前の年、かくの如く辛うじて暮れぬ。明くる年は立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘(えきれい)うちそひて、まささまにあとかたなし。世の人みなけいしぬれば、日を経つつきはまりゆくさま、少水(せうすい)の魚(いを)のたとへにかなへり。はてには、笠打ち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに家ごと乞ひ歩(あり)く。かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。築地(ついひぢ)のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき香(か)世界にみち満ちて、変りゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはむや、河原などには、馬·車の行き交ふ道だになし。あやしき賤山(しづやま)がつも力尽きて、薪(たきぎ)さへ乏しくなりゆけば、頼むかたなき人は、自らが家をこぼちて、市に出でて売る。一人が持ちて出でたる価(あたひ)、一日が命にだに及ばずとぞ。あやしき事は、薪の中に、赤き丹(に)着き、箔(はく)など所々に見ゆる木、あひまじはりけるを尋(たづ)ぬれば、すべきかたなきもの、古寺に至りて仏を盗み、堂の物の具を破り取りて、割り砕けるなりけり。濁悪世(ぢょくあくせ)にしも生れ合ひて、かかる心憂きわざをなん見侍りし。
【現代語訳】
前の年は、こうしてやっとのことで暮れた。翌年は立ち直るだろうかと思っていると、立ち直るどころか、その上に疫病までが重なって、いっそうひどい状況となり、何もかもだめになった。世間の人々は皆飢えきっており、日が経つにつれて行き詰っていくありさまは、「少水の魚」のたとえにも等しい。ついには、笠をかぶり、足を包んで、よい身なりをした婦人までが、一途に家々に物乞いをして歩いている。このように困窮した人々は、今歩いていたかと見れば、いきなり倒れてしまう。土塀の前や道端には、飢え死にした者らの数が計り知れない。死体を取りかたづける術もなく、死臭があたり一面に充満し、腐って変わっていく顔や姿は、むごたらしくて目も当てられないのが多い。まして、河原などは死体の山で馬や牛車が通れる道さえない。身分の低い農夫や木こりも力が尽き果て、薪さえ乏しくなっていき、頼るところがない人は自分の家を壊し、それを市に出して売る。それでも一人が持ち出して売った価は、一日の命をつなぐのにさえ間に合わないという。けしからんことに、そういう薪の中に赤い丹の塗料がつき、金や銀の箔などが所々にある木がまじっていたので、調べてみると、どうしようもなくなった者が古寺に行き、仏像を盗み、堂の中の仏具を壊して取ってきて、割り砕いて売り出したという。濁りきった末法の世に生れあい、このような情けない行いを見てしまった。