清次は海に乗り合いの釣り舟を出して暮しをたてていましたが、お客のない時は自分で魚を釣って売っていました。
ある日の事、その日はお客がなかったので、清次は朝早くから沖へ舟を出してキスと言う魚を百匹ばかり釣りあげました。
そして、港に帰ってくると、
「ほほう。これは見事なキスじゃな。一匹、おれにくれぬか」
と、えりの立った衣を着た大男が、長いひげをなでながら言いました。
「はっ、はい」
清次が魚を手渡すと、何と男は大きな口を開けてその魚を生のままパクリと一口で食べてしまったのです。
「???!」
びっくりした清次がぽかんと口を開けていると、男がたずねました。
「お前の名は、何というんじゃ」
「はっ、はい。せっ、せっ、清次と申します」
「そうか。実はわしは、みんなにきらわれておる疫病神(やくびょうがみ)だ。
だがお前は、そんなわしに親切にしてくれた。
こんな事は、初めてだ。
魚をもらった礼に、良い事を教えてやろう。
よく聞いておけよ。
『釣り舟 清次』と書いた紙を家の戸口に貼っておけば、わしはその家には決して入らないし、もし入っていてもすぐに出て行くだろう」
「ほっ、本当ですか! ありがとうございます」
疫病神が決して来ないなんて、こんな良い事はありません。
清次が頭を深々と下げると、疫病神はもうどこにもいませんでした。
家に帰った清次は、さっそくこの不思議な話を家族や長屋の人たちにしました。
それからしばらくたった、ある日の事です。
長屋の奥に住む藤八(とうはち)のおかみさんが、はやり病にかかって苦しみ出したのです。
藤八は清次の話を思い出すとすぐに清次の家に行って、『釣り舟清次』と紙に書いてくれと頼みました。
そしてその紙を自分の家の戸口に貼り付けると、不思議な事におかみさんの病はすでに治っていたのです。
「清次さんよ、わしにも書いておくれ」
「わたしにも書いてくだされ。お金なら、たんと払いますので」
うわさを聞いた人たちが、ひっきりなしに清次の家へやって来るようになりました。
それから清次は釣り舟を出すのをやめて、毎日毎日『釣り舟清次』という字を紙に書いて、疫病除けのお札をつくるようになったという事です。