きょうの大法要に、義清も、もちろん参列していた。
眼《ま》のあたりに、彼は、川中島で討死した人々のたくさんな遺家族を見た。
老いたる父母、今からは親のない幼き者たち、乳飲《ちの》みを抱いている白き面の妻、その甥、その叔父、その姪など、無数の縁者を、きょうの法筵《ほうえん》に見た。
一山の高徳天室、宗謙、その他の衆僧が、曹洞最大な法華《ほつけ》をささげて、英魂の冥福をいのるあいだも、義清は、ひとみをあげて、それの壇を仰ぐことができなかった。また、眼をそらして、伽藍《がらん》の廊上階下に満ちている多くの遺家族たちを正視できなかった。
(これもみな帰するところ、自分が越後に遁《のが》れて来たために生じたこと)
と、ひとり問い、ひとり責め、居ても立ってもいられないような心持になっていた。
ひとたびそういう自責を抱いてからは、耳元に鳴る鐘も、戦歿三千余魂が声をあげて、自分を責めるかと思われ、義清は生きている空もない心地だった。
実のところ、彼はすでに、林泉寺にいるうちに決意していた。剃髪《ていはつ》して仏門に入ろう。そして争闘興亡の圏内《けんない》から遁れ去ろう。同時にかつての栄門に還る夢望を捨て、一切の執着《しゆうじやく》を洗い、上杉家の長い恩顧を謝して、飄乎、高野の塵外《じんがい》へかくれよう。
そうすれば、ふたたびこの大きな犠牲はなくなる。今までの償《つぐな》いには、ひたすら故人の冥福を祈って生涯する。沙門に入ってそれを詫びる。
「……かように思い決めたのでござりまする。今日まで、殆ど、この流寓《りゆうぐう》の孤客を、お身内同様に思し召され、連年、多大の軍費と将士の尊い血を以て、義清を御庇護下された大恩は死しても忘れはいたしませぬ。が、これ以上、おびただしい人命を捨てさせ、遺《のこ》る御家中の人々に嘆きをかけては、義清、いかにお詫びしてよいやら分りませぬ。また、ふたたび祖先の地へ還り得るとしても、独りの歓びとすることはできません。一切、ことばには尽せぬが、御愍察《ごびんさつ》あって、私の身勝手、どうかおゆるし賜わりますように」
縷々《るる》として、義清は、衷心《ちゆうしん》のものを吐いた。
謙信は、ややしばし、うす眼をとじて、聞いていたが、彼が、その苦衷を長々と述べ終ると、初めて、刮《くわつ》と、瞼《まぶた》をひらいた。
「だまれ。……義清どの。だまんなさい」
声はひくい。
しかし、実に、盤石をもって、そっと頭から圧するような声調であった。