一
富士の二|合目《ごうめ》をはなれ、いっきに、五湖の水明かりをのぞんで飛行していた竹童《ちくどう》は、夜の空から小手《こて》をかざして、しきりに、下界《げかい》にある伊那丸主従《いなまるしゆじゆう》のいどころをさがしている。
「オオ暗い、暗い、暗い。天もまッ暗、地もまッ暗。これじゃいったいどこへ降《お》りていいんだか、お月さまでもでてくれなきゃア、けんとうがつきあしない」
大空で迷子星《まいごぼし》になった竹童は、例の、寝るまもはなさぬ棒切《ぼうき》れを右手《めて》にもち、左の手を目のはたへかざして、鷲《わし》の上から、
「オオーイ、オオーイ」と、とうとう声をはりあげて呼びだした。
しかし、竹童の声ぐらいは、竹童じしんが乗っている鷲の羽風《はかぜ》に消《け》しとばされてしまった。そのかわり、人ではないが、はるかな地上にあたって、馬のいななくのが高く聞えた。
「おや、馬のやつが返辞《へんじ》をしたぞ」
と、つぶやいたが、その竹童のかんがえはちがっている。動物は動物にたいして敏感であるから、いま、下のほうでいなないた馬は、ここにさしかかってきた闇夜《あんや》飛行の怪物の影に、おどろいたものにそういない。
けれど竹童《ちくどう》は、馬が答えたものと信じて、いきなり、棒切れをピューッと下へふった。と、クロはたちまち身をさかしまにして、ツツツツ——と木《こ》の葉《は》おとしに降《お》りていく。
「あ、ここはどこかのお宮の庭だな……」
鷲《わし》からおりて、しばらくそのあたりをあるいていた竹童は、やがて、拝殿《はいでん》からもれるほのあかりをみとめ、そッと忍《しの》びよってみると、たしかに六、七人のささやき声がする。
「いた!」かれは思わず叫んで、
「おじさん! おじさんたち」
呼ぶ声と一しょに、拝殿のなかにいた者は、どやどやと、それへでてきて、七つの人影をあらわした。
「何者じゃッ」と竹童をねめつけた。
「おいらだよ、鞍馬山《くらまやま》の竹童だよ」
「おお、竹童か」
ほとんど、そのなかの半分以上の者が、口をあわしてこういった。木隠龍太郎《こがくれりゆうたろう》も、忍剣《にんけん》も、民部《みんぶ》も蔦之助《つたのすけ》も小文治《こぶんじ》も竹童にとればみな友だちだ。
ただ、床几《しようぎ》にかけて、かれを見おろしていた伊那丸《いなまる》だけが、すこし解《げ》せないようすである。
「龍太郎《りゆうたろう》。そちたちはこの童《わらべ》をよう知っているようじゃが、いったいどこのものであるの」
「さきほどお話しもうしあげました、果心居士《かしんこじ》の童弟子《わらべでし》でござります」
「おおあれか」
伊那丸はニッコリして竹童《ちくどう》を見なおした。竹童もニヤリと笑って、ともするとなれなれしく、じぶんの友だちにしてしまいそうだ。
「これ竹童、伊那丸君《いなまるぎみ》のおんまえ、つッ立っていてはならぬ、すわれすわれ」
「いや、そう叱《しか》らぬがよい、鞍馬《くらま》の奥《おく》でそだった者じゃ、その天真爛漫《てんしんらんまん》がかえって美しい。したが、おまえはここへ、何用があってきたのか」
「はい」竹童はかしこまって、
「お師匠《ししよう》さまのおいいつけでござります」
「なに、果心《かしん》先生からここへお使いに?」
「さようでござります。みなさまは、きょう穴山梅雪《あなやまばいせつ》をお討《う》ちになって、さだめしホッとなされたでござりましょうが、勝って兜《かぶと》の緒《お》をしめよ、ここでごゆだんをなされては大へんでござります」
「む、伊那丸はけっしてゆだんはしておらぬぞよ」
「では、湖水の底から引きあげた石櫃《いしびつ》の蓋《ふた》をとって、なかをあらためてごらんになりましたか」
「いや、ほかのところへかくしたものとちがって、湖底へ沈めておいた石櫃、あらためるまでもない」
「ところが、お師匠《ししよう》さまの遠知の術では、どうも、石櫃のなかの宝物《ほうもつ》にうたがいがあるとおっしゃいました。それゆえ、にわかにお師匠さまにいいふくめられて、この竹童《ちくどう》が、鷲《わし》の翼《つばさ》のつづくかぎり、とびまわったのでござります。どうぞみなさま、いっこくもはやく、石櫃をおあらためくださいまし」
「さては、それが伊那丸《いなまる》のゆだんであったかもしれぬ。忍剣《にんけん》、忍剣、ともあれ石櫃をここへ。また、小文治《こぶんじ》と龍太郎は、あるかぎりのかがり火をあたりにたき立ててください」
「はッ」
席を立った者たちが三つ脚《あし》のかがり火を、左右五、六ヵ所へ炎々《えんえん》と燃したてるまに、忍剣は、さきに梅雪《ばいせつ》の郎党《ろうどう》たちが、湖底から引きあげておいた石櫃をかかえてきて、やおら、伊那丸のまえにすえた。
「こう見たところでは、蓋《ふた》の合口《あいくち》に異状《いじよう》はないが」
「青苔《あおごけ》がいちめんについているさまともうし、一ども人の手にふれたらしい点はみえませぬ」
「とにかく、蓋《ふた》をはらってみい」
「心得《こころえ》ました」
と忍剣《にんけん》は立ちあがって、グイと法衣《ころも》の袖《そで》をたくしあげ厳重な石の蓋《ふた》をポンとはねのけてみた。