酒のおかわりをすると、
「まだ飲むんですか」
と、福地泡介がいう。たしかに、マージャンの前にしては飲み過ぎかもしれなくて、酔っぱらってバカな打ち方をしかねない。また、フクチのマージャン随筆のネタにされてしまう。しかし、やはり飲むのだ。
「ええと、酒のサカナは……」
と、目の前にある赤い粒をみながら、一瞬言い淀《よど》む。「イクラ」か「すずこ」か、一度はっきり覚えた筈なのに、戸惑う。これは、最初に「すずこ」と覚えたのがいけなかった。鈴の連想から、粒が一つ一つ離れている錯覚を起す。「筋子(すじこ)」と教えてもらえば、粒がつながっている感じがはっきりして、迷うことはなかった。
いま辞書を引いてみると、意外なことにイクラというのはロシア語なのである。鮭《さけ》の卵を離して食塩水につけた食品で、キャビアの代用品、と書いてある。要するに、私の目の前にある赤い粒々はイクラなので、それに大根おろしを添えて皿に入れてもらう。
イクラ、といえば、鮨屋やそば屋で金を払うとき、「勘定」と言うのも厭だし、「お愛想」というのも気がすすまない。こういうときは、
「いかほど」
というのが正しい東京弁である、と誰かが書いていたが、それもなにか口から出にくい。結局、「いくらですか」と言うことになる。
ところで、隅の席にいる美女の連れは、まだ現れない。色の浅黒いその女性は、べつに時間を気にする様子もなく、ビールを飲んでいる。フクチはさかんに、その女性を気にしている。角力《すもう》の取組みの写っているテレビを見るふりをして、チラチラそっちを眺める。
「ちょっと」
と、その女性が声を出し、フクチがおもわず返事しかかったので、腕を引張って注意してやった。
「おビールをください」
はたして、彼女は鮨屋の若い衆に声をかけたのだ。もし、このときフクチが返事をしていたら、困ったろう。東海林さだおのマンガだったら、涙と鼻水をいっぱい出して俯向《うつむ》くと、「あの、おにいさん、ビールだって」と呟《つぶや》いている場面になる。
美女の待ち人は、まだ現れない。一時間近く経っている。私もだんだん気になってきて、どういう人物が現れるのか興味をもった。
こちらも時間が迫ってきて、立上ろうとしかかっているとき、待ち人が登場した。
六十歳ちかい年齢か、頭髪も尋常、腹も出張っておらず、中肉中背、目鼻立ちも尋常、といった人物である。それだけなら、べつに話にもならないが、この人物の態度は瞠目《どうもく》に価した。
一時間以上も遅れたのだから、私たちならまず弁解することになる。その仕方がどの程度かは、個人差があるわけだが、なにか事情を説明する言葉がまず出てくることになる。
ところが、その人物は一言もその種のことを口にしない。といって、威張っているわけでもないし、またヤケクソに居直っている態度でもない。会ってうれしいという、いくぶんイソイソした感じがある。
女のほうも、咎《とが》めるところもなく、至極当り前の顔をしている。
「あれは、よほど金があるんだろうなあ」
と、私たち二人は意見が一致したが、もちろん正確なことは分かりはしない。