二
陸《おか》のほうでは穴山梅雪入道《あなやまばいせつにゆうどう》が白旗《しらはた》の宮《みや》のまえに床几《しようぎ》をすえ、四天王《してんのう》の面々を左右にしたがえて悠然《ゆうぜん》と見ていた。
と、かれの貪慾《どんよく》な相好《そうごう》がニヤニヤ笑《え》みくずれてきた。——湖水の中心では、いましも鉤《かぎ》にかかった獲物《えもの》があったらしい。多くの小船は、たちまちそこに集まって鉤《かぎ》をおろし、エイヤエイヤの声をあわせて、だんだんと浅瀬《あさせ》のほうへひきずってくるようすだ。
伊那丸《いなまる》と忍剣《にんけん》が智恵《ちえ》をしぼって世の中からかくしておいた宝物《ほうもつ》も、こうして、苦もなく発見されてしまった。まもなく梅雪入道の床几の前へ運ばれてきたものは、真青《まつさお》に水苔《みずごけ》さびたその石櫃《いしびつ》。
「殿さま、ご苦心のかいあって、いよいよご開運の秘宝《ひほう》もめでたく手に入りました。祝着《しゆうちやく》にぞんじまする」
里人たちに恩賞《おんしよう》をやって追いかえしたのち、民部《みんぶ》はそばから祝《いわ》いのことばをのべた。
「そのほうの手柄《てがら》は忘れはおかぬぞ。この宝物に伊那丸の首をそえてさしだせば、いかにけちな家康《いえやす》でも、一万|石《ごく》や二万|石《ごく》の城地《じようち》は、いやでも加増するであろう。そのあかつきには、そのほうもじゅうぶんに取りたて得《え》さす」
「かたじけのうぞんじます。しかし、お望みの物が手にはいったからは、いっこくもご猶予《ゆうよ》は無用、この場で伊那丸《いなまる》を首にいたし、あの鎖《くさり》駕籠《かご》へは宝物のほうを入れかえにして、寸時もはやく家康公《いえやすこう》へおとどけあるが上分別《じようふんべつ》とこころえます」
「おお、きょうのような吉日《きちじつ》はまたとない。いかにもこの場できゃつを成敗《せいばい》いたそう、その介錯《かいしやく》もそちに命じる! ぬかるな!」
「はッ、心してつとめます」
梅雪《ばいせつ》の目くばせに、きッとなって立ちあがった民部《みんぶ》はすばやく下緒《さげお》を取って襷《たすき》となし、刀のつかにしめりをくれた。そのまに、二、三人の郎党《ろうどう》は、小船の板子《いたご》を四、五枚はずしてきて、武田伊那丸《たけだいなまる》の死の座《ざ》をもうけた。
「これこれ、せんこくの小娘もことのついでじゃ。そこへならべて、民蔵《たみぞう》の腕だめしにさせい。旅の一|興《きよう》に見物いたすもよかろうではないか」
宮《みや》の根《ね》もとにくくりつけられていた咲耶子《さくやこ》は、罪人のように追ったてられて、板子《いたご》のならべてあるとなりへすえられた。彼女は、もうすっかり覚悟を決めてしまったか、ほつれ髪もおののかせず、白《しら》百合《ゆり》の花そのままな顔をしずかにうつむけている。
いっぽうでは、鎧《よろい》の音をさせて、ずかずかと迫っていった四天王《してんのう》の面々が、例の鎖《くさり》駕籠《かご》のまわりへ集まり、乗物の上からかぶせてある鉄の網《あみ》をザラザラとはずしはじめた。
長い道中のあいだ日のめを見ることなく、乗物のうちにゆられてきた伊那丸は、いよいよ運命の最後を宣告され、悪魔《あくま》の断刀《だんとう》をうけねばならぬこととなった。四天王《してんのう》の天野刑部《あまのぎようぶ》は、ガチャリ、ガチャリと荒々しく錠《じよう》の音をさせて、駕籠《かご》の引き手をグイとおし開《あ》け、
「伊那丸《いなまる》、これへでませいッ」と、涙もなく、ただの罪人でも呼びだすようにどなった。
が——駕籠《かご》のなかは、ひっそりとして音もない。
「やい、伊那丸、さッさとこれへでてうせぬか」
猪子伴作《いのこばんさく》は、次にこうわめきながら、駕籠の扉口《とぐち》を土足《どそく》ではげしくけとばした。と、足《あし》もとが、不意に軽くすくわれたので、伴作はあッといってうしろへよろめく。
すわ!
殺気はたちまちそこにはりつめた。天野《あまの》、佐分利《さぶり》、足助《あすけ》の三人は、陣刀《じんとう》のつかを握《にぎ》りしめつつ、駕籠口《かごぐち》へ身がまえた。