一
梅雪入道は、みだれ立つ郎党《ろうどう》たちの足もとを、逃げまわりながら、
「曲者は武田《たけだ》の残党《ざんとう》だッ。伊那丸《いなまる》を逃がすなッ」
と絶叫《ぜつきよう》した。
民部《みんぶ》はその姿をおって、
「おのれッ」
無《む》二|無《む》三に斬《き》りつけようとしたが、佐分利五郎次《さぶりごろうじ》にささえられ、じゃまなッ、とばかりはねとばす。そのあいだに、天野《あまの》、猪子《いのこ》、足助《あすけ》などが、鉾先《ほこさき》をそろえてきたため、みすみす長蛇《ちようだ》を逸《いつ》しながら、それと戦わねばならなかった。
いっぽう、民部にかかりあつまった雑兵《ぞうひよう》は、伊那丸《いなまる》のほうへ、バラバラと、かけ集まったが、それよりまえに、咲耶子《さくやこ》が、腰の縄《なわ》を切るがはやいか、伊那丸の手をとって、
「若君。早く早く」
と、よりたかる武者《むしや》二、三人を斬りふせながらせきたてた。
とたんに背《せ》なかから、一人の武者がかぶりついた。伊那丸は身をねじって、ドンと前へ投げつけ、かれのおとした陣刀をひろいとるがはやいか、近よる一人の足をはらって、さらに、咲耶子へ槍《やり》をつけていた武者を斬ってすてた。
すべては一瞬《いつしゆん》の間《あいだ》だった。
伊那丸じしんですら、じぶんでどう動いたかわからない。穴山《あなやま》がたの郎党《ろうどう》も、たがいに目から火をだしての狼狽《ろうばい》だった。そして白熱戦の一瞬がすぎると、だれしも命《いのち》は惜《お》しく、八ぽうへワッと飛びのく。——
ひらかれた中心にあるのは、伊那丸と咲耶子とである。二人は背なかあわせに立って、血ぬられた陣刀と懐剣《かいけん》を二方にきっとかまえている。
目にあまるほどの敵も、|うか《ヽヽ》と近よる者もない。ただわアわアと武者声《むしやごえ》をあげていた。すると、あなたから加勢にきた四天王《してんのう》の足助主水正《あすけもんどのしよう》。
「えい、これしきの敵にひまどることがあろうか」
大身《おおみ》の槍《やり》に行き足つけて、伊那丸《いなまる》の真正面へ、タタタタタッ、とばかりくりだした。
伊那丸の身は、その槍先《やりさき》に田楽刺《でんがくざ》しと思われたが、さッとかわしたせつな、槍は伊那丸の胸をかすって流るること四、五尺。
「あッ」
片足を宙《ちゆう》にあげてのめりこんだ主水正、しまッたと槍をくりもどしたが、時すでに、ズンとおりた伊那丸の太刀《たち》に千|段《だん》を切りおとされて、無念《むねん》、手にのこったのは穂《ほ》をうしなった半分の柄《え》ばかり。
「やッ」
捨鉢《すてばち》に柄を投げつけた。そして陣刀をぬきはらったが、たびたびの血戦になれた伊那丸は、とっさに咲耶子と力をあわせ、いっぽうの雑兵《ぞうひよう》をきりちらして、湖畔《こはん》のほうへ疾風《しつぷう》のようにかけだした。