きっちょむさんのおじさんは、りっぱな黒牛を一頭持っていました。
ある日、その黒牛を連れて、きっちょむさんのところへやってきました。
「きっちょむ、実は急用で町へいくことになった。二、三日でもどってくるが、その留守(るす)のあいだ、こいつをあずかっていてくれないか」
「いいですよ。どうぞ、気をつけていってらっしゃい」
きっちょむさんは、こころよく黒牛をあずかりました。
さて、きっちょむさんがその黒牛を連れだし、原っぱで草を食べさせていると、一人のばくろうが通りかかりました。
ばくろうとは、牛や馬を売ったり買ったりする人のことです。
「ほう、なかなかいい黒牛だな。どうだい、わしに十両(70万円ほど)で売らんか」
「十両?! ほんとうに、十両だすのか?」
「ああ、だすとも、こいつは十両だしてもおしくないほどの黒牛だ」
十両ときいて、きっちょむさんは、急にそのお金がほしくなり、
「よし、売った!」
きっちょむさんは、勝手におじさんの黒牛を売ってしまいました。
「それじゃあな、たしかに金は渡したよ」
ばくろうが黒牛をひいていこうとすると、きっちょむさんがあわてて呼びとめました。
「ちょっと待ってくれ! すまんが、その黒牛の毛を二、三本くれないか」
「うん? まあ、いいが」
きっちょむさんは、黒牛の毛を三本ほど抜いて、紙につつみました。
それから、二、三日たって、おじさんがもどってきました。
「きっちょむ、すまなかったなあ、黒牛をひきとりにきた」
その声を聞くと、きっちょむさんは、大いそぎで裏口からとびだしました。
それから石垣(いしがき→石の壁)の穴に、牛の毛を三本つっこみ、そして片手をさしこむと、
「大変だ、大変だー! 牛が逃げる! だれかー! はやく、はやくー!」
「なに、牛が逃げるだと!」
おじさんはビックリして、かけつけてきました。
ところが、きっちょむさんが石垣に手をつっこんでいるだけで、黒牛の姿はどこにも見あたりません。
きっちょむさんは、おじさんの顔を見て、またわめきたてました。
「おじさん、早く早く! 黒牛が石垣の中へ逃げこんだ。いま、しっぽをつかまえてる。しっぽがはずれるー!」
おじさんがあわててかけよると、きっちょむさんは石垣から手を抜き、
「ああ、だめだ。とうとう逃げられた。おじさん、かんべんしてください。これは、あの黒牛の形見(かたみ)です」
と、言いながら、黒牛の毛を三本渡しました。
おじさんが、いそいで石垣の裏にまわってみましたが、どこにも黒牛の姿はありません。
おじさんはガッカリして、その場にヘナヘナとすわりこんでしまいました。