「それまでの御心事とは、こよい初めて伺いました。志の小、身の至らなきにひき較《くら》べ、義清はただ恥じ入るのほかございませぬ。……要《い》らざる小人の煩《わずら》い事をお耳にいれ、折角の静夜をお邪《さまた》げ仕りました。どうぞおゆるし措《お》きを」
彼は心から詫びた。
また、蒙《もう》を啓《ひら》かれて、謙信のなして来た戦が、何を志し、何を意義しているものかを、初めてはっきり覚《さと》り得た。
そうとわかると、連年、甲州との合戦が、一村上義清のために起ったものと考えていたことは、義清自身、恥ずかしくなって、消えも入りたいここちだった。
謙信はことばを和《やわ》らげて、
「いやいや、わしこそ、思わず今宵はちと激語を吐いた。実申せば、このたびの川中島の大戦に、年来手飼《てがい》の家の子郎党など、可愛ゆきもの三千余名を失うて、この謙信も人知れず、愁心癒《い》やし難いものがある。いや、心に受くるその傷《いた》みにおいては、御許《おもと》よりも、誰よりも、謙信こそはその重責と傷心に深く自らを鞭打つものだ。ましてや今宵のごとく、戦のあと、いとど寂やかに時雨《し ぐ》るる夜などは」
と短檠《たんけい》の灯にじっと、眸《ひとみ》をこらして、なおいおうとしたが、義清の惨心に思いを遣り、またあまりにいい過ぎては味もないとするように。
「……察しられい。此方の心中も」
「よくわかりました。お察しいたしまする」
「されば、たとえこの後、いよいよ戦場に屍《しかばね》を積み、この越後一国、夫なき妻と、父なき子らに満とうとも、何ぞ、それは一個御身のせいではない。身ひとりのためかのように気を小さく萎《な》められるな。それよりは、其許《そこもと》のいのち一つも、謙信がいのち一つも、息あるうち、いかに大きく捧げ奉らんかを、朝暮に都の方へ向って念ぜられよ」
その夜のはなしはそれだけであった。けれど村上義清は、わが邸にもどってからも、終夜《よもすがら》謙信のことばを想い、その心事を玩味《がんみ》してみた。そして何かしらここ十年来は忘れていたような快い安らかな眠りにひきこまれた。
この日までは、戦といえば、ただ惨たるもの、激しいもの、苦痛なもの、犠牲を出すものとのみしか考えられていなかったのが、にわかに、大きな意義に行当って、今や弊悪《へいあく》の脱殻、次への建設など、戦によらねば成しとげられない日本国全土の改耕《かいこう》こそ、戦であって、それに流す血も、それに埋める白骨も、すべてただその忠業に帰一してゆくものなることを彼も覚《さと》ったのである。
以来、義清は、眠るにも、安らかな鼾《いびき》をかき、醒《さ》めても快活になり、また戦う日には、なおさら大らかに先頭へ立ち、年五十過ぎてからいよいよ勇敢であったという。