[原文]
<八重歯のある三年生の女の子>
生物部に、ネズミが大好きな三編みの女の子がいます。その子といっしょに図書館まで歩いたのよ。
補助してもらわなくても、一人で歩けた!ゆっくりだけど……彼女は歩調を合わせてくれた。
彼女は、家で四十匹もネズミを飼ってるんだって。最初に飼ったネズミのことを話してくれた。
「名前は”ナナ”。メスだった。乳ガンで死んじゃったの。ネズミは病気をするとだんだん人間のようになっていくのよ。そして死んじゃうの。動物が死ぬっていうの、イヤなもんよ」
私は、彼女については何も知らない。先生や先輩に聞けばわかるけど、わたしは彼女の話の中から彼女を知りたい。だから、聞こうとも思わない。
彼女とまた、話ができた。
彼女は、サッちゃんと呼ばれてるんだって。
彼女の家族は、お父さん、お母さん、妹、ネズミ四十匹。
彼女の専用の庭にネズミのお墓があり、そこに忘れな草を植えるんです。忘れな草のことをフランス語で直訳すると「二十日ネズミの耳」ともいうそうで、それは、二十日ネズミの耳が忘れな草の葉に似ているからだと、サッちゃんは教えてくれました。
「ボク(サッちゃんは女の子なのにそう言うのです)は、人が死ぬと、ああ自分が死ぬ代わりに死んでくれたと思うことにしているの。キミ(亜也のこと)は足が悪い。だからその分、ボクは真面目に生きなきゃあいけないと思うの」
サッちゃんは続けていった。
「ボクは、超能力って信じるよ(私は合の手を打つ)。アメーバから見たら、ボク達人間は超能力者だし、目の見えない人から見たら、見える人なんて超能力者じゃあない?」
サッちゃんは、あくせくしてないもん、好き!でも、サッちゃんも亜也も、来年は東高にいない。
GC(英文法?英作文)の時間、Kちゃんが、「悔しい」と言って、泣いた(テストの点数が悪かったので)。
先生は、逆上して、「泣くナ!泣くくらいなら初めから努力すればいいんだよ」。
こわかった。わたしは、いくら悪い点をとっても、あんなふうに叱られはしないもの……と思うと悲しかった。
Sちゃんと、運動して暖かくなった体験談を話した。\r
「何といったて、おしくらまんじゅうよ」
「サッカーやバスケットだって、ポールさわらんでも、ただ走っとりゃあいいもん」
今では、できもしないことをあれこれ吹聴する自分が恥ずかしかった。
映画『野のユリ』をテレビで見る。
神の存在を私は信じる。神は私をおためしになっているのだ、と思ったら、急に心が晴れ晴れとした。この気持ちを何とか忘れずにいたい。
正月がもうすぐくる。
今年一年間、たくさんの人にお世話になりました。
来年は、わたしにとって精神革命の年になりそうです。それば、今の亜也は、自分のことを重度身体障害者だって、素直に認められないからです。
こわいし、いやなの。
だけど認めないわけにはいかなくなるでしょ!養護学校へ行けば……。
養護学校のことを考えると、こわいんです。
確かに、身障者の私にとっては、最適なところかもしれません。
でも、私は東高にいたいんです。
皆といっしょに勉強したいんです。
いろんなことを学んで、でっかい人間になりたいんです。
健康な同級生が、周りからいなくなってしまう世界なんて、考えたくないんです。
母は、時おり、養護学校のことを話してくれます。亜也は、時間がかかっても、自分でやりとおすことができる。やってもらう立場から、やってあげる立場になれる可能性があること……など。
今、重大な歧路に立ち、そして、その決断は、私にせまっています。
[译文]
〈长着虎牙的三年级女生〉
生物部有个很喜欢老鼠的扎着麻花辫的女孩子。我和她一起走到图书馆。
不靠任何帮助,一个人也能走!走得很慢……但是她配合着我的步伐。
她家里养着40只老鼠。告诉了我最初养的那个老鼠的故事。
“它叫‘nana’,是只雌老鼠。后来得了乳癌死了。老鼠生病的话就像人类一样,病情会慢慢的恶化,然后死亡。动物死掉真是很令人伤心的事情噢。”
关于她的事情我一点也不了解。如果问老师或者学长的话肯定能知道,但是我希望能从她的话里面了解她。因此,不想去问别人。
我和她再聊了些。
她叫萨。家里有爸爸妈妈,妹妹,40只老鼠。
在她自己专用的庭院里有老鼠的墓碑。旁边种着“勿忘我”。 萨告诉我,勿忘我的名字从法语直译过来就是“20天大的老鼠的耳朵”。那是因为这时候老鼠的耳朵形状和勿忘我的叶子很相似。
“如果有人死了, 俺(萨是女孩子但是用这种口气)就会认为那个人是替俺去死的.你的脚不好,也是这个道理,俺必须更努力的活着。”
萨接着说,“俺是相信超能力的哦(我中间插了下嘴)。对昆虫来说,俺们人类就是超能力者。对眼睛看不见的人来说,看得见的人不就是超能力者吗?”
萨不是那种心胸狭隘的人,我喜欢她!可是,萨也罢,亚也也罢,明年就不在东高了。
英语写作课的时候,K哭着说:“好后悔。”(因为测验成绩很差)
老师生气地说:“不许哭!与其现在哭还不如一开始就努力!”
好可怕!我无论考得多差也没有被这样训斥过……
想着想着感到了悲哀。
我对S说了运动使身体变暖的体验。
“你说什么呢,是[おしくらまんじゅう]啊(一个游戏的名字)。”
“说起足球,篮球,即使不能接触球,单是跑跑也不错呢。”
我现在吹嘘着这个那个已经无法做的事情,真是丢脸。
看了电影《野百合》。
我相信神的存在。一想到神正在考验我,心马上就变得轻松了。不知为何就是不想忘记这种心情。
马上就要过年了。
这一年,给很多人添了麻烦。
明年对我来说将会是精神革命的一年。那是因为,现在的亚也不能坦率地承认自己是个重度残疾者。
好可怕,不要!
但是,不可能不承认吧!如果去残疾学校的话……
一想到残疾学校的事情就感到害怕。
确实,对于身体行动不便的我来说,那也许是最合适的地方。
但是,我想留在东高。想和大家一起学习。
想掌握很多知识成为了不起的人。
我不想去想周围没有健康的同班同学存在的世界。
妈妈有时会和我说残疾学校的事情。即使花了一些时间,自己坚持到底也是可以的。从让别人帮自己做的立场转变为为别人做的立场的可能性也是有的, 等等.
现在,我站在人生一个重要的分岔口处,而且,迫使我要马上做出决断。