二
まもなく、かれはゆうべの夢を実行して、京から大阪《おおさか》、大阪から奈良《なら》の空へと遊びまわっている。町も村も橋も河も、まるで箱庭《はこにわ》のような下界《げかい》の地面がみるみるながれめぐってゆく。そのあげくに、ふと思いついたのは、おととい忍剣《にんけん》のいったことばである。
「オオそうだ、なんでもきょうあたりは、富士《ふじ》の裾野《すその》に大そうどうがあるはずだ。おいらはまだ生まれてから戦《たたか》いというものをみたことがない。これから一つ裾野までとんでいって、勇ましいところを空から見物してやろう」
つねづね、果心居士《かしんこじ》からよくお叱言《こごと》ばかりいただいているくせに、竹童はもう鞍馬山《くらまやま》へ帰るのもわすれて、こんな大望《たいもう》をおこした。思いたっては、矢《や》も楯《たて》もたまらないかれだった。すぐその足で、富士の姿《すがた》を目あてに鷲《わし》をとばした。いかなる名馬で地を飛ぶよりも、こうして空中を自由に飛行する快味は、まるでじぶんがじぶんでなく、生きながら、神か仙人《せんにん》になったような愉快《ゆかい》さである。——だが、ここまできたときとちがって、鷲はそれから先|一向《いつこう》竹童の自由にならない。富士の裾野とは方角《ほうがく》ちがいな、北へ北へと向かって、勝手に雲をぬってとぶ。
「やい、クロ。そんなほうへいくんじゃない、こらッ、こらッ、こらッ!」
竹童はあわてて、いくどもいくども、方向をかえようとしたが、さらにききめがなく、地上へもどらんとしても、いつものようにスラスラと降《お》りてもくれない。ああいったいこれはどうしたことだ。
「チェーッ、畜生《ちくしよう》、畜生、畜生」
かれはクロの上でかんしゃくをおこし、じれだし、最後にベソをかきだした。
そもそも今日《きよう》は竹童《ちくどう》にとっていかなる悪日《あくび》か、ベソをかくことばかり突発する日だ。しかし、そう気がついてももうおそい、いくら泣いてもわめいても、鷲《わし》に一身をたくして雲井の高きにある以上、クロの翼《つばさ》がつかれて、しぜんに大地へ降りるのをまつよりほかはない。それはまだよかったが、泣き面《つら》に蜂《はち》、つづいておそるべき第二の大難が起ってきた。
すでに今朝から陰険《いんけん》な相《そう》をあらわしていた空は、この時になって、いっそうわるい気流となり、雷鳴《らいめい》とともに密雲の層《そう》はだんだんとあつくなって、呼吸《いき》づまるような水粒《すいりゆう》の疾風《しつぷう》が、たえず、さっさつとぶっつかってきた。
そして、鷲《わし》が雲より低くいくときは、滝のごとき雨が竹童の頭からザッザとあたり、上層《じようそう》の雲にはいるときは白濛々《はくもうもう》の夢幻界《むげんかい》にまよい、髪《かみ》の毛も爪《つめ》の先も、氷となって折れるような冷寒《れいかん》をかんじる。しかも、クロはこの難行苦行《なんぎようくぎよう》にも屈《くつ》する色なく、なおとぶことは稲妻《いなずま》よりもはやい。
すると漠々《ばくばく》たる雲の海から、黒い山脈の背骨《せぼね》が|もっこり《ヽヽヽヽ》と見えだした。竹童はどうにかして、ここから降りようと苦策《くさく》を案じ、いきなり手をのばして鷲《わし》の両眼をふさいでしまった。
人間でも目をふさいでは歩けないから、こうしてやったらきっと止《と》まるだろうという、竹童《ちくどう》が必死《ひつし》の名案《めいあん》、はたせるかな鷲《わし》もおどろいたさまで、糸目のくるった凧《たこ》のようにクルクルッとめぐりまわりだした。かれの計略《けいりやく》が図《ず》にあたって急に元気よく、
「もうこっちのものだぞ、しめた、しめた」
とよろこんだが、あわれそれも束《つか》の間《ま》。
たちまち鳴りはためいた雷《いかずち》が、かれの耳もとをつんざいた一せつな、下界《げかい》にあっては、ほとんどそうぞうもつかないような朱電《しゆでん》が、ピカッピカッと、まつげのさきを交錯《こうさく》したかと思うまもあらばこそ。
「あッ」
といった竹童のからだは、おそるべき稲妻《いなずま》の震力《しんりよく》にあって、鷲の背なかからひッちぎられた、そしてまッさかさまとなって、いずことも知れぬ下へ一直線におちていくなと見る間《ま》に——追いすがった鷲の嘴《くちばし》は、いきなりパクリと竹童の帯《おび》をくわえ、|わら《ヽヽ》か小魚《こうお》でもさらっていくように、そのまま、模糊《もこ》とした深岳《しんがく》の一|角《かく》へ、ななめさがりにかけりだした。