二
なるべく、離れて歩こうとしても、お蔦はぴったりと寄って歩いた。
そして、いろいろ、問わず語りに聞かせるのだった。
自分たち姉妹三人が、みんな不倖《ふしあわ》せだというようなことから——始まって。
父は、二世荻江露友《おぎえろゆう》といって、江戸唄の豊後節《ぶんごぶし》からわかれたこの流派では、名人だったが、安政の大地震で、亡《な》くなるし、母もないし、男の兄弟は、やくざで、一人は兇状《きようじよう》を食らって、遠島《えんとう》にいっている——などということまで、隠さないのである。
「あたしだって……」
と、指の撥《ばち》だこを見せて、
「子供の時から、その父に、仕込まれては来ましたけれど、稽古所の師匠なんて、おかしくって、できやしない。性分だから、しかたがありませんよ。家元の看板を、中のお里に譲《や》ってしまって、がらにもない、お武家様の奥様に、納まろうとしたけれど、これも駄目……。結句、今では、妹たちの厄介者《やつかいもの》になっていますが、出戻りの女って、世間は狭いし、家《うち》の中は面白くないし、ほんとに、鬱々《くさくさ》しちまいますよ」
軒が断《き》れると、西陽《にしび》が、頭から射《さ》した。お蔦は、その西陽も感じないように、しゃべってあるいた。
京橋をこえる。
(遠いな)
庄次郎は、どこへ行くのか、想像がつかなかった。
神田の紺屋《こうや》の原をぬけると、もう、陽が翳《かげ》ッて、方々で、打水をするし、夕風がたつし、だいぶ楽になった。
「どこじゃ、その人の、住居というのは」
「川向うですよ」
神田川が、見えていた。
店をだし初めた古着屋《ふるてや》が、戸板だの、吊《つる》しん棒を、黄昏《たそがれ》の柳原《やなぎわら》土手に、並べ初めている。
それへ、もう、客がたかっていた。庄次郎は、ふと、その中の一つの顔に、
「おや、渋沢だ」
と、呟《つぶや》いた。
滅多に、藩邸の外へ出ない渋沢栄一が、古着屋をつかまえて、商人の着るような棒縞《ぼうじま》の単衣《ひとえ》と、角帯とを値ぎっているのだった。——それと、薄汚い盲目染《め く ら》の脚絆《きやはん》か何かを、抓《つま》んで、
「負けておけ」
と五十文か、百文を、争っている様子である。
古着屋は客の風采《ふうさい》を見て、
「旦那、お立派なお侍様で、幾値《いくら》がとこでもありませんぜ。そんな、阿漕《あこぎ》なことをいわないで、買っておくんなさい。口開《くちあ》けだ」
訴えていた。
庄次郎は、側《そば》を通って、
(あんな物を買って、渋沢は、何にするつもりだろう?)
思わず、足をとめたが、気がつくと、その渋沢には、昨日、財布ぐるみ四十両かの金を借りてある。他人《ひ と》の物に、惜し気もなく、悪友どもは、一夕《いつせき》に費《つか》いちらしてしまったが、あの金は、まさしく自分の借金だ。古着を買うのに、五十文か百文のビタ銭を争っている渋沢だから、顔を見たら、催促するにちがいない。もし返済《か え》せないと云ったら、藩邸へ告げるだろう。
(これは、まずい)
庄次郎は、慌てて大股《おおまた》に歩きだした。橋をこえても、まだ急いでいた。
「もし……。土肥様、そんな方じゃありませんよ」
お蔦は、追いかけて来て、
「どこまでいらっしゃるおつもり?」
と笑った。
「あ。……そうか」
「下谷の三枚橋。俗に、どんどん橋とも云いますね」
御《お》徒士《か ち》の屋敷だの、寺だのが、混みあっている町中の狭い忍川《しのぶがわ》のふちを曲がって、
「もう、すぐそこ——常楽院裏でございますよ」
「あの門か」
「ええ」
「武家だな、——何という者の屋敷か」
「榊原《さかきばら》健吉様」
「げッ」
庄次郎は、釘《くぎ》を踏んだように、竦《すく》んでしまった。足の裏から、昨夜《ゆうべ》の恐怖を、思いだして、ぶるっと顫《ふる》えた。
「さ、榊原……だって?」
「講武所の——ご存じでしょう、人斬り健吉ですよ」
「そ、そいつは、いかん」
彼はあわてて、帰りだした。