最近の発見を、報告する。
江崎レオナ博士は、エサキ・ダイオードを発見(あれは発明というのか)して、ノーベル賞をもらった。
もっと前には、ペニシリンやストレプトマイシンの発見がある。
ところで、私の発見というのは、あまりにアホらしいので、発表するのをためらう気分になってきたが、我慢して書く。
先日、テレビで大相撲をみていた。横綱が土俵入りをしている。
両腕をゆっくりと大きくまわして、掌を叩き合わせる。そのとき、発見した。腋毛《わきげ》がない。三横綱とも、そうである。
女の場合、成人してからも腋の下にも発毛しないケースが少なくない(私はこういう女を好む……が、そんなことはどうでもいい)が、男は違う(これは、科学的にホルモンの点から説明できるが、長くなるので省略)。となると、剃《そ》ったことになる。
角力《すもう》は長年見ているが、はじめて気付いた。もっとも、中入りがだいぶ過ぎてからテレビのスイッチを入れることが多いから、土俵入りを見る機会はすくなかった。これまで注意力散漫だったのか、あるいはそういう形がこのごろ取られるようになったのか。
それでは、横綱以外の力士はどうか、一所懸命目を凝らしたが、なかなか見えない。角力は脇をしめるのが基本の一つらしいので、観察するのが難しい。
ようやく、大受が登場したとき、はみ出している腋毛がみえた。
それにしても、腋毛は有ったほうがよいか、剃ったほうがよいか。審美的には、ないほうがよいような気もするが、大の男が脱毛術をほどこしているというところがなにか似合わない感じもある。
子供のころ、避暑地で村角力をみていると、一人の男のまわしがはずれた。満場爆笑なのだが、私のそばにいた別荘の令嬢が二人、
「あら、毛がみえるわ」
「あらあら、オホホ」
と、嬉しそうに忍び笑いをしている声が耳に入ってきたのを、覚えている。嬉しそうなのであって、オカしそうではなかった、と子供ごころに感じ、女というのは澄ました顔をしているくせに、好色でロコツなものなのだなあ、と恐怖を覚えた。
まわしの下の毛と、腋の下の毛とは、違うけれど似通っているところもある。似通っていなければ、剃るという発想は起らない筈だ。
観客サービスとしては、むつかしいところである。
成熟した女性に、あらたまって、
「きみ、胸毛って好き」
と質問すると、ほとんどの場合、
「嫌い」
という答えが戻ってくる。しかし、これを額面どおり受取ってよいかどうか。人の好みはさまざまで、本気でそういう女もいるだろうが、あの好色な雌が毛むくじゃらの雄に興味をもたない筈がない。本気の返事だとしても、意識下がどうなっているか分からない。
胸毛とかモジャモジャの体毛とかは、あまりにナマナマしすぎて、「嫌い」としか返事のしようがないのかもしれない。
ところで、「蟹」はどうなったか。力士と蟹と似ているとでもいうのか。
いや、似ていません。その件は、次回で。