一
まさに、夜は子《ね》の刻《こく》の一|天《てん》。
人穴《ひとあな》の殿堂《でんどう》をまもる、三つの洞門《どうもん》が、ギギーイとあいた。
と、そのなかから、焔々《えんえん》と燃えつつながれだしてきたのは、半町《はんちよう》もつづくまっ赤な焔《ほのお》の行列。無数の松明《たいまつ》。その影にうごめく、野武士《のぶし》、馬、槍《やり》、十字架《じゆうじか》、旗、すべて血のように染《そ》まって見えた。
なかでも、一|丈《じよう》あまりな白木《しらき》の十字架は、八人の手下にゆらゆらとささえられ、すぐそばに呂宋兵衛《るそんべえ》が、南蛮錦《なんばんにしき》の陣羽織《じんばおり》に身をつつみ、白馬《はくば》にまたがり、十二|鉄騎《てつき》にまもられながら、妖々《ようよう》と、裾野《すその》の露《つゆ》をはらっていく。
すすむこと二、三|里《り》、ひろい平野のまン中へでた。呂宋兵衛は馬からひらりと降《お》り、二、三百人の野武士を指揮《しき》して、見るまにそこへ壇《だん》をきずかせ、十字架を立て、かがり火を焚《た》いて、いのりのしたくをととのえさせた。
「念珠《コンタツ》を念珠《コンタツ》を、これへ——」
呂宋兵衛は、まえにもいったとおり、南蛮《なんばん》の混血児《あいのこ》でキリシタンの妖法《ようほう》を修《しゆう》する者であるから、層雲《そううん》くずれの祈祷《きとう》も、じぶんが信じる異邦《いほう》の式でゆくつもりらしい。
手下の者から、念珠《コンタツ》をうけとったかれは、それを頸《くび》へかけ、胸へ、白金《はつきん》の十字架をたらして、しずしずと壇《だん》の前へすすんだ。
護衛《ごえい》する野武士たちは、しわぶきもせず、いっせいに槍《やり》の穂《ほ》さきを立てならべた。なかにはきょう味方についた穴山《あなやま》の残党《ざんとう》、足助主水正《あすけもんどのしよう》、佐分利《さぶり》五郎次、その他の者もここにまじっている。
壇《だん》にむかって、七つの赤蝋《せきろう》をともし、金明水《きんめいすい》、銀明水《ぎんめいすい》の浄水《じようすい》をささげて、そこにぬかずいた呂宋兵衛《るそんべえ》は、なにかわけのわからぬいのりのことばをつぶやきながら、いっしんに空の星を祈《いの》りだした。
すると、どこからともなく、ザッ、ザッ、ザッ、ザッと草をなでてくるような風音《かざおと》。つづいて、地を打ってくる馬蹄《ばてい》のひびき。
「や!」かれはぎょっと、頭をあげて、
「あの物音は? あのひびきは? おお馬だッ、人声だ。ゆだんするな!」
叫《さけ》ぶまもなく、ピュッ、ピュッと、風をきってくる霰《あられ》のような征矢《そや》。——早くも、四面の闇《やみ》からワワーッという喊声《かんせい》が聞えだした。
「さては武田伊那丸《たけだいなまる》がきたか」
「いやいや咲耶子《さくやこ》が仕返しにまいったのだろう」
「うろたえていずとかがり火を消せ、はやく松明《たいまつ》をすててしまえ、敵方の目じるしになるぞ」
あたりはたちまち暗瞑《あんめい》の地獄《じごく》。
ただ、燃えいぶった煙と、ののしる声と、太刀や槍《やり》の音ばかりが、ものすごくましていった。
もう、どこかで斬《き》りあいがはじまったらしい。
星明かりをすかしてみると、敵か味方か入りみだれてよくわからないが、白馬《はくば》黒鹿毛《くろかげ》をかけまわしている七人の影は、たしかに襲《よ》せてきた七勇士。それに斬りまわされて、呂宋兵衛の手下どもは、
「だめだ、足を斬られた」
「敵はあんがいてごわいぞ。もう大変な手負《てお》いがでた」
「殿堂へ逃げろ!」
「人穴《ひとあな》へ引きあげろ!」
と声をなだれあわせて、思いおもいな草の細径《ほそみち》へ蜘蛛《くも》の子のちるように逃げくずれた。
それらの、雑兵《ぞうひよう》や手下には目もくれず、さきほどから馬上りんりんとかけまわっていた伊那丸《いなまる》は、
「咲耶子《さくやこ》はいずれにある。咲耶子、咲耶子」
と、しきりに呼びつづけていた。
「おお伊那丸さま、わたくしはここでござります」
近よってきた白鹿毛《しろかげ》の上には、かいがいしい装束《いでたち》をした彼女のすがたが、細身の薙刀《なぎなた》を小脇《こわき》に持って、にっことしていた。
「咲耶子、呂宋兵衛めは、いずれへ姿をかくしたのであろう。忍剣《にんけん》も龍太郎《りゆうたろう》も、いまだに討《う》ったと声をあげぬが」
「わたくしも、余の者には目もくれず、八ぽうさがしてまわりましたが、影も形も見あたりませぬ。ざんねんながら、どうやら取り逃がしたらしゅうござります」
「いや、民部《みんぶ》がしいた八門の陣、その逃げ口には、伏兵《ふくへい》がふせてあるゆえ、かならず討ちもらす気づかいはない」
とふたりが、馬上で語り合っているすぐうしろで、ふいに、悪魔《あくま》の嘲笑《ちようしよう》が高くした。
「わ、はッはわはッは……このバカもの!」
「や!」
ふりかえってみると、人影はなく、星の空にそびえている一|基《き》の十字架《じゆうじか》。
「いまの声は、たしかに呂宋兵衛《るそんべえ》」
「奇《き》ッ怪《かい》な笑い声、咲耶子《さくやこ》、心をゆるすまいぞ」
きッと、十字架をにらんで、ふたりが息を殺したせつなである、一陣の怪風! とたんに、星祭《ほしまつり》の壇《だん》に燃えのこっていた赤蝋《せきろう》が、メラメラと青い焔《ほのお》に音をさせてあたりを照らした。
明滅《めいめつ》の一瞬《いつしゆん》、十字架のうしろにかくれていたおぼろげなかげは、たしかに怪人、和田呂宋兵衛《わだるそんべえ》。
「おのれッ!」
「怨敵《おんてき》」
敵将のすがたを目《ま》のあたりに見て、なんのひるみを持とう。伊那丸《いなまる》は太刀をふりかぶり、咲耶子《さくやこ》は薙刀《なぎなた》の柄《え》をしごいて八幡《はちまん》! 十字架《じゆうじか》の根もとをねらって斬りつけた。
と——ほとんど同時である。
伊那丸がたの軍師《ぐんし》、小幡民部《こばたみんぶ》は、無二無三に駒《こま》をここへ飛ばしてきながら、
「やあ、待ちたまえ若君《わかぎみ》。かならずそれへ近よりたもうな。あ、あ、あッ、危《あぶ》ないッ!」
と、かれは狂気ばしって絶叫《ぜつきよう》した。
が——その注意はすでに間に合わなかった。
ふたりのえものは、もう、ザクッと十字架のかげを目がけてふりこんでしまった。と見るまに、ああ、そもなんの詭計《きけい》ぞ、足もとから轟然《ごうぜん》たる怪火の炸裂《さくれつ》。
ぽかッと、渦《うず》をふいた白煙《はくえん》とともに、宙天《ちゆうてん》へ裂《さ》けのぼった火の柱、同時に、バラバラッとあたりへ落ちてきたいちめんの火の雨——それも火か土か肉か血か、ほとんど目を開《あ》けて見ることもできない。