昭和三十年まで、私は蒲団にもぐって枕もとに原稿用紙をひろげ、腹這《はらば》いの姿勢で小説を書いていた。したがって、机というものを持っていなかった。
肺の切除手術を受けて、背中から胸の横にかけて長い傷ができて以来、その姿勢ができなくなった。
もっとも、腹這いで原稿を書く人はそれほど珍しくない。佐藤春夫もその一人である。
私は佐藤家には年に一度くらい遊びに行くだけだったが、晩年のあるとき、
「今度、新工夫をした。ちょっと見てみなさい」
と、書斎兼寝室のような部屋に、案内された。
ベッドの枕もとのすぐ前の壁がくり抜いてあって、四角い小さな空間ができている。同じ腹這いでも、その箱のようなところに首を突込んで原稿を書くと具合がよろしい、とおっしゃる。照明はどうなっていたか覚えていないが、珍妙な工夫で私は呆《あき》れた。
あの先生は、気難しい猛禽《もうきん》のような顔をしているが、渋いユーモアを好む面白い人物だった。もっと遊びに行けばよかった、とおもうが、手遅れである。
話を私に戻せば、腹這いの形ができなくなってからは机に向って書いている。机のほうは古道具屋で見つけたのだが、黒く塗った長方形の上等な品物を使っている。中国製で、かなりの大きさである。
椅子は安物の簡単な形で、肘掛《ひじか》けなどもなく小さい。尻を載せるところは堅くてレザー張りの回転式だが、このほうが具合がよくて、しばしばその上に脚をあげてアグラの形になる。
先日、タバコを喫いながら机に向ってメモを取っていると、電話が鳴った。このときも、椅子の上にアグラをかいていた。
未知の人からのもので、ダラダラ話がつづくのでメモを取りつづけながら応対していると、足のところがあたたかくなってきた。しだいに熱くなってきて、耐えがたいほどになった。調べてみると、足の指のあいだにタバコがはさんであって、灰が長く残ったまま火が指を焼きそうになっていた。
要するに、片手にペン片手にタバコのところへ電話がかかってきたので、送受話器を持つためにはどちらかを手離さなくてはならない。そのため、タバコを足の指のあいだに挟《はさ》んでそのまま忘れていたわけだ。
忘れっぽさの按配《あんばい》が悪化したことと、放心癖の混淆《こんこう》であろうが、こういう事柄がしばしば起っている。
数日前にも若い友人とソバ屋で、酒を飲んでいた。釜揚げうどんを入れる赤と黒に塗った桶のような容器を一つ、まん中に置いて、盃を重ねていた。ソバ掻《が》きを註文すると、そういう容器に入れて持ってくる。
「ソバ掻きで一杯、というのはイキなもんだが、残念ながらツユが甘いな」
などといいながら雑談をしているうち、この連載に恰好のネタになる話が出た。
「忘れるといけないから、メモしよう」
と、相手からエンピツを借り、メモを取った。
『アイスクリーム。古本屋。本を高く売る』
と、メモすると、
「もう一項目くらい書いておかないと、かならず忘れますよ」
「これだけ書けば、いくらなんでも十分だよ」
その男の言ったことは正しくて、翌日紙片をみても、なんのことか分からない。
アイスクリームと古本屋と、どうしてもつながらないので、その友人に電話した。