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黒田如水131

时间: 2018-11-16    进入日语论坛
核心提示:城なき又坊三 秀吉は即日、一書を封じて、早馬に託《たく》した。三木城陥落《かんらく》を、信長の許へ急報したものであること
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 城なき又坊
 
 秀吉は即日、一書を封じて、早馬に託《たく》した。三木城陥落《かんらく》を、信長の許へ急報したものであることは言を俟《ま》たない。
 さきには、荒木を征伐し、いままたこの戦果をうけ取ったので、安土は凱歌《がいか》に沸いた。「信長記」にはその状況を記《しる》してこういっている。
別所三人ノ頸、安土ヘ進上、御敵タルモノハ、悉ク御存分ニ属シ、御威光ナカナカアゲテ数フベカラズ。併セテ筑前一身ノ覚悟ヲ以テ、大敵ヲカクノゴトク退治ナサレ候ノ事、武勇トイヒ、調略トイヒ、弓矢ノ面目之ニ過グベカラズ。
 しかし、世人の眼は、信長のなした荒木村重の始末と、秀吉がなした三木城の結末とを、必ずしも、同じに視ていなかった。
「信長公が自身攻めつぶして行かれた後は、草木も枯れてしまう酷《きび》しさだが、筑前守が攻め陥したあとには、何となく寒土から木や草の芽が萌《も》え出るようなものが残る。いったいこれは何の違いだろうか」
 そのころから世人の気もちの中には、漠然《ばくぜん》とではあるが、こういう観察がどこかに根ざし始めていた。
 ——とはいえ、秀吉の地位は、柴田、丹羽、滝川などの諸将に比しては、なおまだ遥かに低かった。ただこの戦果を挙げて以来、
「筑前もさる者」
 と、それらの重臣たちからも、いささか従来の眼をあらためられたことは確実である。尠《すく》なくも彼をさして猿々と呼ぶが如き者は、自分に恥じて、次第に減って来たことだけは明らかであった。
「——半兵衛重治に見せたかったよ」
 三木城へ入城して、あちこち検分《けんぶん》した日、秀吉は沁々《しみじみ》いった。
 官兵衛も、それを思い出していたところである。心のうちで、故人を偲び、今日の事を、その霊に告げていた。
「なるほど、この要害では、容易に陥ちなかったわけだ。ここを自分の拠城《きよじよう》とさだめて、中国の経略に臨むもいいな」
「いや、いけません」
「いけないか」
「さればです。守るには、要害無双《ようがいむそう》といえましょう。しかし、交通の不便、四山の偏狭《へんきよう》、政治の地ではありますまい」
「もっともだ。その点、秀吉の住むには適さぬな」
「わが姫路こそ、殿のお城とするに足る条件をすべて備えておるといえましょう」
「しかし、彼処には、御辺の家族が住んでおるではないか」
「いや、お忘れですか。それがしが初めて岐阜へ参ったとき、姫路は中国攻略の足場として、いつでも献上いたす旨を、信長公の前でお約束いたしておいたことを」
「くれるというのか。うム……姫路か」
「海路の便もよし、うしろは書写山、増位山を負い、城下の河川、街道の往還《おうかん》、申し分はありません」
「官兵衛。お国自慢だの」
「いや、てまえが誇りたいのは、もっとべつなものにあります」
「何か? それは」
「厳父。よい女房。忠義な家臣。それを一にした家風でござる。住居を移すといえども家風はなくなりませぬ。父宗円や妻子をおく所は、べつに小構え一ついただけばそれで結構にぞんじまする」
「もらおう。——では早速、お汝《こと》は姫路へもどって、曲輪《くるわ》など新たに普請《ふしん》してくれい」
「それまで、当所におられますか」
「荒壁なりと塗り上がったらすぐこの地から姫路へ移ろう。春三月にはできるだろうな。筑前は気がみじかい。急いでくれよ」
「では、早速、出立いたしまする」
 数日の後、官兵衛は、姫路へ立った。従者十数名を連れ、道中は乗り更え馬と、例の陣輿との両方を携えていた。
 久し振りの帰家である。さきに松千代は帰してあるが、彼としては、伊丹遭難後、初めてわが家へ帰るのだった。
 馬に乗るにも、陣輿の上にいるときも、彼は膝の前に、ひとりの孤児を抱いていた。少年はことし九歳《ここのつ》になった。
 去年、三木落城のまえに、別所の老臣後藤将監基国から、一夜ひそかに、
(あなた以外に、この子の末をおたのみ申すお人はない。三木落城のときは、いずれは城とともに相果てる身、頑是《がんぜ》ないこの一子まであの世へつれてゆくに忍びぬので、煩悩とおわらいもあろうが、家臣の端へなと置かれて、どうか成人までお育《はぐく》みをねがいたい)
 と、敵の将から託された一子なのである。
「又坊、何をぽかんとしているのだ。さびしいか」
「ううん」少年は首を振って——「何ともない」
 と、ぶっきら棒な返辞をした。しかし大人の官兵衛には、子供のわりに至極無口なこの少年のひとみが淋しげに見えてならなかった。
「わしを父と思え。死んだ基国から、お前の父に成り代ってくれと頼まれたわしじゃ。父と思うておるか」
「ううん」又坊は首を振った。
「思っておらんか」
「ええ」と、うなずいて、体をもじもじさせた。官兵衛の膝にいるのは窮屈らしいのである。
「姫路へゆけば、おまえの友達になれる者がいるぞ」
 と、いったりしたが、又坊は楽しまなかった。それからやっと彼の心を察して、こんどは母里太兵衛や栗山善助の仲間にあずけ、列の中に加えて勝手に歩かせておくと、急に元気になり出して、見ちがえるほどはしゃいだり馬の尻尾《しつぽ》に悪戯をしたりし始めた。
「ははは。子供はやはり、陣輿には飼えんなあ」
 官兵衛もかえって明るい気持になった。この一孤児が、黒田という一家風のうちに育まれて、成人の後、後藤又兵衛基次と世に称《よ》ばれるような男になろうとは、このときまだその寸芽《すんが》の色すら誰の眼にも見えなかった。
 
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