二
ところへ、案じてかけてきたのは、小文治《こぶんじ》だった。
「若君のお身は?」
「しまッたことになった。船はないか、船は」
「あの八幡船のあとを追うなら、とてもむだです」
「たとえ遠州灘のもくずとなってもよい! 追えるところまでゆく覚悟《かくご》だ。たのむ、早くだしてくれ」
「小船は一|艘《そう》ありますが、八幡船のゆく先ばかりは、いままで領主《りようしゆ》のご用船が、死に身になって取りまいても、霧《きり》のように消えて、つきとめることができないほどでござります」
「ええ、なんとしたことだ——」
と、思わずどッかり腰をおとしてしまった龍太郎《りゆうたろう》は、われながらあまりの不覚に、唇《くちびる》をかみしめた。
小文治《こぶんじ》は、それを見ると、不用意なじぶんの行動が後悔されてきた。母をうしなった悲しさに、いちずに龍太郎を下手人《げしゆにん》とあやまったがため、このことが起ったのだ。さすれば、とうぜん、じぶんにも罪《つみ》はある。
かれは、いくたびかそれをわびた。そして、あらためて素性《すじよう》を名のり、永年よき主《しゆ》をさがしていたおりであるゆえ、ぜひとも、力をあわせて伊那丸《いなまる》さまを取りかえし、ともども天下につくしたいと、真心《まごころ》こめて龍太郎にたのんだ。
龍太郎も、よい味方を得たとよろこんだ。しかし、さてこれから八幡船《ばはんせん》の根城《ねじろ》をさがそうとなると、それはほとんど雲にかくれた時鳥《ほととぎす》をもとめるようなものだった。——むろん小文治《こぶんじ》にも、いい智恵《ちえ》は浮かばなかった。
「こうなってはしかたがない」
龍太郎はやがてこまぬいていた腕から顔をあげた。
「お叱《しか》りをうけるかもしれぬが、一たび先生のところへ立ち帰って、この後の方針をきめるとしよう。それよりほかに思案はない」
「して、その先生とおっしゃるおかたは」
「京の西、鞍馬《くらま》の奥《おく》にすんではいるが、ある時は、都にもいで、またある時は北国の山、南海のはてにまで姿を見せるという、稀代《きたい》なご老体で、拙者《せつしや》の刀術《とうじゆつ》、隠形《おんぎよう》の法なども、みなその老人からさずけられたものです」
鞍馬《くらま》ときくさえ、すぐ、天狗《てんぐ》というような怪奇が聯想《れんそう》されるところへ、この話をきいた小文治《こぶんじ》は、もっと深くその老人が知りたくなった。
「龍太郎《りゆうたろう》どのの先生とおっしゃる——そのおかたの名はなんともうされますか」
「まことの姓《せい》はあかしませぬ。ただみずから、果心居士《かしんこじ》と異号《いごう》をつけております。じつはこのたびのことも、まったくその先生のおさしずで、織田徳川《おだとくがわ》が甲府攻《こうふぜ》めをもよおすと同時に、拙者《せつしや》は、六部《ろくぶ》に身を変じて、伊那丸《いなまる》さまをお救いにむかったのです。それがこの不首尾《ふしゆび》となっては、先生にあわせる顔もないしだいだが、天下のこと居《い》ながらにして知る先生、またきっと好いおさしずがあろうと思う」
「では、どうかわたしもともに、お供《とも》をねがいまする」
「異存《いぞん》はないが、さきをいそぐ、おしたくを早く」
小文治は、家に取ってかえすと、しばらくあって、粗服《そふく》ながら、たしなみのある旅支度《たびじたく》に、大小を差し、例の朱柄《あかえ》の槍《やり》をかついで、ふたたびでてきた。
「お待たせいたしました。小船は、わたしの家のうしろへ着けておきましたから……」
という言葉に、龍太郎がそのほうへすすんで行くと、小船の上には、ひとつの棺《かん》がのせてある。
武士《ぶし》にかえった門出《かどで》に、小文治《こぶんじ》は、母の亡骸《なきがら》をしずかな湖《うみ》の底へ水葬《すいそう》にするつもりと見える。
と、あやしい羽音《はおと》が、またも空に鳴った。はッとしてふたりが船からふりあおぐと、大きな輪《わ》をえがいていた怪鳥《けちよう》のかげが、潮《しお》けむる遠州灘《えんしゆうなだ》のあなたへ、一しゅんのまに、かけりさった。