三
時分はよしと、にわかに踏《ふ》みとどまった小幡民部《こばたみんぶ》。
とつぜん、采配《さいはい》をちぎれるばかりにふって、
「止《と》まれッ!」
と、いった。
算《さん》をみだして、逃げてきた足なみは、ぴたりと踵《きびす》をかえして、稲《いな》むらにおりた雀《すずめ》のように、ばたばたと槍《やり》もろともに身《み》をふせる。
「かかれッ、轟《とどろき》又八をのがすな」
「おうッ」
たちまちおこる胡蝶《こちよう》の陣。かけくる敵の足もとをはらって、乱離《らんり》、四|面《めん》に薙《な》ぎたおす。
なかにも目ざましいのは、山県蔦之助《やまがたつたのすけ》と巽小文治《たつみこぶんじ》のはたらき。見るまに、鬼面突骨斎《おにめんとつこつさい》、浪切右源太《なみきりうげんた》を乱軍のなかにたおし、縦横無尽《じゆうおうむじん》とあばれまわった。
「さては、またぞろ民部《みんぶ》の策《さく》にのせられたか」
と、又八は色をうしなって、にわかに道をひき返してくると、こはいかに、すでに逃げみちを断って、ふいに目の前にあらわれた一手《ひとて》の人数。
そのなかから、ひときわ高い声があって、
「武田伊那丸《たけだいなまる》これにあり、又八に見参《げんざん》!」
「めずらしや轟《とどろき》、小角《しようかく》の娘、咲耶子《さくやこ》なるぞ」
「われこそは加賀見忍剣《かがみにんけん》、いで、素《そ》ッ首《くび》を申しうけた」
と、耳をつんざいた。
轟又八は、思わず、ぶるぶると身の毛をよだてた。腹心の剛力《ごうりき》、荒木田五兵衛《あらきだごへえ》は、忍剣に跳《と》びかかって、ただ一討《ひとう》ちとなる。
手下《てした》の野武士《のぶし》は、敵の三倍四倍もあるけれど、こう浮足《うきあし》だってしまっては、どうするすべもなかった。かれはやけ半分の眼《め》をいからして、
「おう、山寨《さんさい》第一の強者《つわもの》、轟《とどろき》又八の鉄棒をくらっておけ」
と、忍剣《にんけん》の禅杖《ぜんじよう》にわたりあった。
龍《りゆう》うそぶき虎哮《とらほ》えるありさま、ややしばらく、人まぜもせず、石火《せつか》の秘術をつくし合ったが、隙《すき》をみて、走りよった伊那丸《いなまる》が、陣刀|一閃《いつせん》、又八の片腕サッと斬りおとす。
「うーむ」
よろめくところを、咲耶子《さくやこ》の薙刀《なぎなた》、みごとに、足をはらって、どうと、薙《な》ぎたおした。
又八が討たれたと見て、もう、だれひとり踏みとどまる敵はない、道もえらばず、闇《やみ》のなかをわれがちに、人穴城《ひとあなじよう》へ、逃げもどってゆく。
その時、はるか南裾野《みなみすその》にあたって、ぼう——ぼう——と鳴りひびいてきた法螺《ほら》の遠音《とおね》、また陣鐘《じんがね》。
みわたせば、いつのまにやら、徳川《とくがわ》三千の軍兵《ぐんぴよう》は、裾野《すその》半円を遠巻《とおま》きにして、焔々《えんえん》たる松明《たいまつ》をつらね、本格の陣法くずさず、一|鼓《こ》六|足《そく》、鶴翼《かくよく》の備《そな》えをじりじりと、ここにつめているようす。
また、人穴城では、いまの敗北をいかった呂宋兵衛《るそんべえ》がこんどはみずから望楼《ぼうろう》をくだり、さらに精鋭《せいえい》の野武士《のぶし》千人をすぐって嵐《あらし》のごとく殺到《さつとう》した。
ひゅッ! ひゅッ!
と早くも、闇《やみ》をうなってきた矢走《やばし》りから見ても、徳川勢《とくがわぜい》の先手《さきて》、亀井武蔵守《かめいむさしのかみ》、内藤清成《ないとうきよなり》、加賀爪甲斐守《かがづめかいのかみ》の軍兵《ぐんぴよう》はほど遠からぬところまで押しよせてきたものとおもわれる、その証拠には、伊那丸《いなまる》の陣した、雨《あま》ケ岳《たけ》のうえから噴火山《ふんかざん》のような火の手があがった。
三河勢《みかわぜい》が火をかけたのである。
その火明かりで、梵天台《ぼんてんだい》にみちている兵も見えた。まぢかの川を乗りわたしてくる軍馬も見えはじめた。裾野《すその》は夕焼けのように赤くなった。
「若君、いよいよご最期《さいご》とおぼしめせ」
小幡民部《こばたみんぶ》が、天をあおいでこういった。
「覚悟はいたしておる。わしはうれしい、わしはうれしい!」
「おお、おうれしいとおっしゃいまするか」
「野武士《のぶし》づれの呂宋兵衛《るそんべえ》をあいてに討死するより、ただ一太刀でも、甲斐源氏《かいげんじ》の怨敵《おんてき》、徳川家《とくがわけ》の旗じるしのなかにきりいって死ぬこそ本望《ほんもう》、うれしゅうなくてなんとするぞ」
「けなげなご一|言《ごん》、われらも、斬って斬って斬りまくろう」
と、忍剣《にんけん》もいさみたったが、かえりみれば、前後に、この強敵をうけながら、伊那丸のまわりにのこった人数は、わずかに四十五、六人。