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平の将門32

时间: 2018-11-24    进入日语论坛
核心提示:空蝉贈呈 いまは無人で、いと荒れ古びてはいるが、ここの邸が、宏大なのは、ふしぎではない。純友の祖父、藤原遠経《ふじわらの
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 空蝉贈呈
 
 
 いまは無人で、いと荒れ古びてはいるが、ここの邸が、宏大なのは、ふしぎではない。純友の祖父、藤原遠経《ふじわらのとおつね》の代に建てられた館である。
 遠経は、陽成《ようぜい》、光孝の二帝の朝に権威をふるって、大氏族藤原の繁栄をひらいた関白基経《かんぱくもとつね》の弟である。
 基経の次男、時平《ときひら》は、左大臣の栄職にのぼり、菅原道真と、廟堂に権を争って、ついに道真を駆逐したほどな政治的手腕の男であった。
 いまの、小一条の左相忠平は、父や兄の余光を継いだものにすぎない。無能とは、いわれながらも、氏の長者、宮廷の権与、ふたつながら、しかし、彼のものだ。
 ——ところが、おなじ摂関家の孫でいながら、藤原純友は、父良範《よしのり》の代から、地方官に追いやられていた。それでも良範はまだ、大宰少弐《だざいのしように》ぐらいまでは、勤めたが、純友にいたっては、伊予の僻地で——六位ノ掾という低い官位のまま捨て子みたいに、都から忘れられている。
 純友は、不平にたえない。
「なんだ、忠平ごときが」
 伊予にいても、中央の政令といえば、私情の反抗心が手つだって、素直に、服従する気になれなかった。
 殊に、南海方面には、中央の威も、とどいていない。彼はつねに、
「おれの父は、左大臣忠平の従兄だ。彼の無能は、父はよく知っていた。画や管絃は、器用だが、とても政治などのできる男じゃないといっていた」
 周囲の者に語っていた。そして、政令を批判し、悪政を、罵倒していた。
 こういう彼に、いつか、一味の党がつくられて来たのも、自然である。
 強権を発して、未納税を取りたてにきた中央の徴税船を襲って、税物の奪り返しをやったりし出して、いよいよ、純友の名は、四国では、英雄視されていた。
 捨ててもおけず、官では、先ごろ、問罪使をさし向けて、純友以下——五、六名の共犯者を、都へ拉して来たのである。
「おれを、罰するというのか」
 純友は、朝《ちよう》に出て、主税や刑部官たちを、へいげいした。摂関家の孫にあたり、左大臣忠平とは、あきらかな、縁につながる彼である。もてあまして、官でもついに、うやむやにしてしまった。説諭は、純友の方から、いいたいほどいって、退きさがった。
「どうだ。そのあとで、おれに、伊予の掾から介へ、一階級ほど、昇格の辞令をいってよこした。……忠平が、うしろにあって、おれの宥《なだ》め料というつもりなのだろう。およそ、中央の政情とは、こんなところだ。滑稽とも、ばからしいとも、いいようはない」
 こよい、不死人や、ほかの人々の前でも、彼は、こういって、笑いぬくのであった。そして、
「どうせ、官費で上洛のついでだ。なお、滞京して、秋までは、遊んで行こう」
 とも、語っている。
 胆の太さ、人もなげな大言、小次郎は、ただ聞き惚れるばかりである。
 いや、もっと小次郎が、驚いたのは、紫陽花の君の藍子を、不死人たちに、盗ませたのも、この仲間うちの、紀秋茂の入れ智恵だったという事である。その秋茂も、小野氏彦も、津時成も、また八坂の不死人も加えて、すべてここに会している二十四、五歳から三十前の公達どもは、その所在と、放縦や悪行ぶりこそ、各ちがうが、時代の下の、一連の不平児、反抗児であることには変りがない。
 ——夜も更けた。小次郎は、主人を、思い出した。
「帰るのか」と、不死人は、彼の容子を見て「——女は、二、三日うちに、紫陽花の壺へ帰してやるから、腑抜けの大臣に、そう告げて、おぬしも、褒美を取ったがいいぞ。氏の長者なんていう奴ほど、肚は吝《し》みッたれだから、よこせと、押しづよく、いわねばだめだ。おぬしは、気が弱い。強くなれ、強く」
 と、けしかけた。
 すると、純友や秋茂たちが、そういう不死人の横顔をながめながら、意味ありげに、笑いあった。
「女は、返すだろうが、女のからだは、元のとおりでは、返すまい。不死人のことだ。さんざん、楽しんだあげく、空蝉《うつせみ》みたいな女のぬけ殻を、持って行くにちがいない。忠平に、そのあとを贈呈するのはおもしろい。……小次郎、おぬしも、あの大臣の顔を、時々、ながめるだけでも、愉快だろうが、しかし、いうなよ、その事は」
 小次郎は、晩《おそ》く、小一条へ、帰った。
 次の朝、彼のみそっと、紫陽花の壺へ呼ばれた。ただひとりで、庭さきに、うずくまっていると、忠平は、病人みたいな顔して、廊にあらわれた。
「どうじゃった? ……小次郎。彼女《あ れ》は、返してよこすであろうな」
 訊くにさえ、小声である。しかし、小次郎の返事を得て、忠平は、大げさに、眉をひらいた。まるで、よくきく薬でものんだように、機嫌をよくして、
「そうか。……イヤそうであったか。大儀大儀。二、三日あとになっても、ぜひはない。安堵したぞよ。彼女の体さえ、戻るとわかれば」
 そして、なお、こういった。
「そちも、当家に仕えて、はや六年ほどにはなるのう。あとで、家司の臣賀に、申しておこう。……きょうよりは、小次郎を、青侍《あおざむらい》にとりたてて、遠侍《とおざむらい》の間において、働かせいと」
 これは、思いもうけない、恩命であった。小次郎として、これがもし、紫陽花の君の事件がない前であったなら、地にぬかずいて、感泣したかもしれなかった。けれど彼には、ゆうべの純友たちのことばが思い出されて、感涙よりは、おかしさが、こみあげていた。
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