平さんの提げてきたのは、市販のドブロクである。
話はおのずから敗戦後のドブロク密造時代のことになった。
カストリ全盛のときであるが、近県で密造して官憲の眼をくらますために、オワイの桶《おけ》に入れて運びこんできた、という噂《うわさ》があった。それを信じたくなるような、独特のにおいがしたものだ。
当時は、カストリよりドブロクのほうが格が上で、それを呑ませてくれる家を探し当てると、嬉しかったものである。看板など出ているわけもない当り前の小さな家屋で、客は座敷のあちこちかたまって、ドンブリに入った白い色の液体を飲んでいる。
十分|醗酵《はつこう》するヒマなど待てないので、ドンブリの底のほうからブツブツ泡《あわ》が立っている。ドンブリ一杯の値段が、昭和二十三年ころたしか四十円だった。これを四杯も呑むと、胃から腸管にかけてぎっしり白い粒が詰まり、それがいつまでもブツブツ醗酵をつづける感じになる。牡丹《ぼたん》雪のようにベトツク酔いがいつまでもつづき、勤めの身としては翌朝が辛かった。
「あれは、猫イラズが入っていたそうで」
と、平さんが言う。
「え」
「いや、米を醗酵させるためのイースト菌が手に入らないときは、ごくすこしばかり猫イラズを入れると、その代用品になるのだそうで」
真偽は不明だが、ありそうな事柄である。毒も微量なら薬に変じることもあって、砒素《ひそ》なども治療に用いられている。
吉村さんと話をしていると、いろいろタメになる。
「うちのドブロクは、猫イラズじゃなくて、ちゃんとしたイースト菌だと威張っている店がありましたよ」
「ははあ」
「それから、水道の水を使うといけないんだそうで。なんでも、水に混っている消毒薬がイーストを殺してしまうといいますな」
私たちは、鮒のツクダニを肴にドブロクを呑んでいる。メダカを大きくしたようなフナが五匹ばかり串に刺さっていて、これが旨い。平さんはそのフナをしみじみ眺め、
「この店は、ツクダニつくりに情熱をもやしていますなあ。それで思い出したけど……」
ドブロクが市販されるようになってからも、密造をつづけている老人がいたそうだ。
売るためでなく、趣味のためだから、量はすくない。ポリエチレンの容器に仕込んで、大切そうに床の間に飾ってあった、という。
「そのポリ容器が、ピンク色をしていて、およそドブロクと似合わない。こういうところが、フシギなようなオカしいような」
要するに、中身のことだけが気にかかっていて、容れ物などには頭が向かないのだろう。中身の出来栄えの悪いときには、甚だしく落胆していたそうだ。
「つまりは、盆栽づくりと同じで、趣味の人というわけです」
その老人がドブロクを日本酒の空瓶に詰めてくれるので、平さんは密造とバレるといけないので、しっかり風呂敷に包みこんで持って帰らなくてはならなかった、という。
「なぜ、市販のドブロクの空瓶に詰めないのかな。そうすれば、咎《とが》められる心配がないのに……」
と言って、私はすぐ理解した。
市販のドブロクの空瓶なんぞに、苦心の作品を詰めるのは、その老人のプライドが許さないのだ。