ときどき、質問されることがある。
「好きな食べ物はなんですか」
「そのときの体具合と気分できまります」
と、私は答える。
「では、嫌いなものは」
「子供のころは、ずいぶん偏食でしたが、いまはありません」
そのとき二つのことが、頭に浮ぶが、だいたい話が長くなるので黙っている。その一つは、マズいものは嫌い、ということである。たとえば同じカレーライスでも、出来の悪いものに当ると、なんとなくスプーンを置いてしまう。戦中戦後のことを考えると、ずいぶんゼイタクになったものだ。
このごろ食べ物に興味を失ってきたことは前に書いたが、仕事にからんであるレストランへ行った。いろいろ手のこんだ料理があるが、面倒くさいのでその店の自慢料理を註文した。牛肉を赤ブドウ酒で煮こんだもので、これさえ食べておけば味に裏切られることがない。
運ばれてきた料理をすこし食べてみたが、どうも変である。テーブルの向いにいる友人に、たずねてみた。
「おれの舌が悪いのかなあ、なんだかちっとも旨《うま》くない」
「いや、今日のは変だ。いつもの味ではない」
そういう答えなので、そのまま食べ残してしまった。帰るとき、フト気づいた。その店へ行くと、若いフランス人のチーフが出てきて、
「ボン ソワール ムッシュウ」
と、握手を求めてくる。
「やあ、こんばんは」
と日本語で答えることにしていたが、その店のマダムが、あのチーフは故国を離れて日本まできているので、フランス語を聞くと嬉しくて仕方がないのだ、という。
旧制高校のとき、私の入ったクラスは、フランス語が第一外国語である。しかし、いまはほとんど忘れてしまった。マダムがそういうので、
「ボン ソワール」
と、握手だけはするが、そのあとの言葉が何も出てこなくて、期待を裏切ってしまう。そのコックの姿がみえないことに、気づいたので、酒の係りの人に、たずねてみた。
「チーフは休みなの」
「そうなんです」
味というのは微妙なもので、それでさっきの料理の謎が分かった。
こう書くと、舌の自慢をしているようである。しかし私見によれば、男の場合味が分からなくてはまともな文章は書けないし、女の場合にはセックスが粗悪である。
「嫌いなものは」
とたずねられて頭に浮ぶもう一つのことといえば、「サメの煮付け」である。
しかし、このオカズはいまでは見付けることがむつかしい。窮乏の時代には、しばしば食卓に出て、一口たべると旨く感じる。やがて、それがサメであることに気付いてくる。
そうなると、顎《あご》がなくて下のほうに口が切れ込んでいる顔つきや、荒っぽいくせにぬめっとした肌の感じが浮んできて、舌の上に幻のイヤな味が走る。
サメ自体は、カマボコの原料になったりしていてマズいものではない。しかし、一口食べて旨いとおもわせ、そのあとで厭《いや》な気分にさせるところが、罠《わな》にはめられたようで甚だ不愉快である。