すべて、あられぬ世を念じ過ぐしつつ、心を悩ませること、三十余年なり。その間、をりをりのたがひめ、おのづから短き運を悟りぬ。すなはち、五十(いそぢ)の春を迎へて、家を出で、世を背(そむ)けり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官禄(くわんろく)あらず、何につけてか執(しふ)をとどめむ。むなしく大原山の雲に伏して、また五(いつ)かへりの春秋(はるあき)をなむ経にける。
【現代語訳】
わが身は、はじめ父方の祖母の家屋敷を引き継いで、長らくそこに住んでいた。その後、世に立つ縁故を失って身は落ちぶれてしまい、懐かしい思い出は数多くあったが、とうとう住み続けることもできずに、三十歳を過ぎて新たに思い立って、一つの庵を構えた。これは以前の住まいと比べれば、十分の一の大きさだった。ただ自分が起居するだけのもので、しっかりした家屋を造ったのではなかった。何とか土塀だけは築いたが、門を建てるだけの資力がなかった。竹を柱として、中に牛車を入れておいた。こんなふうだから、雪が降り、風が吹くたびに、危うくないわけでもない。場所が賀茂川の河原に近いため、洪水の災害も多く、盗賊に襲われる心配も多かった。
総じて、生きにくいこの世をがまんしながら過ごしてきて、心を悩ませながら三十余年が過ぎた。その間、折々のつまずきを経て、自分のはかない運命を悟った。そこで、五十歳の春を迎えて、出家して俗世間を離れた。もともと妻子はなく、捨てがたい身寄りもない。自分には官位や俸禄もないので、何に執着があろうか。そうしてむなしく大原山の雪深い山中に住んで、さらに五度の春秋を経てしまった。