日语童话故事 日语笑话 日语文章阅读 日语新闻 300篇精选中日文对照阅读 日语励志名言 日本作家简介 三行情书 緋色の研究(血字的研究) 四つの署名(四签名) バスカービル家の犬(巴斯克威尔的猎犬) 恐怖の谷(恐怖谷) シャーロック・ホームズの冒険(冒险史) シャーロック・ホームズの回想(回忆录) ホームズの生還 シャーロック・ホームズ(归来记) 鴨川食堂(鸭川食堂) ABC殺人事件(ABC谋杀案) 三体 失われた世界(失落的世界) 日语精彩阅读 日文函电实例 精彩日文晨读 日语阅读短文 日本名家名篇 日剧台词脚本 《论语》中日对照详解 中日对照阅读 日文古典名著 名作のあらすじ 商务日语写作模版 日本民间故事 日语误用例解 日语文章书写要点 日本中小学生作文集 中国百科(日语版) 面接官によく聞かれる33の質問 日语随笔 天声人语 宮沢賢治童話集 日语随笔集 日本語常用文例 日语泛读资料 美しい言葉 日本の昔話 日语作文范文 从日本中小学课本学日文 世界童话寓言日文版 一个日本人的趣味旅行 《孟子》中日对照 魯迅作品集(日本語) 世界の昔話 初级作文 生活场境日语 時候の挨拶 グリム童話 成語故事 日语现代诗 お手紙文例集 川柳 小川未明童話集 ハリー・ポッター 新古今和歌集 ラヴレター 情书 風が強く吹いている强风吹拂
返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 吉川英治 » 正文

上杉謙信93

时间: 2018-11-29    进入日语论坛
核心提示:大義大私 川中島大戦後、もうひとつ謙信の気宇《きう》をあらわしたものがある。斎藤下野、黒川大隅などの甲州に捕われていた使
(单词翻译:双击或拖选)
 大義大私
 
 
 川中島大戦後、もうひとつ謙信の気宇《きう》をあらわしたものがある。斎藤下野、黒川大隅などの甲州に捕われていた使者の一行が、信玄の寛度《かんど》によって、無事、越後に帰って来てからである。
 彼の寛度に対し、謙信ももちろん寛大な処置を早速にとった。国中に監禁している甲州方の隠密数十名を、春日山の城下に寄せ、
「おまえ達も主命をうけてこの越後に紛《まぎ》れ入り、空《むな》しく捕われて、獄中しか見て帰らなかったとあっては、主人にも不面目だろうし、身寄りや朋友にも肩身が狭かろう。越後表にはさして要害という要害もないが、そちこち見たいところを見てまいるがよい」
 と、奉行から達しさせ、役人が連れて、彼らを幾組にもわかち、三日ほど諸所見物させたうえ、旅費を持たせて、国外へ送還してやった。
「いかに信玄が、わが方の使者に、寛度を示したからとて、それは正当に使者として甲州へ赴いたもの。こちらの放したのは、すべて始末のわるい敵の隠密。こんどの御処置は、あまり御寛大に過ぎたようだ」
 非難というのではないが、憂いのあまりに、家中にはこういう声も多少あったが、越後領から放された甲州乱波《らつぱ》の面々は、
「もういかん。二度と春日山の城下へは入りこめない。三日のあいだ、白昼、あのように諸所を歩かされて、城下の女子《おんなこ》どもにまで、この顔をありありと見覚えられては、どう身扮《みなり》を変えても次にはすぐ見顕《みあら》わされてしまう」
 といいあいつつ、また謙信の度量にも惧《おそ》れをなして、這々《ほうほう》のていで甲州へ帰り去ったということであった。
 これを見ても謙信の戦が、ただの自己の遺恨とか利己の侵略でなかったことが窺《うかが》える。彼は敵兵すら日本の一民と観ていた。もののあわれを知る兵家《へいか》だった。敵といい味方というも、この日本国の内においてながしあう血はことごとくみなこの国の大生命ひとつに帰するものでしかないことを達観していた。村上義清の気の弱さを叱ったのもそれだし、敵の乱波に宥《いた》わりをかけたのもそういう心根が肚にすわっているからであった。
 けれど彼はやはり兵家である。絶対に勝たねばならぬことを誓っている。だからたとえ敵方の乱波にそんな処置をとったにもせよ、それが味方の禍いになるような愚《ぐ》は断じてしない。むしろ彼のとった処置は、後々、越後の国防をかえって強化したことになっていたようだ。
 そのほか、彼の一令一言、四十九歳を以て、この世の終焉《しゆうえん》を告げる日まで、事々日常の行いすべて、戦に勝つためのものだった。
 勝たねば、自分がない、自分がなくては、理想の実現は遂げられない。自己を愛すこと、日常の慎み、身の養生にいたるまで、彼ほど忠実な人は武将には稀《まれ》であろう。
 かくはいえその自己は、尋常一様な自己ではない。私利私欲の自己とはちがう。謙信そのものは、すでに謙信一個人でなく、彼が生命をうけた国とひとつものになりきっている。——いわゆる公儀の人、公人の範をそこに持していたのである。
 彼が年夭《わか》くから早くもこういう大義大私に到達していたのは、何といっても、両度の上洛がその信念をかたく誓わせたものにちがいない。二十四歳、越後の辺境から遥かに都へ上って、天顔に咫尺《しせき》し、また当年の落莫《らくばく》荒涼たる御所の有様や朝儀の廃《すた》れや幕府の無力や人心の頽廃《たいはい》など——見るもの聞くものに若い心を打たれながら——実に彼の大志は泉のごとく噴き出したものだった。そのとき上杉謙信なるものの生涯はすでに決していたのである。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%