先日、生島治郎と対談したとき、
「子供のころ感銘をうけた本はなにか」
と、たずねられた。
「海野十三《うんのじゆうざ》の短篇だが、題名は忘れた」と答えて、その内容を説明した。
そのときの説明が不十分だったので、あらためて書いてみる。
ある科学者の実験室に、一人の貴婦人が訪れてくる。この女は夫がある身なのに、科学者の子を孕《はら》んでしまった。おまけに、これを機会に離婚するから、結婚してくれ、とその科学者にせまる。
男としては、そんなスキャンダルにまきこまれたくない。スキャンダルが、学者としての名声を傷つけてしまう。
逃げ腰になった男をみて、女は「それなら子供を産んで、あなたの子だと世間に発表する」という。
男としては、どうしてもこの胎児を処分しなくてはならない。
実験室から男が出てゆき、女ひとり残される。狭い密室である。間もなく、どこからともなく不気味な金属音がきこえてきて、その音がしだいに強くなってくる。
物体にはそれぞれ固有の振動数というものがあって、Aの物体にBを貼《は》りつけておくとすると、振動を強く与えられた場合、それぞれの揺れ方が違うのでAとBとは離れてしまう。
もっと具体的にいうと、おヒツに飯粒を貼りつけて、これに強烈な音波を送って振動させると、最後には飯粒がポロリと剥《はが》れ落ちる。
この短篇の場合、子宮はおヒツで、胎児が飯粒だと考えればよい。
実験室に閉じこめられた女は、ついにはからだに異変を覚え、流産してしまう。
やがて、ドアを開けて現れた科学者の顔に、無念の形相ものすごく、女はその胎児を投げつける。
「その、どこに感銘したのですか」
と、イクシマがいう。彼はトリック重視の推理小説にたいして反論をもっていて、それを紹介すると長くなるから省略。
「どこといったって、トリックといい、無念の形相ものすごく、というところといい……」
と私は答えたが、彼は一向に感心してくれない。
後日、その対談を読んだ佐野洋から、電話がかかってきた。
「めずらしい短篇を覚えていますね。あれは『振動魔』という題名です」
この題名も、すばらしい。さすがに、佐野洋も私も本格推理の傑作を持っているだけあって(私の場合は、頭の中に持っているだけだが)、話が合う。
「たしか、春陽堂文庫で読んだけど、よく知ってるね」
と、私が言うと、
「いまは、ハヤカワ・ミステリーのSFを集めた短篇集に入っていますよ」
「なぜ、SFなんだろう」
「さあ、とにかく面白い作品だけど、いま読み直してみると、文章などもかなり粗雑ですな」
当時、私は子供ごころにそういうことは可能だろう、と考えていた。
SFと聞いて意外におもった。
ところが、先日ラジオを聞いていると、アメリカで低音波のすごいのが開発された、と放送していた。これを使うと、人間の内臓を破壊するおそるべき殺人機械になる、という。とすると、四十年前では、SF的発想であったわけか。