話をしていると、突然なんの脈絡もなく、
「オゴってください」
と、いう男がいる。へんな男で、福地泡介という。以前は一緒に酒を飲んで、奢《おご》ったこともあったが、このごろはおもにマージャンのときに顔を合わせるので、オゴるヒマがない。
それにしても、マージャンはよい。酒場のテーブルの前に坐ると、フトコロの金が増えて帰ることは有り得ないが、マージャン卓に向って坐ると儲《もう》かることもある。
そのフクチと、電話で話していてマージャンの約束ができた。その前に、晩飯を食べておく気になって、
「オゴってやるから、めしを食わないか」
と誘ってみると、たちまち乗気になった。ところが、落ち合う店の場所を説明しても、わかり易いところなのに一向頭に入らない。
「もういいや、めんどくさくなったから、オゴってほしくない」
ひどい無精者で、浦島太郎のマンガを書いて、一頁分まっ白にして「竜宮城へきてみれば——絵にもかけない美しさ」と文字だけ書いたことがある。
オゴルとかオゴラれるとかの問題は、正確に話せば長くなるから、簡単にいえば、オゴればいい、というものではない。
愉快に奢ることは、まったく難しい。このとき私は鮨屋に行くつもりだったが、一人で食うよりフクチがいたほうが気分がよい。こうなると、オゴラせてください、という感じになってくる。
待ち合わせの鮨屋に定刻に行き、
「もう一人くるからね」
と、いうと、となりに小皿と箸《はし》が置かれた。赤貝のヒモをサカナに、私は酒を飲んでいる。十分ほど経つと、鮨屋のおにいさんが言う。
「おつれさんは、遅いですね」
どうやら、これから来る人物を妙齢の美女と誤解しているようなので、
「いや、いい加減なヤローでね、あてにならないんだ」
と答えて、ふとまわりを眺めると、隅のほうに、妙齢の美女が一人で腰掛けている。同じように、箸と小皿が傍に用意されていて、その女性も連れを待っているようである。
十分ほど遅れて、福地泡介が猫背の恰好で、しのびこむように入ってきた。椅子に坐ると、いきなり隅の女性に目をつけて、
「あの女、どういう人ですか」
と、たずねる。私にきいても知る筈がないことを、理解していない。もう十分に中年男になっているのに、青年のふりをして、モテルモテルと平素言っているのだが。
「待っているんだよ」
と、私は彼女の傍に用意されている小皿と箸を眺めて答える。
「誰を、ですか」
「おれが知るわけないだろ」
その論理の正しさに、はじめて気付いたようで、餓えた気分は腹のほうに移行したようだ。
「ぼく、ビール。それからトロを切ってください」
「ダメ」
と、私が言うと、彼はぼそぼそしているくせに、大きな声でいう。
「トロは高価《たか》いから、ダメだって」
私が前回で書いた、マグロと鮨屋の関係について、まるで分かってはいない。