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今日からマ王9-4

时间: 2018-04-30    进入日语论坛
核心提示:     4 目的地へと近づくにつれて、役割分担がはっきりしてきた。 ステファン・ファンバレンが金にまかせて兵を丸め込み
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 目的地へと近づくにつれて、役割分担がはっきりしてきた。
 ステファン・ファンバレンが金にまかせて兵を丸め込み、サイズモアは力に任せて敵を排除する。で、気を失った連中を目立たない場所に隠すのが自分で、ふと気付くと二、三人倒しているのがシュバリエだ。ぐったりした兵士の|身体《からだ》を引きずりながら、ダカスコスはそっと隣を窺《うかが》った。
 手伝っていたシュバリエが、こちらに気付いてにっこりと笑った。
「そ、その人、いい夢みてそうですねぇ」
「ええ」
 運ばれている肉体は、手足を弛緩《しかん》させ白目を剥《む》いている。口からはみでた濃桃色の舌が痙攣《けいれん》していた。
「なんか美味《うま》いもんでも食ってる夢なんスかね」
「ええ」
 返事の九割は二文字だ。「ええ」か「はい」か「いえ」か「さあ」。今時は悪の秘密結社の|戦闘《せんとう》員だって、もう少し気の利《き》いた単語で話すだろうに。
 警備に行き当たらず|普通《ふつう》に階段を下っているときも、役割ははっきりと決まっていた。
 ファンバレンがツェリ様を褒《ほ》め称《たた》え、サイズモアが相槌《あいづち》を打ちながら腕《うで》を掻《か》きまくり、ダカスコスは心の記録紙にファンファン用語を書き留める。もう四十五個にもなった。最新名文句は「美女の首を真珠《しんじゅ》で絞《し》める、きゅっとね」だ。
 ファンファンの叙情《じょじょう》的な賞賛にも、シュバリエはにこやかに|頷《うなず》くばかりだ。まるで父親か兄弟のように、ツェツィーリエヘの賛辞を聞いている。
 何者だ、シュバリエ?
 まさか本当にフォンシュピッツヴェーグ|卿《きょう》ツェツィーリエの親族なのでは。言われてみれば|輝《かがや》く|金髪《きんぱつ》も、端正《たんせい》な造作の顔も共通している。三男・ヴォルフラム閣下ほどではないが、彼女の実兄であるフォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェルや、長男・グウェンダル閣下よりは余程似ている。|年齢《ねんれい》は一二〇から一五〇の間くらいだろうか。父親の線はなさそうだが、弟説は捨てきれない。
 ダカスコスは不安になり、箱を持ち上げながら|訊《き》いた。
「ところでシュバリエさん……姓《せい》はなんと?」
 キラリと輝く白い歯を覗《のぞ》かせて、女王陛下の|下僕《げぼく》は短く答えた。
「さあ」
 名前を|尋《たず》ねられて、返事が「さあ」とはどういう意味だ? 自分が嫌《きら》われているだけなのか、それとも本当に姓がサーなのか。あるいはご婦人が戯《たわむ》れでよくしている、当ててご覧なさい遊びの|一環《いっかん》だろうか。
 ダカスコスはあの遊びで勝てたためしがない。ことあるごとに|女房《にょうぼう》が仕掛けてくるのだが、今のところ見事に全敗だ。彼の妻女、アンブリンのやり方はこうだ。胸に手を当ててよーく考えてご覧なさい。略して「当ててご覧なさい」。
「……ゴメンナサイ……判《わか》りません」
 思わずいつもの癖《くせ》がでて、雑用兵は|涙《なみだ》ぐんだ。暗い夜道で役立ちそうな|自慢《じまん》の頭部も、輝きを失ってしょぼくれている。
「どうしましたダカスコスさん、何も泣かなくても。私には姓がないのですよ。ただのシュバリエで|充分《じゅうぶん》なのです。あなただってそうでしょうダカスコスさん、リリット・ラッチー・ナナタン・ミコタン・ダカスコスさん。ねえ、ナナタン・ミコタン・ダカスコスさん?」
 金の髪《かみ》の従者から、こんなに長い台詞《せりふ》を聞いたのは久方ぶりだ。いやそれよりも自分の氏名を通しで聞いたのも久しぶりだった。悶絶《もんぜつ》のあまり箱から手を離《はな》しそうになる。
「ややややめてくださいッ一文字残らず正確に呼ぶのはやめてくだサイっ! ううおお我が苗字《みょうじ》ながら震《ふる》えがはしっ走る」
「そうですか? 新婚《しんこん》のご夫婦みたいで可愛《かわい》らしいと思いますよナナタン・ミコタン・ダッキーちゃん?」
「おひょーう」
 シュバリエの出自を探《さぐ》ろうとしていたのに、結局はぐらかされてしまった。
 分厚い石の壁越《かべご》しに、闘技場の歓声が微《かす》かに届く。
「お、何かあった様子ですな」
 サイズモアが|壁《かべ》に耳を押し付けるが、事件の内容はもちろん判らない。気を取り直し、薄暗《うすぐら》い階段を宝物庫へと下ってゆく。二度ほど警備の立つ踊《おど》り場《ば》があったが、問題なく|突破《とっぱ》できた。やがて最下層に達すると、札を掛《か》けられた木製の|扉《とびら》が三つ並んでいた。ちょっと|冒険《ぼうけん》心を|刺激《しげき》する光景だ。
「三つのうち二つは罠《わな》で、真実の扉は|恐《おそ》らく一つだけなのでしょうな」
 |無精髭《ぶしょうひげ》の生え始めた顎《あご》を撫《な》でて、サイズモア|艦長《かんちょう》は大きな背中を丸めた。海のことなら何でもござれだが、迷宮内での宝探しになんぞとんと縁《えん》がない。陸に上がったセイウチは無力だ。
 ダカスコスは両側のこめかみに指を当て、目を閉じてくりくり回してみる。耳の奥でチーンと音がした。
「判りましたよ、きっとこの『空室』って札が掛《か》かっ……」
「では全部一斉に開けてみましょうか」
 彼の意見など誰も聞いちゃいなかった。
 ファンファンの案はこうだ。幸いにして扉は三つ、こちらの人数は四人である。三人が一人一ヵ所ずつ挑戦《ちょうせん》れば、恐らく一つは本物の入り口だろう。万が一、偽扉《にせとびら》二ヵ所に罠が仕掛けられていても、最悪でもこちらには二人残っている。どうにか目的の物を運び出せるだろう。
「迷っていても始まりません、私は中央を開きましょう」
 彼の|偉《えら》い点は、自分も賭《か》けに乗るところだ。三分の二の確率で罠に当たるのだ、兵士でない者には向かない作戦である。宝物が気になって仕方がないとはいえ、見上げた商人|根性《こんじょう》だ。
 ぐらつく取っ手を握り締《し》める。|緊張《きんちょう》からか唇《くちびる》を軽く舐《な》めた。
「……もし私がここで命を落としたら……どうかツェツィーリエにお伝えください。鳴呼《ああ》、あなたの笑い声はすがしい清流のせせらぎ、あなたの|吐息《といき》は甘く切ない|薔薇《ばら》の香《かお》り、あなたの|瞳《ひとみ》は若葉に宿る朝露《あさつゆ》の輝き、あなたの唇は……」
「そ、それを全文ですかな」
「もちろんです。一字一句|違《たが》わずお願いします。スガシイとセイリュウとセセラギは韻《いん》まで考えているのですから」
 サイズモアには無理そうだ。
「まあ、取り越《こ》し苦労《ぐろう》であることを祈《いの》りましょう。|大丈夫《だいじょうぶ》、若輩者《じゃくはいもの》とはいえ不沈《ふちん》のファンファンの名を継《つ》ぐ男です。先物取引では失敗したことがありません」
 商人と海の男、金髪従者は扉の前に立ち、それぞれの取っ手をぎゅっと握った。合図をするのはファンバレンだ。
「いいですか? ミズーリ、スメタナ、自社カード!」
 自社カードって何スか? とダカスコスが訊く前に、三人は扉を開け放った。サイズモアとシュバリエは、反射的に顔を庇《かぽ》った。だが、毒霧も|槍《やり》も飛び出さない。
「……同じ部屋に入り口が三ヵ所も……」
 単に並んでいただけだった。
「しかしこの先に罠があるかもしれませんからな。皆《みな》さん、どうぞ|慎重《しんちょう》に……」
「わあー」
 子供みたいな声をあげて、ファンファンが宝部屋に駆《か》け込んだ。百人は入れそうな広さの倉を、縦横無尽《じゅうおうむじん》に走り廻《まわ》る。
「素晴らしい、貴重な物が数えきれないほどあります! 例えばこの裸婦《らふ》像の優美な腰《こし》つき。それにほら、見てくださいよこの|魔王《まおう》像! 作者の魔王への言い知れぬ|恐怖《きょうふ》が伝わってくるようでしょう?」
「というか、頭部がゾウですな」
「そこが素晴らしい! これは呪《のろ》いの|儀式《ぎしき》に使われたものです」
 与《あずか》り知らぬところで|呪術《じゅじゅつ》に荷担《かたん》させられていたわけか。更《さら》に商人は木製の顔の欠けた人形を掴《つか》み、目線の高さに持ち上げた。
「ああこれもいい。いい仕事していますねー。これは呪《のろ》いに使われたものかな。おお、この分厚い鏡も重さがいいですね、これは呪《のろ》いに使われたものです。おやこんな所に呪《のろ》いの腰紐《こしひも》が。これを装着すると呪《のろ》われて体力が激減するのですよ。ああっこれは、呪《のろ》いの|釘《くぎ》打つバナナ」
 呪《のろ》われない品物は収納されていないのか!? |神殿《しんでん》の偉い人は物騒《ぶっそう》な物の収集家らしい。
 興奮している商人は放っておくとして、自分達の任務は箱の交換《こうかん》だ。速やかに目的物を探しだし、偽物《にせもの》とすり替《か》えなければならない。白黒石遊びでは四隅《よすみ》から攻めるダカスコスは、部屋の隅をうろついていた。
「ありゃ」
 よく似た大きさの四角い物が、地べたに無造作に置かれている。載《の》せられていた洗濯《せんたく》物を脇《わき》にどけると、蓋《ふた》にはでかでかとこう書かれていた。
『風の終わり』
 幼児並みの判りやすさに、ダカスコスは言葉を失った。
 
 おれの中ではその間ずっと、暗闇《くらやみ》での拷問《ごうもん》が続いていた。
 |鼓動《こどう》と同じタイミングで|襲《おそ》ってくる頭痛、鼻の奥に広がる鉄|錆《さび》の臭《にお》い。
 針でも刺《さ》されたように目頭《めがしら》が痛み、大|音響《おんきょう》の耳鳴りが終わらない。|誰《だれ》かが|喋《しゃべ》っている言葉が、意味もとれずに延々と続いた。耳から聞こえてくるのではなく、|脳《のう》味噌《みそ》に直接ヘッドフォンを当てられているみたいに。
 寺の鐘《かね》に閉じこめられて、外からガンガン叩《たた》かれている感じ。
「……や……渋谷ッ……」
 乾《かわ》いて、くっついた|目蓋《まぶた》を必死で開けようとする。皮膚《ひふ》の剥《は》がれる音が聞こえそうだった。金と翠《みどり》がぼんやりと視界に入る。更に向こうはさっきまでと同じ暗闇だが、白い灯《あか》りがちらちらと舞《ま》っていた。雪だ。
 黄金色の髪の人が|僅《わず》かに眼《め》を|眇《すが》め、唇が少しだけ動くのが見える。
「こうなったら」
 こう、なった、ら?
「っわあッ、よせやめろヴォルフラム! そんなんしたら死んじゃうだろうがっ」
 急速に意識が浮上《ふじょう》した。フォンビーレフェルト|卿《きょう》は金属製の|棍棒《こんぼう》を振《ふ》り上げ、おれを殴《なぐ》ろうとしていたのだ。
「気を……ごほ……失ってたから、って、その起こし方は乱暴すぎ……ぅぇ」
 首を持ち上げようとすると、吐《は》き気《け》と|眩暈《めまい》に襲われる。仕方なく頭を元に戻《もど》す。後頭部に何ともいえない硬《かた》さの物が当たった。嫌《いや》な予感がする。この張りつめた肉の感じは……。
「陛下、こんなことしかできませんが」
 案の定、ヨザックの|膝枕《ひざまくら》だった。
「渋谷、ほら、水」
「ごぶ」
 ロに雪玉を押し込まれた。村田だ。右手にもう一個|握《にぎ》っている。おかわりに備えているのだろう。もういい、もういいからと手を振るが、意思の疎通《そつう》がままならない。
「うむふーっ……っぷ、なにすんだよっ、喉《のど》まできちゃったじゃないか」
「ようやく正気に戻ったか」
 ヴォルフラムは腰の負担を減らすように、棍棒を支えにして立っていた。ふっと表情が柔《やわ》らかくなる。おれは横になったまま、目だけで周囲を|確認《かくにん》した。村田が屈《かが》み込んでいて、頭の下にヨザックの腿《もも》があった。
 でも『彼』はいない。
 |軋《きし》む腕《うで》を|騙《だま》し騙し持ち上げて、冷え切った指で自分の頬《ほむ》に触《ふ》れる。
 濡《ぬ》れていた。多分、雪で。
「コンラッドが」
 三男が眼を逸《そ》らした。
「ヴォルフ、コンラッドが……いたよな、確かに。なんか黄色の服着てさ、あんたは虎《とら》ファンかっつー制服でさ。なあヴォルフ、コンラッドがいない」
「少しは自分の心配をしろよ!」
 |珍《めずら》しく村田の強い口調に窘《たしな》められ、おれはやむなく口を噤《つぐ》んだ。
「きみはあそこから落ちたんだぞ!? まあ|途中《とちゅう》で、ウェラー卿が、うまく掴んでくれたけど。そうでなかったら地面に叩きつけられて、全身骨折しててもおかしくないんだ」
「あそこ?」
 少し離《はな》れた場所に|審判《しんぱん》と作業員が数人いた。|豪雪《ごうせつ》地方の雪|掻《か》きよろしく、高所から灰色の塊《かたまり》が落ちてくる。いったい何をしているのだろう。
「あれは」
「円形|舞台《ぶたい》上の雪を排除《はいじよ》しているんだ。埋《う》まった奴《やつ》を救出しなければならないからな。お前がやったことだろう」
「おれが!? 埋めたの!? 誰を?」
「誰って……全く覚えてないのか?」
 覚えていなかった。
「てことは、おれまたやっちゃったんだな。例のスーパー上様モード。いやそれよりも、埋まったって、埋めたって誰を。まずい、その人まさか」
「フォングランツなら生きてますって。まったく、しぶとくてヤんなっちゃう」
 ヨザックが心底残念そうに言った。
「でも、あんな|凄《すご》い魔術を披露《ひろう》しながら、|記憶《きおく》にないってのも損な気がしますねェ。どれだけ|壮絶《そうぜつ》で恐《おそ》ろしかったか、本人だけが知らずに済むってのも。あ、損じゃなくて得ですかね」
「また凄《すさ》まじくて下品でグロテスクで、品性を疑われることしちゃったんだな、おれ」
「やだなぁ陛下、美しさが|全《すべ》てってわけじゃないんだから。オレにしてみりゃアーダルベルトをぎゃふんと言わせてくれただけで、何というかこう、胸のすく思いですよ」
 しかしぎゃふんと言ったのは、アメフトマッチョだけではなかった。
 恐る恐る喉に触れてみると、固まりかけた黒っぽい血が指に着いた。幸いそう酷《ひど》くは痛まないが、動けばすぐに傷が開くだろう。どうでもいいけど「ぎゃふん」って何時《いつ》の言葉よ。
「なんで生きてんだか、不思議」
 こんなことは久しぶりだった。人間を超《こ》えた魔力を発揮しても、ここ数回は薄《う》っすらと記憶があったのだ。なのに今回は何一つ思い出せない。ずっと暗闇の中に閉じこめられていただけだ。あの状態を思い出すと、不安と恐怖で|身体《からだ》が震《ふる》えそうになる。
「……どうしちゃったんだろ、おれ」
「お前はいつでもどうかしている。今に始まったことじゃない」
 ヴォルフラムがゆっくりとしゃがみ込んだ。動きがやけにギクシャクしている。そういえば彼の腰はどうしたのだろう。長引かなければいいけれど。
「横を向け。首の|怪我《けが》を何とかする。グリエ、針と糸を持っているか」
「持ってますよ。より美しく着こなすために、服の寸法直しは必須《ひっす》ですからね。なんだったらオレが縫《ぬ》って差し上げましょか? 裁縫《さいほう》の腕にはちょっとした自信が」
「縫うの? 麻酔《ますい》もなしで!? ていうかあの癒《いや》しの術でやってくれよっ、お前だって血止めくらいできるって言ってたじゃん」
「動くな」
 手を伸《の》ばして村田に助けを求めるが、自業《じごう》自得と一蹴《いっしゅう》される。
「仕方がないね。みんな必死で止めたのに、渋谷が勝手に暴走しちゃったんだから」
「おまえ段々意地悪キャラになってねーか?」
 目の端《はし》に白衣の二人組がちらりと映った。髪《かみ》をきっちりと帽子《ぼうし》で覆《おお》い、俯《うつむ》き加減《かげん》で走ってくる。小柄《こがら》ながら純白の衣装がよく似合い、清潔感|溢《あふ》れて頼《たの》もしい。
「ああっホラ、救護班の皆《みな》さんが! どうせならプロの|治療《ちりょう》受けさせてくれよー」
「ごめんなさい、お待たせしてしまったかしら。ああ陛下、なんて痛々しいお姿なの」
「は?」
 おれの前で|膝《ひざ》をついた白衣の天使は、襟《えり》を大きくはだけていた。はっきりくっきり繰《く》り広げられる胸の谷間に、出血量が倍増する。慌《あわ》てて鼻を強く押さえた。
「ぶ……フゥェ、フェリひゃみゃ?」
「ええ陛下。あ、な、た、の、ツェツィーリエよ。とーってもお久しぶりね。お元気でいらして? お会いできなくて寂《さび》しかったわ。ああ陛下ったら、傷付き血に染まるお姿も官能的だわ。どんなご婦人も|一瞬《いっしゅん》で|悩殺《のうさつ》されてしまいそう」
「母上!? |闘技《とうぎ》場は女人禁制ですよ。いったいどうやってこんな所まで……」
「しーっヴォルフ。ちょっと救護班の衣装を拝借しただけよ。あたくしのように|完璧《かんぺき》に美しい者は、どんな服でも着こなせるものなのよ。ね、ヨザック」
「感服です」
 突然《とつぜん》現れた前女王陛下は、何故《なぜ》かヨザックに同意を求めた。黄金の巻き毛をきつく結《ゆ》い上げている。兵士以外は長髪《ちょうはつ》でなくても|大丈夫《だいじょうぶ》なのだろう。ああ、ツェリ様に縫われるのならば本望です。ナミ縫いでもカエシ縫いでもやっちゃってください。思わず鼻の下が伸びる。
「なんだユーリ、その豹変《ひょうへん》ぶりは、従順そうな顔になって」
 ヴォルフラムは面白《おもしろ》くなさそうだ。おれの傷を調べながら、ツェツィーリエ様は村田を発見した。悩殺ボディをもどかしげに捩《よじ》る。
「あぁこちらが噂の猊下《げいか》ね? 聞いたとおり髪も瞳《ひとみ》も黒ではないけれど……でもすごくとっても可愛《かわい》らしい方! やっぱり陛下とよく似ていらっしゃるのね。ああん、正式にご|挨拶《あいさつ》して、熱い抱擁《ほうよう》を賜《たまわ》りたいのだけれど……猊下、どうかお許しください。礼儀《れいぎ》知《し》らずな女だとお思いにならないで」
「かまいませんよ、上王陛下。今は渋谷の傷を診《み》るのが先だ」
 いつもどおり「ツェリって呼んで」の一節を続けながら、|眞魔《しんま》国三大魔女はおれの首に指を当てた。ひんやりと心地《ここち》いい感触《かんしょく》が、表面だけでなく傷口の中まで伝わってくる。
「……大丈夫、この程度の深さの傷なら、無理に縫わなくてもよくってよ。けれど陛下、|平凡《へいぼん》な魔力しか持たないあたくしには、この場所であんな大掛《おおが》かりな|攻撃《こうげき》など出来そうにもないわ。隣《となり》の建物は|神殿《しんでん》だし、そこら中が法力に従う要素に満ちている……こんな逆境で強大な力を発揮できるなんて、陛下はほんとうに偉大《いだい》なかたね」
「ぎゃ、逆境には、慣れてるんでス」
 とんでもない。真に偉大な術者なら、自らの|行為《こうい》の全てに責任が持てるだろう。なのにおれときたら自分のしたことも覚えていないのだ。たかだか数十分前の行動を|綺麗《きれい》さっぱり忘れるなんて、大|間抜《まぬ》けとしかいいようがなかった。十六歳にして早くも健忘症《けんぼうしょう》だ。昨夜のおかずは何だったかな。
「いて」
「ごめんなさいね、組織を繋《つな》げるから少し痛むわ。このまま包帯を巻いてしまってもいいのだけれど、軽くでも塞《ふさ》いでおけば動くのが楽になるから」
「だ、大丈夫だから、やっちゃってください」
 |誰《だれ》かが手を|握《にぎ》ってくれた。まずいと思う間もなく、苦痛に耐《た》える縁《よすが》にしてしまう。細くて冷たい指だ。顔を向けても|治癒《ちゆ》者の陰《かげ》に隠《かく》れて見えないが、|恐《おそ》らくもう一人の救護員だろう。
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「……フリン?」
 届くとも思えない|呟《つぶや》きに、応《こた》えるように握る力が強まった。
「さあ陛下、あとは布で覆《おお》っておきましょう。あたくしの愛は|充分《じゅうぶん》に注いだつもりだけれど、やっぱりこの場所では応急処置しかできないみたい……傷口が開いたら大変だから、あまり激しい運動はお薦《すす》めできないわ……あら、激しい運動ってなんだか思わせぶりね」
 もしもし、元女王様、もしもーし? 
「それから」
 セクシークィーンは急に真顔になり、おれの顎《あご》を両掌《りょうて》で包みこんだ。三男と同じエメラルドグリーンの|瞳《ひとみ》が、負の感情で一瞬揺《いつしゅんゆ》らぐ。
「コンラートのしたことを許して|頂戴《ちょうだい》。|息子《むすこ》に成り代わって謝るわ」
「ツェリ様が謝ることじゃ……」
「いいえ」
 薔薇色《ばらいろ》の唇《くちびる》を引き結んで頭を振《ふ》ると、黄金の巻き毛が一房《ひとふさ》だけこぼれた。
「すべての|発端《ほったん》はあたくしにあるの。あたくしの無知があの子をどれだけ辛《つら》い目に遭《あ》わせたことか。悔《く》やんでも悔やみきれないくらいよ。でも陛下、これだけは信じてあげて。あの子は決してあなたを裏切ったりはしないわ。きっと何か事情があるのよ。今はまだ明かせない複雑な事情が。だから……」
 ツェツィーリエは片手を自分の胸に当て、もう片方の掌でおれの胸に触《ふ》れた。
「あの子を信じてあげて」
 真摯《しんし》で冷静な口調は、平素の彼女とは一八〇度|違《ちが》った。瞳の奥は慈愛《じあい》に満ちている。背骨の一番下がくすぐったいような感じがした。
 なんだよ、やっぱりお袋《ふくろ》さんだな。
 どんなに若く見えようと、次々と男を魅了《みりょう》し新しい恋《こい》に夢中になろうとも、彼女はやはり母親なのだ。多分そんな初歩的なことは、おれ以外の誰もが知っていたのだろう。
「……信じてるよ」
 女性の顔がぱっと明るくなる。
「コンラッドが理由もなくおれの敵になるはずがない。さっきだって……覚えてないけど助けてもらったわけだし」
 引きつる傷を気遣《きづか》いながら見回すが、目の届く範囲《はんい》に彼はいない。
「今はまた姿がないけどね」
「でも生きてる」
 ぽつりとヴォルフラムが言った。思ったことがそのまま零《こぼ》れてしまったようだ。
「これ以上の朗報はない」
 ずっとこちらを窺《うかが》っていた|審判《しんぱん》が、焦《じ》れた足取りで向かってきた。地上に残った方の男だ。
 共通点が多く、すぐには見分けがつかないが、髭《ひげ》の剃《そ》り跡《あと》の濃《こ》さで判《わか》る。
「もういいだろう救護班。力ロリア代表、速《すみ》やかに移動するように。これから|殿下《でんか》のお目通りがある」
「お目通り? |偉《えら》い人に会わされるのか。|面倒《めんどう》だなあ、どうせ園遊会みたいなもんなんだろ。代理でヴォルフが行っといてよ」
「無礼なことを申すな! 畏《おそ》れ多くも殿下より杯《さかずき》を賜《たまわ》り、直々に願いを申し上げることができるのだぞ」
「そんなの目安箱に入れとくから……って待てよ!? 願いが叶《かな》うって、おれ勝ったの? おれもしかして優勝したの!?」
「今まで気付かなかったのか」
 村田とヴォルフラムはあきれ顔だ。三戦目の相手はアメフトマッチョこと、フォングランツ・アーダルベルトだったはず。あんな強そうな筋肉だるまを、どんな|卑怯《ひきょう》な裏技《うらわざ》を使って倒《たお》したのだろうか。「卑怯」という予想しかつかないのは、自らの|戦闘《せんとう》能力をわきまえているからだ。
 我ながらいじましい。
「……しょっと……」
 年寄りくさい掛《か》け声で起きあがろうとしたが、足腰《あしこし》に力が入らなかった。この疲労感《ひろうかん》はこれまでと同じだ。魔力を使った後は食欲さえもなくなる。ヨザックに脇《わき》から支えてもらい、おれはようやく立ち上がった。少しずつでも歩いて|身体《からだ》を慣らさなくては。
 救護員コスチュームのツェリ様の脇を通るときに、元女王は|悪戯《いたずら》っぽい笑《え》みを|浮《う》かべて、隣の人間と場所を入れ替《か》えた。
 フリンは俯《うつむ》いたまま顔も上げず、硬《かた》い声で一言だけ発した。
「……おめでとう」
「うん。あーいや何いってんの、これは一応、あんたの|旦那《だんな》の勝利なんだからさ」
 返事の何が気に入らなかったのか、いっそう俯いて|黙《だま》ってしまう。もっと|素直《すなお》に嬉《うれ》しがればいいのに。村田が訳知り顔で耳を弄《いじ》った。
「複雑だねー、乙女心《おとめごころ》は」
 修道女クリスティンの甘い罠《わな》時代でも思い出しているのだろう。
 
 案内係の腕章《わんしょう》をつけた男に先導されて、カロリア代表チーム一行は王族席まで歩かされた。勇敢《ゆうかん》な戦士三人と監督兼《かんとくけん》付き人一人だ。
 位置としては隣の神殿の中程《なかほど》だったのだが、全身|弛緩《しかん》状態のおれにとって、長い階段は非常に|厄介《やっかい》だった。|膝《ひざ》が笑っていうことを聞かない。
「陛下、よければ背中をお貸ししますよ」
「いいってヨザック。年寄り扱《あつか》いされたくない。ただでさえ|年齢《ねんれい》に非常識な開きがあるのにさ」
 |爪先《つまさき》に力を入れながら、おれは一段一段|踏《ふ》み締《し》めながら登った。おまけにさっきから呼吸も苦しい。試合中のいい加減さを反省し、心を入れ替えてきちんと覆面《ふくめん》を|被《かぶ》っているのだ。ノーマン・ギルビットの振りは|完璧《かんぺき》だが、お陰《かげ》で顔の表面は、|汗《あせ》と二酸化炭素でいっぱいだ。
 それにしても待遇《たいぐう》が悪い。仮にも優勝チームなのだから、野郎《やろう》どもが担《かつ》ぐ御輿《みこし》に乗せて、パレードしながら運んでくれたってよさそうなものだ。それが無理ならせめて飛んで行っちゃったゴンドラを引き戻《もど》し、うちの親の結婚《けっこん》式みたいに降ろしてくれたって……そこまで考えて、小学生の頃《ころ》何度も見せられたVTRが甦《よみがえ》る。やっぱりゴンドラは|勘弁《かんべん》してもらおう。
 辿《たど》り着いた謁見《えっけん》室はバスケットコートほどの広さだった。|壁《かべ》も床《ゆか》も|天井《てんじょう》も総黄色だ。もちろん黄系にも色々あるが、この部屋の場合は|全《すべ》てがレモンイエロー。頭がくらくらし始めた。
「総金貼りの建物ってのには入ったことがあるけど」
「また村田ぁ、ちょっとばっか過去に詳《くわ》しいからって、フランスとかロシアの貴族生活をひけらかそうってんだなり」
 地球の友人は|涼《すず》しげな顔で言った。
「いや金閣寺」
「きん……」
「そういえば叔父《おじ》上《うえ》の洗面室が、便器の奥まで黄金だったな」
 貴族生活八十二年目、元プリ殿下までそんなことを言う。
 金と名のつく物など金属バットと金のエンジェルしか集めたことがなく、おまけに『おもちゃのカンヅメ』も貰《もら》い損《そこ》ねたおれは、人生経験の浅さを一人|嘆《なげ》いた。
「まあそう気を落とさずに。オレは金銀|真珠《パール》どの部屋にも住んでないですよ陛下。血と汚物《おぶつ》の臭《にお》いの充満《じゅうまん》した、真っ暗な拷問《ごうもん》部屋には七|泊《はく》しましたけどね。やー隣《となり》の客がよく|叫《さけ》び狂《くる》う客でねえ、悲鳴がガンガン聞こえてくるんですよぅ」
 人生経験が浅くて本当に良かった。
 上座から三分の一ほどは、黄色の御簾《みす》で仕切られていた。奥には幽《かす》かに人影《ひとかげ》が見えるのだが、顔も性別も|確認《かくにん》できない。せっかく異世界の美川憲一が見られると思ったのに、スダレ越《ご》しとは残念だ。
「殿下、大シマロン記念祭典、知・速・技・総合競技、勝ち抜《ぬ》き! 天下一|武闘会《ぶとうかい》の勝者であるシマロン領カロリア自治区代表三名|及《およ》び補欠一名を連れて参りました」
 ここまで一息にまくし立てると、案内係は姿勢を低くして、御簾の向こうからのお言葉を待った。それにしても村田は補欠扱いだったのか。|誰《だれ》かが欠場したらこいつが繰《く》り上げされていたわけだ。どんな風に蹴勢のか、艦りだけでも見てみたかったな。
「殿下、拝謁《はいえつ》を賜りたく……」
 案内係がもう一度呼びかけると、目に痛いレモンイエローの奥から美少女アニメのヒロインみたいな声がした。
「殿下じゃないよ、朕《ちん》だよぉ」
 え? なんだよこの典型的な美少女キャラボイスは。語尾《ごび》につく「ですぅ」とか「ですの」がよく似合う、ソプラノとアルトの中間の鼻声は。「なのだ」がつくとはじめちゃんのパパになっちゃうけどね。
 おれは声質に|驚《おどろ》いただけだったが、案内係は本格的に|仰天《ぎょうてん》したようだ。限界まで開いた五本の指で、Fカップ巨乳《きょにゅう》を持ち上げるポーズになっている。
「で、殿下ではなく陛下であらせられますか!?」
「そうだよぉ、朕だよぉ」
「こっ、ここここれは失礼をばイタメシパスタっ」
 |駄洒落《だじゃれ》のツボを巧《たく》みに突《つ》いてくる。おれは耐《た》え難《がた》い空腹感を思い出した。
 いつの間にか案内係が五人に増え、軽装ながらも武器を帯びた衛兵までもが部屋に入ってきた。|殆《ほとん》どの人間が動揺《どうよう》を隠《かく》せない様子で、額やこめかみに冷《ひ》や汗を浮かべている。
 どうしてこんなに慌《あわ》てているのだろう。デンカは|所詮《しょせん》、代理だったのだから、ヘーカが来てくれれば万々歳《ばんばんざい》じゃないですか。
 村田が首を傾《かたむ》けて、他《ほか》に聞こえないように|囁《ささや》きかけてきた。
「どんな朕だと思う? 僕の予想じゃ眼鏡《めがね》っ娘《こ》かなー」
「お前は巫女《みこ》さんが好きなんだろ」
 しかし予想は大きく裏切られた。この世は実に|残酷《ざんこく》だ。
 御簾越し美少女声の陛下が姿を露《あら》わにしたのは、駆《か》け込んできた兵士の報告のせいだった。緩《ゆる》やかなウェーブヘアの中年兵は、入り口の警備を突き飛ばしてまでおれたちの近くに来た。|一瞬《いっしゅん》、何の式典中かと驚いたようだが、すぐに案内係だった男に告げる。この案内係、仕事の割に偉い人物だったらしい。
「隊長|殿《どの》、報告いたします! 地下警備部の申告によりますと、どうやら宝物庫に賊《ぞく》が侵入《しんにゅう》した様子です」
「なにィ!?」
 刑事《けいじ》ドラマみたいな反応をして、案内係|兼《けん》隊長殿は髪《かみ》を逆立てた。けれど素晴らしいリアクションを見せてくれたのは、隊長とその場の兵達だけではなかった。
「朕の箱が盗《ぬす》まれたのぉ!?」
 筋張った指が御簾を払《はら》い除《の》けて突き出され、やんごとなき立場の大シマロン王が飛び出してきた。石もないのにつんのめって倒れかかり、痩《や》せた腕《うで》でスダレに|縋《すが》る。レモンイエローの和風カーテンは、大人の体重に耐えきれず引きちぎれた。
「ベラール陛下!」
 無様に転ぶ異国の王様を前にして、おれは助けることもできずに|硬直《こうちょく》していた。
 だって、眼鏡っ娘でも巫女さんでもなかったのだ。
「お、おっさん!?」
 おっさんなのにこの声では、躊躇《ちゅうちょ》してしまうのも|頷《うなず》ける。
 ぽっきりいきそうな手足を隠すのは、赤青の縦線の入った黄色い布だ。美川、小林とまではいかないが、日本の信号機程度には派手である。赤みがかった茶色の|頭髪《とうはつ》は、見事なマッシュルームカットだった。エラの目立つ顎《あご》と痩《こ》けた頬《ほお》。どんなモンスター映画でも、一人だけ生き残りそうな狂気の眼差《まなざ》し。
 そして男なのに……それも四十近くのおっさんなのに、典型的な美少女アニメ声。
 |凄《すご》い違和感《いわかん》だ。
 ベラール陛下と呼ばれたシマロンの主は、家臣に助け起こされながらも|訊《き》き続けた。
「ねえ、箱は? 朕の箱は盗まれちゃったのぉ?」
「大丈夫《だいじょうぶ》です陛下。上に古布など載せて、価値のない物と偽装《ぎそう》したのが功を奏しました。盗賊《とうぞく》は|魔王《まおう》像といくつかの|装飾《そうしょく》品を持ち去った様子です。箱には手をつけられていませんでした」
「魔王像?」
 ベラール・信号機陛下は窪《くぼ》んだ目を丸くした。
「あの、頭がゾウのやつぅ?」
「はい。|恐《おそ》らく、悪魔|信仰《しんこう》の信者どもと思われます」
「純金でも法石でもないよぉ、あんなもの盗んでどう使うんだろうねぇ」
 村田が、あちゃーという顔をした。悪魔を崇拝《すうはい》していた過去でもあるのだろうか。まさか修道女クリスティンさんの甘い罠とは、悪の道への誘惑《ゆうわく》だったのでは。
 問い質《ただ》そうと顔を向けていると、彼の背後の若い兵士が目に入った。男は自覚のない独り言で、唇《くちびる》だけを動かした。
 箱よりは余程《よほど》、価値があるさ。
 未知の|恐怖《きょうふ》をもたらす『風の終わり』は、全ての民《たみ》に支持されているわけではないらしい。
「とにかくよかったぁ、盗まれたのが箱じゃなくてぇ」
「ですが陛下……賊の侵入を許した警備兵達が、|妙《みょう》なことで揉《も》めておりまして」
「妙なこと? なーに?」
 くるんと内側にカールしたマッシュルームを強く振《ふ》る。サイズモア憧《あこが》れのロン毛よりはるかに短いので、王といえども軍人階級ではないのだろう。
 異国の王室の日常を見物することとなり、おれたちチーム・シマロンは完全に|緊張感《きんちょうかん》を無くしていた。こうなると疲労《ひろう》や空腹が気になり始める。
 山田くん、座布団《ざぶとん》とお茶持ってきてー。
「殆どの兵は不意打ちを食《く》らったと主張するのですが、一部に不相応な金銭を所持する者がおりまして……そ奴等《やつら》は気を失っている間に懐《ふところ》に入れられたのだとか、知らぬ間に|握《にぎ》っていたとか申すものですから……同じ部隊の兵士間で、ちょっとした不平等が起こっておりまして」
「なぁんだぁ、不平等ぉ?」
 半分だけぶら下がった御簾の向こうに、まだ数人の人影が残っていた。側用人《そばようにん》でも控《ひか》えているのだろうか。だが、ちらりとそちらに向けたおれの関心は、ベラールの甲高《かんだか》い叫びですぐに引き戻された。
 村田もヴォルフラムもヨザックも、それどころか兵士達まで|虚《きょ》を衝《つ》かれている。
「不平等なのはしょうがないよぉ、この世は不平等に満ちてるんだもぉん! だってほら」
 緩《ゆる》い袖《そで》を捲《まく》り上げ、関節の目立つ細い二の腕を見せつける。乾燥《かんそう》し、生気のない黄色い皮膚《ひふ》には、二本のラインが刻まれていた。
「……|刺青《いれずみ》?」
 まるで濃緑色《のうりょくしょく》の包帯を、二本平行に巻いたように見える。はっきりとは確認できないが、細かな紋様《もんよう》が繋《つな》がって線状になっているみたいだ。
「ほら、ね? ね? こんなにそっくりなんだよお?」
 比較《ひかく》の対象が判《わか》らずに、おれはただ|黙《だま》り込むしかない。
 王は|徐々《じょじょ》に高揚《こうよう》し、それにつれて声の調子も上がる。ヒステリックな高音に、ヴォルフラムの指は無意識に剣《けん》へと伸《の》びた。
「こんなにそっくりに作っても、朕には箱が使えないんだもぉん! 父上も伯父《おじ》上も先々代も、みんな同じように作ったのにねぇ! 名前もみぃんなベラールにした、父も息子も先々代もみぃんなベラールなのに。なのにだぁれも本物の『|鍵《かぎ》』にはなれなかったんだよぉ、ベラール一世の腕も二世の腕も役に立たないんだよぉ」
 着込んだままの外套《がいとう》の中で、全身に鳥肌《とりはだ》がたつのを感じた。
 左袖を捲ったシマロン王は、乾《かわ》いた笑いを部屋中に響《ひび》かせる。
「平等じゃないよぉ! 不公平だよぉ、不公平だよぉ! 朕《ちん》もウェラー家に生まれればよかったのにねぇ」
 聞き慣れた単語を耳にして、おれたちは体を固くする。どうしてシマロンの王室で、ウェラー|卿《きょう》の名前が語られるのか。
「そしたら自分が鍵になれたのにねぇ……そしたら伯父上にも|優《やさ》しくしてもらえたのにねぇ……」
 狂気《きょうき》の|叫《さけ》びが、次第《しだい》に鳴咽《おえつ》に変わる。同時に|身体《からだ》からも力が消え、がくりと床《ゆか》に両膝《りょうひざ》を突く
「……父上も弟も……亡《な》くならずに、すんだのにねぇ……」
「見苦しいぞベラール四世」
 指導者らしい|威厳《いげん》を感じる男の声に、陛下と呼ばれた人は反射的に顔を上げた。虚《うつ》ろになりかけていた茶色の|瞳《ひとみ》が、怯えて|瞳孔《どうこう》を収縮させる。
「|殿下《でんか》!」
 兵士達全員が背筋を正し、御簾《みす》の向こうに身体を向ける。この新たな登場人物のほうが、明らかに家臣の尊敬を集めているようだ。
「……殿下?」
 おれは隣《となり》の物知りくんに、手で口を覆《おお》いながらそっと|尋《たず》ねた。
「|普通《ふつう》は殿下より陛下のが|偉《えら》いんだよな」
「地位は上だね」
 おれとヴォルフラムの関係に照らし合わせればよく判る。どう見ても彼のほうが偉そうだ。……ありゃ。もっとも三男|坊《ぼう》の場合はプリンスの前に元が付くから、やっぱり彼のほうが態度もでかくて偉そうだ……ありゃりゃ。
 引きちぎられ、半分になった御簾の奥から、「殿下」が姿を現した。床に転がっていたベラール四世は、子供みたいに身を縮めた。
「でも、権力に関してはどうかなー」
 この男があの、派手派手ゴンドラで降りてきた人物だろう。確かに「殿下」は陛下よりも権力を持つようだった。彼が入ってきたことで謁見《えっけん》室の空気は引き締《し》まり、不満げな表情の者は一人もいなくなる。
「……伯父上……」
 なるほど、彼がベラール陛下に優しくないという伯父君か。見たところ人間|年齢《ねんれい》で七十は越《こ》えているようだが、杖《つま》にも頼《たよ》らず矍鑠《かくしゃく》としている。軍人定番の長髪《ちょうはつ》と立派な口髭《くちひげ》は、半分以上が白くなっていた。
 しかし衣装は小林幸子、背中に駝鳥《だちょう》の羽なんか背負って宝塚《たからづか》調。
 老化のせいか眼球が白濁《はくだく》しているが、残った一方の眼差しは強く鋭《するど》く、猛禽類《もうきんるい》を思わせた。
 年代的には男盛りであるはずの四世陛下は、伯父に比べるととても大人とは思えない。腕を掴《つか》まれて荷物みたいに運ばれている。
「はて、わたくしは陛下に、勝者の祝福をお願いしましたかな」
 語調こそ|穏《おだ》やかで丁寧《ていねい》だが、力関係の逆転は明らかだった。大シマロンでは当代王陛下よりも、王位に就《つ》かない殿下のほうが格上なのだ。
 よその王室の家庭事情を垣問見《かいまみ》てしまい、カロリア代表組はすこぶる|居心地《いごこち》が悪い。
「お願いすると申しましたかな、ベラール四世陛下」
「……いいえ……仰《おっしゃ》いませんでした、ベラールニ世殿下」
 ええっ、またベラちゃんかよ!?
 |親戚《しんせき》内で同じ名前をつけるのはやめろ。当人達は|納得《なっとく》して呼び合っているのかもしれないが、客としては混乱して仕方がない。
「陛下も殿下もベラールなのか……なんか宗教的な理由でもあるんかな」
 おれの|呆《あき》れた|呟《つぶや》きを、村田が小声で窘《たしな》める。
「しーっ、名前に関してはちょっと知ってるから、後でゆっくり教えるよ」
 なにしろ彼は双黒《そうこく》の大賢者《だいけんじゃ》だ。命名の秘密くらい常識に違《ちが》いない。
 二世殿下は指先で髭《ひげ》を扱《しご》き、甥《おい》に向かって冷たい言葉を投げた。
「陛下の役割は、大人しく玉座に座り、何も口をきかぬことと申しませんでしたかな」
「仰いました……でも朕は、少しでも殿下のお役に立とうとぉ」
「余計なことをなさらぬよう!」
 |屈強《くっきょう》そうな老人に|一喝《いっかつ》され、四十近くの男が泣き|崩《くず》れる。
 おれの中の道徳心が、またしても頭をもたげかけた。
 甥が|純粋《じゅんすい》な好意からしたであろうことを、「余計」というのはあまりに心が|狭《せま》いんじゃないのか? 確かに、えーと儒教《じゅきょう》的、な精神からすると、問答無用で年長者が偉いのかもしれないけれど、だからって一応は「陛下」なんだから、もう少し敬意をもって接してやってらどうだ。
 ただでさえ自信|喪失《そうしつ》気味のベラール四世が、今以上に萎縮《いしゅく》しちゃったら国民だって困るだろう?
 いやこれはおれ自身が新前陛下で、自信喪失気味だから言ってるんじゃないぞ。
「あのな……」
「やめておけ。敵国で倫理《りんり》を諭《さと》してどうする」
 本題どころか|枕《まくら》部分にさえかからないうちに、ヴォルフラムに釘《くぎ》を刺《さ》されてしまいました。
「申し訳ありません伯父上、でもあのぉ……ウェラー卿がぁ」
 今にも泣き出しそうな四世陛下は、馬糞茸《ばふんだけ》カットをゆっくりと左右に振った。
 どうしてこんなに同情を引くのかと思ったら、後ろ姿では声だけしか聞こえないからだ。正面から見たらどんなに泣かれても、いい歳《とし》してェとしか思えない。
「朕は伯父上の役に立ちたくてぇ……厄介者《やっかいもの》と思われるのが、辛《つら》いのです……だって……コンラートが来てから、伯父上はあの男ばかりをぉ……」
 思わず駆《か》けだしそうになるおれの身体を、三人が|揃《そろ》って引き留めた。左右の袖と後ろの裾《すそ》を掴まれては、伯父と甥に駆け寄って間い詰《つ》めるのは不可能だ。
 もう一度言え! ベラール四世、もう一度!
 ウェラー卿コンラートがどうしたって?
 だが、啜《すす》り泣く相手に問い質《ただ》す必要はなかった。御簾の奥にいた人物が、王を宥《なだ》めるべく中央まで進み出たからだ。
「私のことなど気に病《や》まれぬよう。二世殿下はあなたを厄介者などとは思われませんよ」
 形だけの王の弱々しい背中に手を置いて、彼は静かに言葉をかけてやった。口元には穏やかな|微笑《ほほえ》みさえ浮《う》かべて。
 ついこの間までおれのことを陛下と呼んでいた男だ。何度やめろと頼《たの》んでも、いつもの癖《くせ》でつい口にしてしまうのだと。
「さあ陛下、部屋で少し休まれるといい。後の|儀式《ぎしき》は殿下が取り仕切りましょう」
 隅《すみ》から隅まで全身の|全《すべ》ての血が、|一滴《いってき》残らず|爪先《つまさき》から流れだすような気がした。
 おれは御簾向こうの第三の登場人物を睨《にら》み据《す》えた。
 なるほど、ウェラー卿コンラート。
「……あんたの新しい『陛下』は、その男か」
 自分では冷静なはずなのに、身体の震《ふる》えが止まらない。
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