とは、愈《いよいよ》、正月十七日と決定した。
 その前日、秀吉は、酒の樽《たる》三荷《か》と、多くの食物とを、城中へ寄贈した。
 小三郎はよろこんで、翌朝、使者を以て、こう礼をつたえて来た。
「昨夜は、ご芳志《ほうし》の馳走に、妻子、兄弟、老臣、それらの女房子どもまでを一殿にならべ、皆楽しく、今生《こんじよう》の思い出など語らいあい、明日《あ す》の別れをも告げおうて、心ゆくまで名残りを惜しみました。——今日、申《さる》の刻《こく》には、小三郎以下、お誓約の如く、切腹仕《つかまつ》りますれば、慥《しか》とお見とどけを願いたい」
 秀吉側から検死《けんし》が出向いた。
 城中は大勢の手で塵一つないように清掃されてあった。時刻が近づくと、城主小三郎は、まだ若い夫人やその乳のみ子までに死装束《しにしようぞく》を着せ、弟の彦之助、その他、一族とともに、広間を死の座として居流れていた。
 ところが、その中の一名で、しかも三木一城の今日の運命を招来《しようらい》した発頭人《ほつとうにん》であるところの別所賀相《よしすけ》が、いつのまにか姿をかき消していた。
「叔父御のおすがたが見えぬが」
 と、小三郎を始め、死ぬべき人々も、心懸《こころがか》りに待っていたが、何で起って行ったのか、賀相はいつまでも戻って来なかった。
 ——自分を説いて、強って織田軍に叛《そむ》かせ、毛利によしみを通じて、今日の破滅を求めさせた責任者でもあり、また一族の中では最も重きをなしている叔父である。いかに疑おうとしても、この期《ご》に卑劣な行いがあろうとは、小三郎には何としても考えられないことだった。
 だが、不幸にも、その、よもやと思っていたことのほうが中《あた》っていた。程なくこれへ、激昂《げつこう》した家臣の一群がどやどやと来て、大廊下にひざまずき、みな涙をふるって、たった今、掻き斬って来たばかりの賀相の首をそこへおいて、一同から小三郎に詫びた。
「今朝ほどから腑《ふ》におちぬご容子を見ておりましたところ、果たして賀相殿には、何とかして生命を助からんものと思われたか、お櫓の下に火を放けておられるのです。余りなるご卑怯につい激して、かくの通りわれわれの手でお首にいたしてしまいました。——お詫びには、一同の者もここで腹を切ってお供を仕りますれば、何とぞおゆるし下さいませ」
 哭《な》きむせぶ者もあるし、早くもふところを打寛《うちひろ》げて、自刃しようとする者もある。
「待てっ。お汝《こと》らは一人とて、勝手に死ぬことはゆるさぬ」
 小三郎は叱咤して制した。
「何のために今日、小三郎一族どもが歓んで腹を切るかを思うてみい。その歓びを少しなりと大きくいたしてくれよ。叔父御の振舞《ふるまい》は、別所一族の名に、可惜《あたら》、一点の泥をなすったもの、もし天がこれを見れば天も誅《ちゆう》し、地これを知れば地も怒《いか》ろう。お汝《こと》らが手にかけたとはいえ、それは予に代ってなしたものだ。何で科《とが》といおう、罪と呼ぼう」
 小三郎はいいつつ起ち上がって、広縁まで歩み出で、庭上いっぱいに平伏して別離を惜しんでいる将士へ向いしずかに頭《かしら》を下げた。
「共々、二年のあいだ、籠城中の皆のはたらきは、前代未聞《みもん》のことであった。草木の根を食い野鼠死馬の骨を舐《ねぶ》りおうて戦ったことも、今はなつかしくもあり、正しく武門のほまれといえるものぞ。ただこの城の主将として、その志に、何の報いもせで去る小三郎のふつつかはゆるしてくれ。われらの相果てた後は諸士相扶け、各将来を求め、かりそめにも叔父賀相《よしすけ》のような汚名をのこすなよ。……それと、今日のわれらの身をよい訓《おし》えとして、ひとたび誓うた節義を更《か》えるな。時勢《じせい》のゆくてを見誤るなよ。わしの滅亡は若年のためその先見がなかったに依るのだ。小三郎がよい鑑《かがみ》であるぞ」
 いい終って座にもどるや否、彼はすぐ脇差《わきざし》を取上げてきれいに腹を切っていた。
 妻、その子、弟の彦之助も、相次いで、紅《くれない》の中に伏した。一族の三宅肥前、老臣の後藤将監基国、小森与三左衛門なども尽《ことごと》く殉《じゆん》じた。
今はたゞ恨みもあらず諸人《もろびと》の命に代るわが身と思へば
 は、小三郎長治《ながはる》の辞世《じせい》であった。また、まだうら若い彼の妻が詠《よ》み遺《のこ》した一首には、
もろともに消えはつるこそうれしけれおくれ先だつ習ひなる世を
 こういうとき女性の覚悟が男子を凌《しの》ぐような例はままある。別所賀相《よしすけ》の妻もそうした潔さをこの時に示した一人だった。彼女は良人の醜《みにく》い死際《しにぎわ》を知ってもみだれず騒がず、小三郎夫妻の死を見とどけてから、男女三人の幼な子を膝に寄せると、目をふさいで母の手で刃を加え、後、われとわが喉を突いて自害した。そしてその傍らに書き遺した短冊には、
のちの世の道もまよはじいとし子を我が身にそへて行くすゑの空
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