「はっ。……はいっ」
義清は思わずおののいた。
日常の謙信公はまるで女性のようだとたれもいう。その人から畳のうえでこれほど恐い眼を向けられたことは、九年のあいだでも初めてであった。
謙信は決して猛《たけ》らない。吠えない。けれどいかに静かな声のうちにも、怒りはふくむものである。たしかに、彼は怒っていた。
「何をいうか。何をいわるるのだ。だまって聞いておれば、あなたは戦《いくさ》というものを、さながら人間の物好きか、退屈人の気散じの如く心得ておられるらしい」
「め、滅相もない。不肖、村上義清ほど戦の艱苦を、つぶさに嘗《な》めて来たものはございませぬ。戦の惨禍は、骨髄にまで、知り尽している身なればこそ」
「やかましい」
「は……」
「よいお年をしながら、愚かないたずらに舌をうごかされな。戦とは、一個の村上義清が、わずか国を追われたぐらいで、知り尽したなどといえるほど、簡単なものでもなし、そのような意義の小さいものでもない。あなたの口吻《こうふん》から察すればあなたは戦の中をただ通って来たに過ぎないようだ。真の戦とは、何か、まだ御存知ないらしい」
「……左、左様でしょうか」
「混沌《こんとん》たるお顔色だな。かくいわれて初めて、真の戦とは何か、御不審を抱かれたであろう。嗤《わら》うべし。あなたは、この謙信が、九年にわたる信玄との血戦を、ただ其許《そこもと》に頼まれたための義心一片と思いこんでいられたか。……何で。何で」
謙信は声を放たずに肩で笑った。そしてなお荘重な語をつづけていう。
「考えてもごらんなさい。応仁以後、宇内の暗黒は、各地に割拠《かつきよ》する豪族たちから、遅々《ちち》、自覚されて、東海に徳川、織田の起《た》つあり、西海に、毛利、大内の起るあり、甲山に信玄、ここに謙信、相模に北条、そして駿遠の堺に、今川氏の一朝に瓦滅《がめつ》するなどあって、今や日本のうごきは、急潮に変り、急激に大革新を示そうとしている。かかる時代のうしおの中に、いかに信濃の名族たろうと、一個の村上義清が亡ぼうと興ろうと、死のうと生きようと、何の問題でもない。この日本のうごきにとっては、大海にただよう藁一本の存在でしかない」
特に、語尾をつよめた。
義清は真っ蒼になっている。聞き澄ますその薄い耳たぶにも血の色はなかった。
「——さるにこの謙信が、何故信玄と長年戦って来たかと申せば、元来、謙信には謙信の信条があってのことです。自分、年二十三にして、初めて、国内平定の業一まず備わり、微勲《びくん》天聴《てんちよう》に達するところとなり、畏《かしこ》くも、叙位任官の優寵を賜う。——微賤、遠くに坐《いなが》ら、またひとたびの朝覲《ちようきん》もせず、さきに優渥《ゆうあく》なる天恩に接す。勿体なきことの極みと、すなわち翌年、万難を排し、上洛して、闕下《けつか》に伏し、親しく咫尺《しせき》を拝し、また天盃《てんぱい》を降しおかる。……実に謙信が弓矢把《と》る身に生れた歓びを知ったのはこのときにであった。戦わん、戦わん、この土にうけた生命《いのち》のあらん限りはと、戦うことの尊さ、戦うことの大なる意義、それらのことどもも、同時に、肝に銘じ、心魂《しんこん》に徹し、わが生涯は御階《みはし》の一門を守りて捨てん。悔いはあらじと、深く深く心に誓うて退京いたした」
「…………」
「爾来、謙信の弓矢は、それ以外に、つがえたことはない。こえて永禄二年初夏、ふたたびの上洛にも、その前の折にも、畏くも、綸旨《りんじ》を降しおかれ、隣境の乱あらば討つべし、皇土をみだし、民を苦しめるの暴国あらば赴《おもむ》いて平定せよと、不才謙信に身にあまる御諚《ごじよう》であった。およそ臣子の分として、この叡慮《えいりよ》にお応《こた》え申し奉らざるものやあろう。遠く、この北越の辺隅にあっても、一日とて、そのありがたい優諚《ゆうじよう》をわすれたことはない。いわんや、兵をうごかすの日においては——」
夜は時雨《しぐれ》となったらしい。雨樋《あまどい》をあふれる雨だれの音が烈しく軒下を打つ。
禅家にも似た道者羽織、鶯茶の頭巾《ずきん》、室に妻もない謙信であったが、烈々、こういう問題に真情を吐き出してくると、そのひとみは実に若い。ともすれば義清とともに涙を沸《たぎ》らせてしまいそうであった。しかし義清の眼は飽くまで小乗小愛の悩みに溺れ、彼の眼は大乗の海にも似て、満々たる涙をたたえながらも、なお仰ぐ人をして、何か洋々たる未来と暖味《あたたかみ》を抱かしめる。