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今日からマ王14-2

时间: 2018-04-30    进入日语论坛
核心提示:     2 シーソーにでも乗っているような気分だった。 激しい横揺《よこゆ》れに床《ゆか》が傾《かたむ》き、右の壁《か
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 シーソーにでも乗っているような気分だった。
 激しい横揺《よこゆ》れに床《ゆか》が傾《かたむ》き、右の壁《かべ》、今度は左の壁へとぶつかりながら、|操舵《そうだ》室《しつ》の面々は必死で頑張っていた。おれも船底から連れ出してきた少女を抱《かか》えて、一生|懸命《けんめい》両脚《りょうあし》を突《つ》っ張っている。なるべくクッションになってあげたいのだが、反射神経だけではそううまく庇《かば》えない。結果としてヨザックが二人分の被害《ひがい》を受けることになってしまった。まあ我慢してもらおう。おれたちには筋肉があるけれど、少女は痩《や》せすぎていて骨を折りそうなのだから。
「あれだね、あれ。フライングパイレーツっ」
「パンツが飛ぶなんて、坊《ぼっ》ちゃんたら、そんないやらしい」
「中途半端《ちゅうとはんぱ》な翻訳《ほんやく》|にょう《能》|ろく《力》を披露《ひろう》するなよ……イテ、舌|噛《か》んだ」
 おれの腕《うで》の中で少女が息を呑んだ。舵《かじ》取りの男が短い声をあげたからだ。彼女達の言語では、呪《のろ》いの文句か何かだったのだろうか。
 もう随分《ずいぶん》前からこの貨物船の舵は、船底から連れてきた神族の男に任せている。サラ曰《いわ》く「小シマロン近海で難破していた奴隷《どれい》」の一人だ。おれには祖国を捨てて逃《に》げてきた難民に見えるのだが、幼い頃《ころ》から大国の王たる教育を受けてきた人間には、彼等は「奴隷」にしか見えないらしい。
 真実がどうあれ、今は議論している暇《ひま》はない。生きるか死ぬかの瀬戸際《せとぎわ》だ、優秀《ゆうしゅう》なら猫《ねこ》の手も借りたい。この海域を行き来した経験のある者がいれば、ルーキーよりずっとベテランのほうが頼《たよ》りになる。
 サラにとっては奴隷かもしれないが、おれにとっては心強い助っ人だ。
「この時化《しけ》を、抜《ぬ》ける日は、果たしてくるんだろうか」
「オレなんかもう、生まれたときからずっと荒海《あらうみ》の中で生活してきたような気分になっちまってますよ。海の乙女《おとめ》グリ江《え》……ぐは」
「うはーごめん、鳩尾《みぞおち》に一撃《いちげき》入れちゃった」
「へ……へへ……坊ちゃん、いい肘鉄《ひじてつ》でしたぜ」
 心なしか涙目のヨザック。
「それにしても、この揺《ゆ》れじゃあ、ヴォルフじゃなくても、ダウンしちゃうって。普段《ふだん》は船酔《ふなよ》いしないおれでさえ、腹いっぱいだったらかなりヤバ……お、お、お、おえーぷ」
 すんでのところで口を押さえる。喉《のど》の奥に苦いものが広がった。食後ではなくて本当に良かった。濡《ぬ》れた床に貼《は》りつく海図に手を伸《の》ばし、少女がおれの腕から離れる。抱《だ》き合って震《ふる》えていた小シマロン船員達が、それに気付いて近寄ってきた。せめて現在地くらいは把握《はあく》したい。
 彼女は関節が浮《う》くほど細く、爪《つめ》のすり減った指先で、簡素な図面の一点を指した。おれたちは横揺れで転がされないように、這《は》いつくばって覗《のぞ》き込んだ。広がる波模様の所々に、顔を出す魚の絵がある。シンプルなマークはいくつも繋《つな》がって、一つの大陸をぐるりと囲んでいた。
 海域の変わり目だろうか。
 少女は湿《しめ》った紙を二回|叩《たた》くと、同じ指を操舵室の正面に向けた。窓の外、指差す向こうには、明らかに色の違う波が見える。
「……あそこが」
 おれもヨザックも小シマロン船員達も、予想外の光景に息を呑んだ。
 それは、海面に描《えが》かれた境界線だった。どんな自然の仕業《しわざ》なのか、一本のラインでくっきりと隔《へだ》てられている。船のいるこちらは陰気《いんき》な灰色なのに、線を跨《また》げば明るい薄緑《うすみどり》色だ。
「あそこでこの厄介《やっかい》な流れが終わるのか? あんな綺麗《きれい》に、あんなにくっきり……なあ、海ってそういうもんなのか?」
 金色に輝《かがや》く少女の瞳《ひとみ》が、おれの顔をじっと見詰《みつ》めた。言葉が通じないので返事はもらえないが、当惑《とうわく》しているのは伝わったに違いない。
「あの先は波も穏《おだ》やかで、そのまま聖砂国《せいさこく》まで行けるのかな……ちょっと待て、あそこまでどれっくらいだよ。海の上で距離感《きょりかん》掴《つか》めないけど、うーん、およそ二百メートルくらいかな」
「メートルってのがどれくらいかは判《わか》りませんが、そう近くはないようですよ坊ちゃん。障害物がないからすぐそこに見えるけど、まだ余裕《よゆう》で五十船体分はありそうですね。更《さら》にその先、陸地までは……んー大雑把《おおざっぱ》に言って三倍はあるかな。もっとも海図が正確ならの話ですが」
 標準|船幅《せんぷく》がどれくらいなのかは不明だが、ニメートルや三メートルということはないだろう。この貨物船だって港で見た限りでは、舳先《へさき》から船尾《せんび》まで九十メートルはあった。計算しやすい数字を採用するとして。
「百×五十……五千か……そんなにっ!?」
 しかも陸地は更に先、目標が大きいから目を凝《こ》らせば見えるだろうが、とても近いとは言えない距離だ。
「でもまあ船だし。何ノットでるのかは聞いてないけど、難所を抜けて海が穏やかになりさえすれば、夜までに辿《たど》り着けるかも」
 触《ふ》れていた肩《かた》が不意に動き、少女が仲間の男に這い寄った。数度叫び合った後に、おれを指差して何か説明している。神族の男は舵輪を握ったまま首を横に振《ふ》った。用心深さを表すように、金色の瞳はちらちらとこちらを窺《うかが》っている。
 明らかに信用されていない。
 無理もなかった。彼等から見れば、おれは小シマロン王の友人だ。決死の覚悟《かくご》で亡命を試みたのに、サラレギーのせいで今また強制|送還《そうかん》されようとしているのだから、その友人であるおれに気を許すわけがない。
「フネ!」
「なに?」
 勢いよく振り返っておれの腕を握ると、少女は理解できる言葉を発した。よく使われるいくつかの単語を覚えたのだろう。
「フネ!」
 もう一度言って、指先を背後に向ける。荒海を指しているのか、サザエさんの母を呼んでいるのかは判らない。
「フネ、が何だって? 今更おれたち全員に戻れっていうんじゃないだろうな……あっ、まさかきみたち、この貨物船を乗っ取って、セーラー服の海賊《かいぞく》みたいにシージャックするつもりか!?」
 警戒《けいかい》の気持ちを感じ取ったのか、少女は悲しげに首を振って否定した。意思の疎通《そつう》がとれないことが、こんなにももどかしいものだとは。慌《あわ》てて周囲を探したおれは、小シマロンの花形|操舵手《そうだしゅ》の胸に、筆記用具らしき棒を発見する。短く断って抜き取ると、湿った海図の端《はし》に小さく「?」を描く。地球記号が通じるとは思わないけれど。
「……フネぇ……」
 ペンらしき筆記具を受け取った少女は、?に枝を付けて人間マークにした。それを五つ並べて描《か》き、下に逆三角形の器《うつわ》を添《そ》える。船というよりはボートサイズだ。同じ物を更にもう一つ描き、線が滲《にじ》むより早く、人型の上に置いた指を自分の胸に当てた。これが私、というように。次に少し離《はな》れた所に大きな三角形を描き加えると、今度はおれとヨザックを指差した。一生|懸命《けんめい》何かを訴《うった》えようと、金色の瞳が覗き込んでくる。
「ごめん、よく、判らな……」
「ああ!」
 静観していたヨザックが、顎《あご》の前で拳《こぶし》をポンと叩いた。
「救命艇《きゅうめいてい》が欲しいんですよ」
「はあ? 救命艇? あー成程《なるほど》、小さいと思ったらこれ救命ボートなんだ。じゃ、こっちの大きいのが貨物船……てことは自分達を救命ボートで脱出《だっしゅつ》させてくれって言うのか?」
 通じているのかいないのか、少女は深く大きく頷《うなず》く。
「今更なんで脱出だよ。もう自分達の国が目の前だってのに」
「やっぱ陛下の読みは当たってたんでしょうね」
 揺れが少し穏やかになったせいか、お庭番はおれから身体《からだ》を離して言った。
「彼等は……船底に閉じ籠《こ》められている連中もですが。故国に返されるくらいなら、荒《あ》れ狂《くる》う海に戻《もど》るほうがましだと言いたいんでしょうよ。たとえ頼りない小船ででもね」
「え!? ちょっと待て、あんたたち元来た方へ戻るつもりなのか。冗談《じょうだん》だろ!? あの恐《おそ》ろしい最悪の海流を、小さい救命ボートなんかで越《こ》えられるもんか! 波に弄《もてあそ》ばれる木の葉みたいなもんだろ」
 おれは海図から身を起こし、痩《や》せた少女の顔を見詰めた。
「なあ、悪いことは言わない。一旦《いったん》、聖砂国に上陸して、準備|万端《ばんたん》調《ととの》えてから再度チャレンジしなよ、な? 先方の王様やサラレギーが何か文句言ったら、及《およ》ばずながらもおれが口添《くちぞ》えするからさ」
 舵取りの男が髭《ひげ》を震わせて叫《さけ》びかけた。それを右掌《みぎてのひら》で制しておいて、少女はゆっくりと首を振る。おれの提案を朧気《おぼろげ》ながら理解した上で、否定しているのだ。
「なんで? おれってそんなに頼りないかなあ、約束を守る男にはとても見えない? ヨザック、あんたからも言ってやってくれよ」
「オレが?」
 いつも陽気なお庭番は、オレンジ色の髪《かみ》を誤魔化《ごまか》すように掻《か》き上げた。上腕《じょうわん》二頭筋に水滴《すいてき》が落ちる。
「参ったな、そりゃ無理ってものよお坊《ぼっ》ちゃん。オレに何が言えるってんですか。こんな必死な眼《め》をした連中に向かって、悪夢の場所に戻れなんてとても言えやしない」
「悪夢って……」
「生まれ育った故郷を捨てて逃《に》げるなんて、余程のことがなけりゃ考えやしませんよ。その連中を説得する文句なんて、オレにはとても思いつかない。どんな命令であろうと陛下のご決断には従いますが、あんまり難しいことはさせないでください」
 自分自身の体験を思いだしたのか、ヨザックは眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せて溜息《ためいき》を吐《つ》いた。魔族《まぞく》の血を引くために迫害《はくがい》を受けた彼もまた、シマロンから眞魔国《しんまこく》へと逃《のが》れた過去を持っている。共感するものがあるのだろう。
 だからといって、要求を呑《の》むわけにもいかない。彼女の望みどおり神族の皆《みな》を脱出させても、小さなボートで荒れ狂う海流を越えるのは無理だ。たとえ運が味方しても、全員が生き延《の》びるのは不可能に近い。
「大体さ、この船に救命艇って何|隻《せき》あったっけ。四? 四隻?」
 小シマロン船員が指を四本立てた。大人三十人までは乗れるとしても、神族全員の数には程遠い。
「どんな無茶しても定員オーバーだろ。サラレギー軍港できみらを見た時も、相当|寿司《すし》詰《づ》めだと驚《おどろ》いたもんだけど……おい、待てよ……きみたちの仲間って」
 おれの脳《のう》味噌《みそ》の奥の方に、不意に数十日前の光景が浮《う》かんだ。うみのおともだち号が小シマロンに入港し、神族の子供二人を助けたときだ。大人も子供も入り交じった神族達が、今にも沈《しず》みそうな小さなボートにひしめき合っていた。赤ん坊《ぼう》を抱《かか》えていない大人達は、ちぎれるほどに両手を振っていた。小さな子供は小舟《こぶね》を揺《ゆ》らす波に振り落とされまいと、親や兄弟の膝《ひざ》にしがみついていた。
 あんな壊《こわ》れかけた船でシマロン大陸目前まで辿り着いたのは、奇跡《きせき》としかいいようがない。聖砂国近海の状況《じょうきょう》を知った現在では、それがどんなに危険なことかよく判《わか》る。だが、もう一つ腑《ふ》に落ちない点があった。ここの船底に詰《つ》め込まれていた人々の数だ。
「下にいるきみたちの仲間って、何人くらいだ? 港で救助された一団よりは、どう数えても多いよな……それに」
 暗く空気の澱《よど》んだ船底での様子を、一生懸命イメージする。酸素はあるのに海の中の匂《にお》いがした。息が詰まるようだった。そして誰《だれ》も喋《しゃべ》らない、赤ん坊の泣き声もしない。
「子供は、子供達はどこ行ったんだ? おかしいだろ、おかしいよな。港で見たときはもっと人数が少なかったけど、大人も子供も赤ん坊もいたんだ。きみより小さいゼタとズーシャみたいな子供がいたはずだ。あの子達はどこへ行ったんだ? 頭数は倍以上に増えてるのに、子供は一人もいないってどういうことだよ!?」
「あの」
 ペンを奪《うば》われた花形操舵手が、上目遣《うわめづか》いに怖《お》ず怖《お》ずと口を挟《はさ》んだ。おれと視線が合うとビクりと肩を竦《すく》め、海の男らしからぬ細い声で発言する。
「あのー、幼小児は、我が軍で保護したのだと思いますが」
「軍が保護? 救助の勘違《かんちが》いじゃないの。だってサラレギーは難破船の乗員を救助したと思ってるんだぞ? だからこそ祖国に帰そうとしてるんだろ。まあ、奴隷《どれい》呼ばわりと酷《ひど》い待遇《たいぐう》は許せないし、実際にはおれの推測どおり、難破じゃなくて難民だったわけだけどさ」
「ですから、サラレギー様は役に立たない大人や年寄りを、年に一度|送還《そうかん》されているのだと思います。この少女くらいの年齢《ねんれい》になれば、神族の価値もはっきりしますから」
 価値?
 花形操舵手の左腕《ひだりうで》を抱え込んでいた一番年の若そうな男が続けた。小シマロンの国民である彼等は、そんなことを知らない輩《やから》がいるなんて! という顔だ。
「神族の中にも生まれ持った法力の強い者と弱い者がいるんすよ。この女くらいの歳《とし》になっても法術が使えなきゃあ、そいつはもう役に立たない駄目《だめ》神族なんです。そりゃまあ我々人間と同じくらい修行を積めば、使えるようになるのかもしれませんが、そんなんじゃ神族としての価値はないんすよ。言ってみりゃ雑魚《ざこ》です、用無しです。なんせこいつらのウリは法力が強いってことだけですからね。法術が使えなけりゃ単なる労働力ですから、収容所に入れたり開拓《かいたく》作業に使ったりします。それっくらいしか役に立たないんすよ」
「酷い言いようだな」
「え!? も、申し訳ありません」
 無意識に顔を顰《しか》めていたようだ。相手は口先では謝ったが、話をやめる気はないらしい。
「しかもここ数年は流れ着く数が多くてですね、正直、供給過多気味なんです。奴隷だって寝《ね》るし飯も食う、金にもならない雑魚ばっか押し付けられて、税金を食い潰《つぶ》されたらたまらんじゃないですか。だからいい機会だっていうんで、手《て》土産《みやげ》代わりに積んできたんだと思います。けど、赤ん坊やちんまいガキ……子供は違《ちが》う!」
 船員の語調が強くなると、海図の上に両手をついたままで、少女は細い肩《かた》を震《ふる》わせた。会話の内容は理解できないはずなのに、下を向いて唇《くちびる》を噛《か》んでいる。その様子になど目もくれず、若い男はポニーテールを元気に揺すった。
「幼児や赤ん坊には才能が眠《ねむ》ってる可能性がありますからね! 流れ着いた集団に小さいのが混ざっていれば、それは全《すべ》て軍部が保護するんです」
「保護して……どうすんだ? 養子にして英才教育を施《ほどこ》したり、お受験させたりするのか」
「養子? まーさーかーぁ」
 笑いながら右手を振《ふ》った部下を、花形操舵手が肘《ひじ》で小突《こづ》いた。リラックスしすぎて慌てたのだろう。上司の実力行使に顔を顰《しか》めながらも、若者は悪びれもせずに続けた。
「売るんすよ」
「売、る?」
「ええ。赤ん坊のうちに商人に売ったり、法力を鍛《きた》えて法術を教え込んでから、他国の軍隊に売ったりするんすよ。かなりの額になります。もちろん戦力になりそうな優秀《ゆうしゅう》なのを、我等が小シマロン軍が選《え》り抜《ぬ》いた後ですが」
 ただ最近は人材の流出が激しくて、育て上手な養成官が他国に引き抜かれたりしてるんすよねー。嘗《かつ》ては神族といえば小シマロン育ちと言われてたもんですが、皮肉なことにここ数年は逆輸入なんて話も聞くんすよねー。と、若手船員はぼやき続けている。おれはといえば、あまりにも現実味を帯びない言葉に、脳味噌のシフトを変えるので一生|懸命《けんめい》だった。
 サラレギーから奴隷の件を聞かされた時点で、当然予想できる事態だ。小シマロンは流れ着いた神族の人々を、「商品」として売り飛ばしている。言われてみればあの荒野《こうや》で親しくなった神族の双子《ふたご》、ジェイソンとフレディもそうだった。恐らく強力な法術使いだから、ナイジェル・ワイズ・マキシーンに買われて連れ回されていたのだろう。
 赤ん坊の頃《ころ》に故郷を離《はな》れ、法術者を養成する施設《しせつ》で育ったと言っていた。だから自分達の生まれた土地が、どんな場所か覚えていないのだと。故郷に還《かえ》りたいと二人は泣いた。聖砂国の様子など何も知らずに。
「まあ、こいつら雑魚《ざこ》神族を送り返したところで、元の奴隷生活に戻《もど》るどころか、脱走者《だっそうしゃ》としてもっと下層階級に落とされるだけすからね。それ考えりゃ葉っぱみたいな救命艇《きゅうめいてい》ででも、こっから離《はな》れたいって気にもなりま……」
「あんたら……最低だな!」
 最低なのはおれだ。例によって感情を抑《おさ》えきれない。
 声というより叩《たた》いた床《ゆか》の音に驚いたのか、小シマロンの若い船員は茶色い瞳《ひとみ》を丸くした。
「なにを得意げに語ってんだよ、人身売買だぞ!? 犯罪だろ、人として間違ってるだろ!? 誰か言わないのか、言わなかったのか?」
「お言葉ですが……陛下」
 おれの剣幕《けんまく》に呆気《あっけ》にとられる部下の代わりに、年長の花形|操舵手《そうだしゅ》が答える。
「彼等は奴隷です」
「あのなっ、さっきから聞いてりゃ奴隷奴隷って何度も何度も! 義務教育も終えたいい大人が、恥《は》ずかしいと思わないのか!?」
 彼は困惑しきった顔で応《こた》えた。
「我々にとっては、当たり前のことでしたから」
「当たり前、って」
「そういうもんですよ、陛下」
 ずっとだまっていたヨザックが、おれの背中から諭《さと》すような口調で言った。
「知らなければそれまでだ。自分達のしていることが正しいかどうかなんて、誰かに教えられなけりゃ気付かないもんです。オレなんかある人物に教えられるまで、自分達は牛や馬と同じ家畜《かちく》なんじゃないかと勘違いしてましたよ」
「だけどヨザック、人身売買だよ。本当に……実際に。当たり前だなんてあり得ないよ、人道的に考えて」
「本当にっ!」
 年長の操舵手が割って入った。だが勢い込んで叫《さけ》んだ言葉は、消え入りそうに小さくなる。潮風で赤らんだ頬《ほお》が、震えている。理由は判らない。
「……当然のことだったのです。彼等は奴隷なのだと、自分達よりもずっと劣《おと》る生き物だと、そう……思っていました」
「だから平気で商品として扱《あつか》えたって?」
 その場|凌《しの》ぎの言い訳めいた内容に、喉《のど》の奥がかっと熱くなった。
 ここで一人二人の小シマロン人を怒鳴《どな》ったところで、事態が好転するわけではない。目の前の相手に当たり散らしても、自分の器《うつわ》の小ささが露見《ろけん》するだけだ。感情的になるべきではない、頭の中では必死に言い聞かせているのだが。
「へえ! 打率や防御《ぼうぎょ》率でもなく、人としての存在に優劣《ゆうれつ》つけてたんだ。どういう評価基準なのかおれにはさっぱり解《わか》らないな! 是非《ぜひ》とも教えてほしいもんだ。例えば彼」
 舵輪にしがみついていた神族の男が、不意に指されて目を剥《む》いた。怯《おび》えたように両肩が上がる。
「彼だ。ベテラン船乗りのあんたたちでも太刀《たち》打ちできなかった、この悪夢みたいな海の難所を越《こ》える腕《うで》を持ってるのに、シマロン人より劣ってるってわけだ。だから船底に閉じ籠《こ》められて、売られたり買われたり、売れないから返品されたりする、と。ほんっとにわっかんねぇな、おれには理解できない。どこがどう劣ってるのか、説明してくれよ!」
 普通《ふつう》に日本で高校生活を送っていれば、日常的にはそんなこと考えもしない。奴隷商人がいて、同じ人間が金銭で取り引きされるなんて、歴史の教科書の中、もしくは遠い国での出来事にすぎなかった。
 だが、これは現実だ。
 おれの懐《ふところ》にはジェイソンとフレディが送ってきた、血で記された手紙がある。目の前には、生まれ育った土地を命懸《いのちが》けで離れ、戻るくらいならば荒《あ》れ狂《くる》う海へ向かうという人々がいる。
 聖砂国は、地獄《じごく》なのか。
 人々にとって還る意味もない最悪の場所なのか。
 おれはそんな恐《おそ》ろしい土地に、幼い女の子二人を送りつけてしまったのか?
 一瞬《いっしゅん》のうちに沸点《ふってん》に達した怒《いか》りは、冷めるのもまた早かった。急速に勢いをなくし、自己|嫌悪《けんお》へと姿を変える。
「……畜生《ちくしょう》、そんなんじゃ帰りたくないはずだ」
 冷たくなった掌《てのひら》で額を押さえ、おれは濡《ぬ》れた床に座り込んだ。気分が悪くなったと勘違《かんちが》いしたのか、少女が左手を握《にぎ》ってくれた。細い指だった。細くて白い、関節ばかりが浮《う》き立った肉のない指だ。ふと、ほんの数週間前まで過ごしていた日本で、彼女ができかけたのを思い出す。
 村田の通う進学校の学園祭で、同じ中学出身の橋本《はしもと》と偶然《ぐうぜん》会った。ラケットの胼胝《たこ》はまだ残っていたが、もっとずっと温かくて、もっとずっと柔《やわ》らかい手をしていた。
 そう歳も変わらない女の子同士なのに、二人の指はこんなに違う。
「ありがとう、大丈夫《だいじょうぶ》だ」
 ほんの少し触《ふ》れているだけの皮膚《ひふ》から、僅《わず》かずつだが熱が流れ込んできて、言葉ではない優《やさ》しさが伝わってきた。こんなにも逼迫《ひっぱく》した状況下《じょうきょうか》に置かれながらも、おれの身体《からだ》を気遣《きづか》ってくれているのだ。
「……大丈夫だよ、きみたちをあそこに連れ戻したりしない」
 船員達がはっとして顔を上げ、ドアに向かって駆《か》けだそうとする。だが、彼等が動くより先に、湿気《しけ》った板が音を立てて蹴《け》られた。
「うひ」
「はーい、慌《あわ》てない慌てナーイ」
 察しのいいお庭番が口端《くちはし》を曲げて笑い、素早《すばや》い動きで|操舵《そうだ》室《しつ》の扉《とびら》に脚《あし》を掛《か》けていた。事が済むまで何人《なんぴと》たりとも出さない構えだ。サラレギーへの報告を諦《あきら》めた花形操舵手が、意を決したようにおれに尋《たず》ねた。
「この者達に救命艇をお与《あた》えになるのですか?」
「残念ながら違うよ、花形操舵手。そんな小舟《こぶね》であの海流を越えられるわけないじゃないか」
 今から考えるとゼタとズーシャが乗っていたボロ船が小シマロンまで辿《たど》り着けたのは、奇跡《きせき》に近い確率だ。海の穏《おだ》やかな時期と重なったのでなければ、かなりの数の犠牲《ぎせい》をだしているに違いない。
 おれの目の前でそんなことをさせるものか。
「大きなお船で行かせてやりたいとなるとー……この貨物船を明け渡《わた》すしかありませんやね。とはいえあの白っぽい少年王様が、黙《だま》って見過ごしてくれるわきゃないですが。ああ、そうだ」
 考え込むおれの頭上でヨザックが言った。彼にかかると厄介《やっかい》な問題も、いとも簡単なことのように聞こえる。
「神族の連中が反乱を起こすってのはどうですか? で、本来の持ち主を脅《おど》して追い出す、と。人質《ひとじち》役はオレにお任せを」
 割烹着《かっぽうぎ》姿の健康優良兵士が、痩《や》せ細った神族に羽交《はが》い締《じ》めにされる様子を想像してみる。えらく不自然な人質だ。十数人で一斉《いっせい》に立ち向かっても、ヨザックの敵ではなさそうだ。
 あの人達は良くいえば平和的だが、悪くいえば覇気《はき》がなくも見えた。劣悪《れつあく》な環境下《かんきょうか》に置かれていたせいもあるだろうが、少々|発破《はっぱ》をかけたところで、とても反乱など起こしそうにない。
「うーん、無抵抗《むていこう》主義ともちょっと違うみたいなんだけど。いや待て待て、グリ江ちゃん。反乱なんて物騒《ぶっそう》なことを焚《た》きつけちゃ駄目《だめ》だ。あくまでも理想は無血開城、無血開船なんだからさ……」
 窓の向こうに視線をやると、波の分かれ目がくっきりと見えた。まるで絵に描《か》いたみたいに鮮《あざ》やかだ。おれたちはあのラインの先、穏やかな色の海域まで行きさえすれば、そう苦労もなく聖砂国へと辿り着けるだろう。その先は小舟でも構わない。
 いっそのこと救命ボートでも。
「ヨザック」
「なんざんしょ、坊《ぼっ》ちゃん」
「おれは今からかなり危険な嘘《うそ》をつくけど、あんまり軽蔑《けいべつ》しないでくれ」
「軽蔑だなんてとんでもない」
 長い脚《あし》を支《つっか》え棒にしながら、胸の前で腕を組む。割烹着の白い袖《そで》の下で、しなやかな上腕《じょうわん》二頭筋が動いた。まったく彼は惚《ほ》れ惚《ぼ》れするような外野手体型だ。
「嘘と女装は諜報《ちょうほう》の花よん。グリ江だぁい好き。でも坊ちゃんがやろうとしてるのは、熟練諜報員に言わせてもらえば、そのどちらでもなさそうに思えるけど?」
 少なくとも女装ではないが、お守り役の言葉に甘えて正当化するつもりもない。
「いや、嘘だと思うよ。下手をしたら生命《いのち》にかかわる悪質な嘘だ」
 胸に置こうとしたのを途中《とちゅう》でやめて、自分の額に掌を当てる。こうでもしないとあまりの情けなさに、笑いだしそうだったのだ。
「参ったね、しかも次に続くのは泥棒《どろぼう》ときたよ。諺《ことわざ》とか格言って馬鹿《ばか》にできないもんだな。最低だよなあ、嘘つきの王様なんて」
「まあそう自虐《じぎゃく》的にならずに。そういやグリ江、ここんとこ無口で堅物《かたぶつ》なばかりの上官としか仕事してなかったのよ。だからね」
 眞魔国の忠実なお庭番は、両手の指をボキボキ鳴らしつつ小シマロン船員達に視線を向けた。
 楽しげながらも物騒な、獲物《えもの》を震《ふる》え上がらせる顔だ。
「……ちょうど演技派に飢《う》えてたところです」
 
 
 
 船長室の扉の下半分は、横波のせいで色が変わっていた。
 おれはその湿《しめ》った板を拳《こぶし》で叩《たた》き、返事を待たずに開け放った。行動の早い船員達は、既《すで》に甲板《かんぱん》や船室に続く階段を走り始めている。
「大変だ! サ……」
「どうしたのユーリ」
 振《ふ》り返ったサラレギーは両手に光り物を持ち、ベッドの上に何枚もの服を広げていた。足元に転がった幾つものスーツケースからは、色とりどりの布がはみ出している。
 あまりにも平和な光景に、両膝《りょうひざ》から力が抜《ぬ》けかけた。
「な、なにしてんだよ。この緊急《きんきゅう》事態に」
「何って、衣装《いしょう》合わせだよ。聖砂国の君主にお目にかかるのに、潮風にまみれた旅行服では様にならないから。そうだ、ユーリもこの中から選ぶといい。わたしの物でよければ遠慮《えんりょ》なく使って。ほら、ウェラー卿《きょう》、そっちの衣装箱をとって」
 広いとは言い難《がた》い部屋の隅《すみ》に、やや呆《あき》れ顔のウェラー卿が立たされていた。淡《あわ》い色の上着を両腕《りょううで》に掛けられていて、人間ハンガー状態だ。情けない。いや、他人の護衛をとやかく言える立場ではないけれど。
「衣装合わせって……あのな、仮装パーティーじゃねーんだから」
 窘《たしな》めようとするおれに、サラレギーは言い募《つの》った。
「でもユーリ、相手に自分をどう印象づけるかは大切でしょう。王に必要な威厳《いげん》みたいなものは、わたしのような若輩者《じゃくはいもの》では纏《まと》えないから、せめて衣装だけでも見栄《みえ》を張って相手に呑《の》まれないようにしないと」
「そりゃそうかもしれないけど……」
 第一印象は確かに重要だ。帝王《ていおう》学をきっちり身につけたサラレギーに言われると、そんな風にも思えてくる。しかしざっと見たところでは、彼の持参した正装はキラキラヒラヒラした物ばかりだ。ユニフォームとジャージしか似合わないおれが拝借しても、「馬子《まご》にも衣装」どころか「海老《えび》にピアス」になりかねない。
「……おれはいいやー。遠慮しとくよ」
「そんなこと言わずに。わたしが選んであげようか? ああ、でもあなたには矢張りあの黒い服が一番似合うな。黒は不吉《ふきつ》な恐怖《きょうふ》の色だと教えられてきたけれど、ユーリに会って考えが改まったよ。特別な色を、特別な人のために仕立てたからかもしれないけれど」
 うちの高校では、四百人近くが常時着用。
「せっかく横波も治まっていることだし。この分だと一日とかからずに上陸できるよ。もう厄介な海域を抜けたんでしょう?」
 それを報《しら》せに来たんだよね? と細い顎《あご》を傾《かたむ》けられて、おれはやっと本題に入れた。頭の中で審判《しんぱん》が片手を挙げる。
「それどころじゃないよ、サラ! 服なんかどうでもいいから、早くここから逃《に》げるんだ!」
「逃げる? なぜ」
 透《す》けるような淡い金の髪《かみ》が、華奢《きゃしゃ》な肩《かた》から零《こぼ》れ落ちた。整えたばかりのピンクの爪《つめ》の先で、薄《うす》い色の眼鏡《めがね》の中央を押し上げる。
「奴隷《どれい》達が何かした?」
 最初からあり得ないと判《わか》っている顔だ。けれどそのコンマ数秒後には、いかにも不安げな表情を作ってみせる。不意に感じた違和《いわ》感に、おれは、眉《まゆ》を顰《ひそ》めかけるのを一生|懸命《けんめい》堪《こら》えた。
 今の、ほんの一瞬《いっしゅん》の変化は何だろう。十七歳という若さながら、たった一人で大国を率い、健気《けなげ》に頑張《がんば》ってきた少年王サラレギー。おれと似た立場にあり、互《たが》いの悩《なや》みを打ち明けられる信頼《しんらい》感からか、心を許せる歳《とし》の近い友人。王になるべくして生まれてきた人間。
 そのどれでもない彼を、垣問見《かいまみ》たような気がしたのだ。
「まさか、反乱でも起こしたの!?」
「……いや、違うよ。神族の人達は関係ない。問題は船だ、船なんだよ。いいかサラ、お、お、お、落ち着いて聞いてくれ!」
 そっちが落ち着け、とツッコミが欲しいところだ。すぐ後ろで叫《さけ》んでいるヨザックは、おれの安全に目を光らせてくれているとはいえ、船員を不安に陥《おとしい》れる煽動《せんどう》役だ。一人でどうにかするしかない。ここが踏《ふ》ん張りどころだ。
「船がヤバイんだ、もうすぐ沈《しず》む! 花形|操舵手《そうだしゅ》も船長も言ってた。聞こえるだろ? ギシギシいってる。積荷担当の話では、船底の数ヵ所から早くも浸水《しんすい》してるらしい。やっぱり普通《ふつう》の貨物船じゃ初めての海流に耐《た》えられなかったんだよ」
 頬《ほお》にかかる髪を指で掬《すく》いながら、サラレギーは口を噤《つぐ》んで耳をすました。甲板での喧噪《けんそう》に掻《か》き消されて、木の軋《きし》む音など聞こえまい。
「な? 今にも沈みそうだろ!? このままだとあと十数分で、中央から真っ二つになる可能性もあるって。おれたちも早いとこ脱出《だっしゅつ》しないと! 船と運命を共にする気なら別だけどなッ。ああほら服なんかどうでもいいから、最低限の貴重品だけ持って」
「でもユーリ、脱出ってどうやって……あっ」
「救命ボートがあるだろっ!? まさか定員オーバーだなんてこたぁないよな」
 おれは戸口を抜けて部屋に駆《か》け込み、王様の衣装箱を逆さまにした。艶《つや》やかで美しい布地を床《ゆか》に放《ほう》りだし、代わりに役立ちそうなコートや毛布を詰《つ》める。こうなったら実力行使だ。
「ユーリ、なにをするつもり!?」
「この気候だ、防寒着が要《い》る。濡《ぬ》れないようにしておかないと。中身を捨てればスーツケースは浮《う》き輪《わ》代わりになるし……急げよサラ、ぼーっと突《つ》っ立ってるな!」
 高貴な育ちの少年は、何をしたらいいのか本当に判らないようだ。庶民《しょみん》の生まれに感謝してしまった。
「わたしはあんな小舟《こぶね》に乗ったことはないよ」
「大丈夫《だいじょうぶ》。おれはバナナボートにも、男二人でスワンボートにも乗ったことあるから」
「坊ちゃんどーしますぅ? そっちのひ弱そうな王様も一緒《いっしょ》に運ぶー?」
 泡《あわ》を食って駆け込もうとしていた船長の首根っこを掴《つか》まえ、床から持ち上げながらヨザックが訊《き》いてきた。声はすぐ後ろだ。前を向いたままでも、手を伸《の》ばせばすぐに届くくらい近くだ。
「いいよ、こっちは大丈夫だ。それより皆《みな》に船を離《はな》れる準備をさせてくれ。さあサラレギー、沈む船にいつまでもいられない。おれたちは聖砂国に行く、そうだろ?」
「でもユーリ、献上品《けんじょうひん》や……奴隷達はどうするつもり? あの荷物を積み込む余裕《よゆう》は救命艇《きゅうめいてい》にはないよ?」
「彼等は残していく」
 薄い色の眼鏡の下で、硝子《ガラス》に隠《かく》された瞳《ひとみ》が一瞬、暗く翳《かげ》ったような気がした。驚《おどろ》いたのかとも思ったが、顔を上げたサラレギーは薄く微笑《ほほえ》んでいた。練習してきたはずなのに、おれは次の言葉に詰まってしまう。
「……っ、気の毒、だけど、仕方がない。連中は奴隷なんだろう、サラレギー。緊急事態なんだから、この際おれたちの」
 唇《くちびる》の端《はし》が引きつる。それを無理やり抑《おさ》えた。
「……奴隷、より、こっちの生命《いのち》が優先だよ。可哀想《かわいそう》だから女性と子供だけでも連れて行ければと思って……一応そう説得してみたんだけど、おれの言葉が通じてるかどうかも判らない。船底から出てこようとしないんだ。どうしようもないよ、この船に残していく。あとは神様に祈《いの》ってあげるくらいしかできない」
「うん」
 細い顎を軽く引いて、サラレギーは満足げに二回|頷《うなず》いた。
「うん。そうだよユーリ、彼等は奴隷だ。そう生まれついたんだ。あなたが気に病《や》むことはない。生まれというのはそういうものだよ」
「私には関わりのない話ですが、サラレギー陛下」
 これまで黙《だま》っていたウェラー卿が、咳払《せきばら》いと共に会話を切った。両腕に掛《か》けられたきらびやかな衣装を振り落とす。焦《あせ》っても驚いてもいない顔だ。
「そちらの方の仰《おっしゃ》るようになさるおつもりなら、早めにこの部屋を出たほうが良さそうです」
「ほら、お付きの人もそう言ってる。護衛の助言は聴《き》いておいたほうがいい。船長と一緒の舟《ふね》に乗ってくれ。おれはもう一度|操舵《そうだ》室《しつ》に戻《もど》って、舵取《かじと》り連中を引き上げさせる!」
 あとはウェラー卿が安全に移動させてくれるだろう。彼だって守るべき対象が深海に沈んでしまっては困るはずだ。言い捨てると慌《あわ》てて踵《きびす》を返し、大急ぎで甲板《かんぱん》へと駆け戻る。嫌悪《けんお》感でとてもその場に留《とど》まってはいられなかったのだ。
 色とりどりの美しい布が広げられたあの部屋に、おれの発した汚《きたな》い言葉がこもっているような気がした。お前は自分の口でそう言ったんだぞと、突きつけられているようで、サラレギーと一緒にはいられなかった。
「いやーん、不潔だわー! 所詮《しょせん》オトコなんてみんな嘘《うそ》つきなのよー」
「気持ちの悪い声で言わないでくれよっ! けど問題は、既《すで》に事情を知っちゃった船員達だな。交換《こうかん》条件にだせる案も、口封《くちふう》じに渡《わた》す金もない。どうやって黙っててもらおうか」
「なーに簡単なことです。いざとなりゃあ上下の唇を縫《ぬ》い止めちまえばいいんですよ」
「うわっ痛た! ブラックな冗談《じょうだん》やめてくれ、想像しちゃったじゃないか」
 すぐに脇《わき》に来たヨザックを小声で窘《たしな》めながら、おれたちは大奮闘《だいふんとう》中の操舵室へと急いだ。現在はデッキの角度も安定していて走りやすい。海底から突き上げる衝撃《しょうげき》よりも、慌てた人々が走り回る震動《しんどう》のほうが強いくらいだ。しかしかなり治まっているとはいえ、強い波の中で位置を保つのは難しいだろう。相当の腕《うで》と知識が必要だ。とにかく一刻も早く現状を教えてやって、次のステップに進まないと。本当に沈没《ちんぼつ》してからでは遅《おそ》いのだ。
 おれの立てた作戦はこうだ。
 この貨物船は沈むとサラレギーに信じ込ませ、小シマロン船員達を全《すべ》てボートに移す。定員オーバーと意思|疎通《そつう》不能を理由に、神族の皆さんは貨物船に残す。サラとおれたちは凪《な》いだ海を小舟で聖砂国に向かい、神族の皆さんは貨物船でここから離れ、シマロン以外の国に保護を求める。
「……正直言って、どこのどいつが引っ掛かるんだよってな浅はかな作戦だけど」
「まあオレだったら騙《だま》されませんね」
「ああ、やっぱりー」
「でもあの若い王様相手なら、結構|上手《うま》くいくんじゃないですか」
「サラが? 何で!? あんたよりサラのほうが素直《すなお》だから?」
「あらやだ失礼ね、坊《ぼっ》ちゃんたら。グリ江は巫女《みこ》さんみたいに素直で純粋《じゅんすい》よ。でもね」
 貴婦人ぶって人差し指を唇に当て、ヨザックは斜《なな》め上を見上げた。
「グリ江は坊ちゃんが結構お利口さんだって知ってるけど、あの坊《ぼう》やはそうじゃないでしょ。あの子は坊ちゃんのことを、ちょっとおばかちんだと思ってる。嘘なんかつけやしないと、初めから舐《な》めてかかってますからね」
 あいつは足が遅いから、絶対に盗塁《とうるい》はないと決めつけられてるってことか。
「へえ、おれだって偶《たま》には走るんだけどね」
 操舵室の扉《とびら》は蝶番《ちょうつがい》が壊《こわ》れかけ、不自然な方向に歪《ゆが》んでいた。手を掛けてすっと息を吸い込む。潮の匂《にお》いがした。
「この船の乗員は皆、救命艇で脱出することになった! そこで舵取り班の君達にもお願いがあーるっ! さっきこの部屋で話してた事実は内緒《ないしょ》にしといて……あれ?」
 小シマロン人三人と神族二人、合計五人いたはずの室内には、三人分の影《かげ》しかなかった。残る二人はどうしたのかと見回すと、簣巻《すま》きにされて床に転がっている。小シマロン船員の中では最も年長だった花形操舵手が、若手の身体《からだ》に片足を載《の》せて縛《しば》り上げているところだった。ご丁寧《ていねい》に猿轡《さるぐつわ》まで噛《か》ませてある。何の布を使用したのかは、追及《ついきゅう》しないでおくのが武士の情けだろう。
「……っあれ、えーと、どういうプレイ?」
 本当に内乱でも勃発《ぼっぱつ》したのだろうか。それにしては小規模すぎる。
「あ、陛下。失礼しま、したっ、お見苦しい、ところを」
「いえこちらこそ、お取り込み中だったようで……一体なにをお取り込み中なんだ」
 他国の人に尊称《そんしょう》で呼ばれて、こちらが畏《かしこ》まってしまった。そっちの陛下はサラレギーだろうと、思わず訂正《ていせい》したくなる。
「おれはあんたたちに口を噤《つぐ》んでてくれるよう頼《たの》みに来たんだけど、どうやらこっちはこっちで別の事件が起こってたみたいだな」
「へい。あ、いえ、はいそのとおりでありまして……実はですね眞魔国の陛下、我々は心を決めましたのです。海の男の命であるこの船と、運命を共にいたします。これは全員の望みでありまして」
「もがー!」
 花形|操舵手《そうだしゅ》は、すっかり巻かれた若者を蹴《け》って黙らせた。痩《や》せた少女と舵《かじ》を握《にぎ》ったままの男は、口を開けたまま呆気《あっけ》にとられている。
「この貨物船は……あちらもこちらも老朽化《ろうきゅうか》し、今となっては旧式かもしれませんが、前小シマロン王ギルバルト陛下が私どもにお預けくださった大切な船です。サラレギー陛下には汚《きたな》く見窄《みすぼ》らしいボロ船にしかお見えにならなくても、こいつは立派な国家の財産なのです。それをギルバルト陛下と民《たみ》の許しもなく、簡単に手放すわけには参りません。ですから我々三|匹《びき》の舵取りは、愛する船からの脱出《だっしゅつ》を固辞します。サラレギー陛下にもそうお伝えください」
「もっ、もガー」
「そう、たとえ海の藻屑《もくず》と成り果てようとも我等はこの船を離れまいと、この若造も申しておるのでありまして。いやまったく、下っ端《ぱ》ながらも海の男、天晴《あっぱ》れでございますな、うはは、うはうひゃ」
 無理やリテンションを上げているのか、静まり返った室内に空虚《くうきょ》な笑い声が響《ひび》いた。
 沈《しず》みゆく船と運命を共にするのは、普通《ふつう》なら船長の見せ場だろう。その点を突《つ》っ込んでいいものかどうか、おれは迷っていた。
「えーと、待ってくれ花形くん。きみはこの貨物船が壊れてないって知ってるはずだよな」
「薄々《うすうす》勘《かん》付いております」
「だったら、泣かせる名艦長役《めいかんちょうやく》は必要ないって判《わか》ってるよな」
「はあ。ですから、今すぐ死ぬなどとはまったくもって考えておりません。ただサラレギー陛下には、そのようにご説明申し上げていただきたいと……だって陛下」
 男は困ったように眉《まゆ》を下げた。舵輪を握る神族をちらりと見てから、決まりが悪そうに視線を逸《そ》らす。
「彼等や、船底にいる連中は、放《ほう》っておいたら同じことを繰《く》り返すのではなかろうかと心配なのです。この悪夢の海域を抜《ぬ》ける技《わざ》に関しては長《た》けていても、そこから先の旅はどうなりますか。まともな航海士も詳細《しょうさい》な海図もなしでは、前回同様、またシマロンに着いてしまうかもしれません」
 余ったロープを指先でもじもじと弄《いじ》り、心なしか耳まで赤くしている。海の男は純情だ。
「私は……そのー……この天才的な舵取りを、奴隷《どれい》なんて身分のままで聖砂国に戻してしまうのが惜《お》しいのです。ええそうですとも、悔《くや》しいのです」
「悔しい? 何が」
 花形操舵手は焦って部下を踏《ふ》みつけた。髭《ひげ》の隙間《すきま》まで真っ赤に染まっている。
「腕です。船を操《あやつ》り波を蹴散《けち》らす素晴《すば》らしい腕が妬《ねた》ましいのです! いち操舵手としてどうにか学びたい、あの荒波《あらなみ》を避《さ》け、絶対不可能な難所を克服《こくふく》する技を、死ぬまでにどうにかして身につけたいのですっ!」
「でも、彼等は奴隷なんだろ」
 意地の悪いことを言っていると、自分でも判ってはいた。でも自然に緩《ゆる》んでしまう頬《ほお》を抑《おさ》えられずに、おれは腕を腰《こし》に当てたまま続けた。
「あんたが言ったんだよな。自分達よりもずっと劣《おと》る生き物だって。そんな相手から学ぶものなんかあるわけ?」
「流石《さすが》だ、坊ちゃん。痛いとこ突いてくるーぅ」
 酷《ひど》い言葉をぶつけている。でも理由もなく胸は温かい。笑いだしそうなヨザックの口調にも、皮肉っぽさは感じない。
 小シマロンの船乗りは、すっかり俯《うつむ》いてしまった。そこに重要な答えでも書いてあるかのように、ただ自分の爪先《つまさき》だけを見詰《みつ》めていた。焦《じ》れたおれたちは返事を待たず、次の行動を起こそうと部屋を突っ切った。その時になってやっと彼は、聞こえるか聞こえないかという声で言った。
「……てたんで」
「はい?」
「……様々な技術や才能を持った人間だとは、考えたこともなかったんです。この人達が同じ人間だなんて、生まれてこの方、思ったこともなかったんで。知らなかったので、知ろうともしなかったのでありまして」
「花形くん」
 ああ、おれは今、猛烈《もうれつ》に感動している。だがそれを態度には表さず、必死で冷静さを装《よそお》って、いい歳《とし》をしたベテラン船員の肩《かた》を叩《たた》いてやった。海の男の背中が小さく感じる。
「知ってしまったらもう、この人達を奴隷とか呼べないのでありまして……」
「ははぁん」
 窓際《まどぎわ》にあった紙の束を手荒《てあら》に捲《めく》りながら、ヨザックがしたり顔で頷《うなず》いた。
「惚《ほ》れたね?」
 ええーっ!? 言葉の解《わか》らない神族の二人までが同時に突っ込む。それはない、それは多分ない。あったとしても触れずにいてあげたい。
「この際、惚れた腫《は》れたは当事者の二人にお任せするとして、オレたちゃさっさとおサラバしないとね。ほら緊急《きんきゅう》船長代理、外海の海図を見つけたぜ。アンタはこいつをしっかり読んで、難民連中を然《しか》るべき所に送り届けるんだ。んーで聖砂国上陸にはこっちが必要ね」
「いいな花形くん、少なくとも小シマロンじゃない国だぞ……ああそうだ、役に立つかどうかは判らないけど」
 おれは抜き出された用紙を奪《うば》い取って、黄ばんだ裏面に大急ぎでペンを走らせた。塩水で滲《にじ》んで上手《うま》く書けない。
「うちに向かえれば一番なんだけどさ……食糧《しょくりよう》や水が足りないかもしれないし。くそ、書きにくいな。まあいいか、どうせ丁寧に書いても汚《きたな》い字なんだし。カヴァルケードかヒルドヤードかカロリアか、ええとそうだな……眞魔国の周辺諸国も融通《ゆうずう》が利《き》くかもしれない。とにかくシマロンに制圧されてない国に行くんだ。上陸は無理でも、補給は絶対させてくれるから。そうお願いしとくからな……ほらこれ、格好悪いけどおれのサイン入ってるからさ」
 海図の裏に乱暴に記した文章は、まるで電話の横のメモみたいだった。辿《たどたど》々しいし、文法も怪《あや》しい。単語の羅列《られつ》状態だ。それでも何とか内容は解るし、下手すぎて誰《だれ》も真似《まね》のできないおれの署名があれば、魔族《まぞく》は勿論《もちろん》のこと、ヒスクライフさんやフリンも彼等に手を差し伸《の》べてくれるだろう。
 おれの脳《のう》味噌《みそ》は小さくて、記憶《きおく》容量も少ないんだから、こちらの世界の文字を覚えるのはとても無理だと思っていた。取り敢《あ》えず会話には困らないし、読み書きなどできなくてもいいと何度も筆を投げだした。だけど今は違《ちが》う。根気よく教えてくれたギュンターに感謝している。
 湿《しめ》った親書を受け取った花形操舵手は、おれの顔をまじまじと見た。
「魔族は……いえ、陛下のお国は、いつの間に諸国を服従させられましたので」
「服従? 誰もおれに服従なんかしてるわけないじゃん。あのねおれは王様ったって、なりたてホヤホヤの新前《しんまい》なんだぜ? そんなルーキーに誰が服従だよ。ああ今そんなのバラさなくてもよかったんだ。おれのこたぁどうでもいいからさ」
 ロープの先を摘《つま》んでいた操舵手の利き手を強引《ごういん》に掴《つか》む。
「しっかりやり遂《と》げてくれよ。あんたを難民移送船の緊急船長に任命したい」
 握手《あくしゅ》をしようとして、相手の本名を知らないことに気付いた。
 そういえばサラの旗艦《きかん》は金鮭号と呼ばれていた。ほんの数分しか乗っていない艦の名を覚えているのに、長く旅をしたこの乗り物の名前を知らなかったなんて。
「おれってバカだなあ、船とあんたの名前を聞いてなかった」
 小シマロンの男は唇《くちびる》の端《はし》を髭ごと震《ふる》わせると、緩く首を振《ふ》ってから、おれの右手を強く握《にぎ》り返してきた。
「この船の名は『木彫《きぼ》りの熊と鮭』号です、陛下。私の名などどうでもいい」
「なんだよ、畜生《ちくしょう》、格好いいぞ花形船長! あんたの功績を讃《たた》えて、うちの玄関《げんかん》に木彫りの熊を飾《かざ》ると約束するよ」
 実はもう十年前からある。うちだけじゃない、従兄弟《いとこ》の家にも村田のマンションのリビングにもあった。この船はずっと昔から、日本中の人々に愛されている。
「さあ坊《ぼっ》ちゃん、新船長が決まったところで、そろそろズラかってもよござんしょうかね」
「判ってる」
 小シマロン人の手を離《はな》し、おれは神族の二人にも右手を差し出した。男のほうは肉が落ち骨の浮《う》いた両腕《りょううで》で、まだ舵輪をしっかり掴んでいる。握手に応じる余裕《よゆう》はなさそうだ。だがすぐに、それが習慣なのだと気付いた。金色の瞳《ひとみ》を涙《なみだ》で潤《うる》ませた少女も、おれの掌《てのひら》を握り返そうとはしなかったからだ。聖砂国とは感情の表現方法が異なるのだろう。
「しっかりやるんだよ、頑張《がんば》るんだ。あまり力になれなくてすまない。一緒《いっしょ》に行けなくてごめん、本当に」
 正しい別れの挨拶《あいさつ》があるのなら教えて欲しかったが、それを説明するのは難しかった。
「おれにはこれ以上なにも出来ないけど、きみたちにはきみたちの神様がきっとついてる。どんな神様かは知らないけど、きっと見守ってくれ……え?」
 少女はいきなりおれの手首を掴み、厨房《ちゅうぼう》服の袖《そで》を捲り上げた。枯《か》れ枝みたいな人差し指を、力をこめておれに押しつける。
「いてて、痛いって」
 彼女はおれの前膊《ぜんぱく》の内側に爪《つめ》を立てた。すぐに血が寄って赤くなる。手を戻《もど》そうとするが、どこにそんな力が眠《ねむ》っていたのか、しっかりと掴んだまま放してくれない。サラレギーのように時間をかけて美しく整えられたものとは違い、磨《す》り減って丸くなった短い爪を使って、少女は一心に線を繋《つな》げていった。俯いたままの顎《あご》と細い肩が上下に動く。
 長い引っ掻《か》き傷は曲線を描《えが》き、やがて五センチ四方の模様になった。六角形の中に対角線を結んでできた星がある。ダイヤモンドを簡単にしたようなマークだ。
「……べネラ」
 少女は長い睫毛《まつげ》の下で、金色の瞳を輝《かがや》かせながらもう一度言った。微笑《ほほえ》んでいる。出会ってから初めて見る、明るい希望に満ちた笑顔《えがお》だ。
「ベネラ、に」
「教えてくれ、ベネラって何だ!? 誰なんだ!?」
「陛下! そいつは解読に何年かかりそうですか」
 もうこれ以上待てないと、お庭番が急《せ》かした。ヨザックは正しい。おれは両肩を掴んで揺《ゆ》さぶりたいのを堪《こら》えた。しかし衝動《しょうどう》の全部は抑《おさ》えきれずに、少女の折れそうな身体《からだ》をぎゅっと抱《だ》き締《し》めた。
「待っててくれ。次は必ず、おれの国で会おう」
 言葉の通じるはずはないのに、腕《うで》の中で少女が頷いたような気がした。波がそうさせたのかもしれない。
 
 
 四|隻《せき》の救命艇《きゅうめいてい》に分かれて乗り込み、おれたちは木彫りの熊と鮭号を後にした。遠ざかる貨物船の舳先《へさき》では、花形船長[#「船長」に傍点]が、ゆっくりと大きく黄色いハンカチを振っている。幸福《しあわせ》そうだ。
 事情を知らない乗組員達は、舵取《かじと》り三人組の勇気ある決断を聞いてある者は涙ぐみ、ある者はカッコつけやがってと舌打ちした。総責任者の船長は落ち込んだ様子だったが、船主であるはずのサラレギーは、そんなものに興味はないらしく、貨物船を顧《かえり》みもしなかった。
 心は既《すで》に聖砂国に向かっているらしい。前向きだ!
 波の穏《おだ》やかな海域に差し掛《か》かり、海は明らかに色を変えていたが、先程《さきほど》見た時ともまた違い、暮れる陽《ひ》に照らされて朱に染まっていた。
 直《じき》に夜になる。上陸できないまま、木の葉の如《ごと》く頼《たよ》りない小舟《こぶね》の上で、異国の夜を迎《むか》えることになる。
 心細いと嘆《なげ》くには、ボートの上に人が密集していすぎた。百人以上の乗員が、たった四隻の救命艇に詰《つ》め込まれているのだ。おれもヨザックもサラレギーもウェラー卿《きょう》も、同じ舟に乗らざるを得なかった。他《ほか》よりは少し頑丈《がんじょう》そうな、船長が率いる一号|艇《てい》だ。
 怪しいコックさん風の身形《みなり》でも、一応は王様|扱《あつか》いだ。若い荷役ばかりの舟には、とてもじゃないが放《ほう》り込めないからと、船長が席を空けて待っていたのだ。おれにとっては寧《むし》ろ体育会系連中に囲まれて、体力|自慢《じまん》でもしていたほうが気が楽だったのに。
 三歩と離れていない場所に、腕組みをしたままのウェラー卿も座っている。当然だ、彼はサラレギーの護衛なのだから。
 ヨザックはあまりいい顔をしなかった。大きさの違う残りのボートを振り返り、彼らしくなく眉間《みけん》に皺《しわ》を寄せた。
「荒《あら》くれ男二十人と乗り合わせるほうがましです」
「平気だって。そんなに神経質にならなくても」
「でもねえ、坊ちゃん」
「……おれももう、無条件に信用したりしない」
 おれは服の上から左腕を撫《な》でた。前膊の内側が僅《わず》かに熱い。逆に利《き》き手にある薄紅《うすべに》色の指輪は、氷で作られたみたいに冷たかった。小指でもサイズが合わないのか、意識すると鈍《にぶ》い痛みが甦《よみがえ》る。ほとんど反射的に体が震えた。
「寒いですか?」
「大丈夫《だいじょうぶ》」
 借り物の防寒具の前を掻き合わせた。完全に日が暮れてしまえば、恐《おそ》らくもっと寒くなるだろう。この程度で音を上げてはいられない。せめて最後の夕陽でも眺《なが》めて、温まった気になろうと顔を上げる。
 ふと目が合った瞬間《しゅんかん》に、ウェラー卿は小声で呟《つぶや》いた。最初は独り言かとも思ったが、聞き取れた部分を繋ぎ合わせて全文が出来上がると、おれに向けられた台詞《せりふ》だとすぐに判《わか》った。彼はこう言ったのだ。
「お上手でした。あなたもなかなかの役者ですね」
 彼は気付いている。
 彼はこの芝居《しばい》に気付いている、いつサラレギーに注進されるか判らない。用心しなければならないだろう。
 ウェラー卿コンラートは、敵だ。
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