なぜ熊の掌が右手しか食べられないかを説明すると、食事中にふさわしくない話題になってしまう。
しかし、口に出してしまったものは、仕方がない。
「エー、食事中にナンですが……。熊が冬眠するとき、尻の穴が寒いので左手を当てがっているという話を聞いたことがあるのですが。一冬中そうしているとですな、つまりその臭《くさ》みが付いて具合がわるい。その当てがう掌が、かならず左手だといいます」
皆さんこだわらずに、苦笑まじりの笑い声が起った。私は周知のこととおもったのだが、こういう雑学については案外|疎《うと》いかたばかりだったかどうか、あとで考えてみたがよく分からない。
しかし、それは俗説にすぎないのではあるまいか、といまごろになって気になってきた。夕刊フジのHさんに、またしても調べてもらう。自分で調べればいいようなものだが、知らないところへ電話するのは苦手だし、Hさんは新聞記者根性とはこういうものか、とおどろくほど徹底的に調べる。そのことは、立春の卵についての調査を依頼したときに分かった。
ある一流中国料理店のチーフ・コックに、電話口に出てもらったそうである。
料理法については、くわしく語らなかったそうで、これは当り前のことだ。それは教えてくれないでしょう、とあらかじめHさんに言ってあったのだが、それでも質問する。そうしないと、自分の気持が許せないのだろう。新知識としては、熊掌《ゆうしよう》の料理法は、四、五種類ある、ということだった。鱶《ふか》のヒレの料理法が四、五種類あるが、それに似たバラエティか。
一昼夜水で煮て、熊の肉に本来備わっているクサミを取ってから、調理する。
右手しか食べない、という説は正しかったが、理由が違った。クマの大好物は、蜂《はち》の巣だという。知っている人が多いのだろうが、私には初耳で(その後、『美少女』という自分の旧作を必要あって再読していると、そのことがちゃんと書いてあった。忘れっぽくて困る)、クマが鮭を獲って笹の枝に通し肩にかついで引張っている絵をよく見ていたのでクマの食べ物はシャケときめていた。
この笹からシャケが抜け落ちてしまう、という話にも愛嬌《あいきよう》がある。
右手でハチの巣を叩きつぶして、その蜜《みつ》を食べることを繰返しているうち、蜜の味が掌に沁《し》みこんでくる。そのために、右の掌のほうがうまいので、料理に使うのだということだ。
左がダメだから右、というのではなく、右のほうが左より良いから使う、という発想なのである。
左の掌を肛門に当てがって風の入るのを防いだまま、冬眠するという説についてたずねると、その中国人とおぼしき言葉づかいのチーフは、
「そういう話も、聞いたことがありますが……」
とだけ答えた、という。バカバカしくて話にもならない、という返事をやわらげてそういった、という感じでもなかったそうだ。真偽のほどが分からないので、確答を避けたのか。
この集まりには、参加してよかった。おっとりと落着いた雰囲気《ふんいき》で、愉しかった。そのあと、里見さんにアガワと私がマージャンに誘われて、私はそれを断わった。高齢のかたとのゲームは不安だったのだが、重ねて誘われたので麻布の弟さんのところで卓を囲むことになった。しかし、半チャン二回で里見さんに疲れがみえたので、打切った。
もう十年ほど前のことになったから、里見さんの喜寿《きじゆ》のころだった。